壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

風の筋

2010年05月26日 22時59分47秒 | Weblog
        嵐山藪の茂りや風の筋     芭 蕉

 『嵯峨日記』四月十九日の条に、昨日の「うきふしや」の句につづけて、
    「午半(うまなかば)、臨川寺に詣づ。大井川前に流れて嵐山右に高く、松の尾の里に
     続けり」
 とあり、この散策中の属目吟であろう。自然を大づかみに、しかも動的にとらえ、色彩的にもゆたかな効果をあげた句である。

 「茂り」は、夏の木の枝葉がうっそうと重なりあって、生い出でたさまである。「茂(繁)り」とは、場所いっぱいを占めて、密に生え伸びていること。これが「茂し」になると、草木以外に、抽象的に、空間的に隙間のないことや、時間的に絶え間がないことにも使う。ただ、『歳時記』の例句となるような「茂し」の句は、不勉強ゆえ知らない。
 「風の筋」は、風が吹き通る道筋。竹藪の秀(ほ)のそよぎから視覚的にとらえていったもの。現代にも、中村汀女の「ややあれば茂り離るる風の筋」の秀句がある。

 季語は「茂り」で夏。繁茂した季節感のみならず、柔軟な竹藪の穂のなびきやすい質量感をとらえた使い方がみごとである。

    「嵐山の方を眺めやると、ずっと竹藪の茂りが連なっている。その藪の秀の上を風の
     吹き通ってゆくのが、一本の筋となって望まれることだ」


      潮満ちて島静かにも茂りたる     季 己