壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

分別の底

2010年12月26日 23時22分01秒 | Weblog
        分別の底たたきけり年の暮     芭 蕉

 「分別の底たたきけり」と言い放ったところには、日常卑近の経験、用語を生かして軽い笑いがある。それは、苦しみながら年の暮にいるのではなく、そこから一歩出てこれを眺めているゆとりなのである。
 自らを言うことと、他を言うこととが、一本にないあわさったような微妙な味わいがある。

 「分別の底たたきけり」は、やりくりのための思慮分別のありたけを、たたき出してしまったというのである。「底をたたく」は、全部出しつくすことをいう。思慮・才覚のありどころを意味する「分別袋」ということばもある。

 季語は「年の暮」で冬。「年の暮」の窮迫の感が土台となった発想。

    「年の瀬はなかなか越えかねるが、そこを何とかやりくろうと、
     あれやこれや思案の限りをつくして、まったく、分別の底も
     たたきつくしてしまったことだ」


      ゆく年のしづかなる色 玉露かな     季 己