五月末、ある人の水楼にのぼる
湖は晴れて比叡降り残す五月かな 芭 蕉
琵琶湖の大観を詠んだものである。
「湖(うみ)は晴れて」という「は」の字余りも、おおらかなひびきが流れて、快い効果をあげている。「ある人の水楼にのぼる」とあるので、湖水の見晴らしの利く二階などで詠んだもので、挨拶の意がこめられていよう。ある人はどういう人か、その伝は不明である。
「水楼(すいろう)」は、水際に高く造った殿舎。
「湖(うみ)」は琵琶湖。
「比叡(ひえ)」は比叡山。
「降り残す」は、まだ降りこめているの意。有名な「五月雨の降り残してや光堂」の場合とは異なる。
季語は、句の表面上では「五月(さつき)」であるが、実質的には「五月雨(さみだれ)」である。夏。
「ここの水楼から湖上を見渡してみると、五月雨もようやく上がろうとし、湖上は晴れているが、
比叡山あたりはまだ降り残る雨があるらしく、雲がかかっていて、いかにも五月にふさわしい
眺めがほしいままにできることだ」
やはり来てしまった、『深沢軍治展』(「画廊宮坂」)に。一昨日、作品たちと名残を惜しんできたはずなのに。初日、四日目そして最終日と、これで三度目である。〈三度の武田〉ではあるが、「群れる1」は売約済み、「そのまわりに(青)」(30号)は、豚小屋には大きすぎるので……。
「並の作品は、人を選ばないが、名作は人を選ぶ」と考える変人は、今回は、深沢先生の作品を持つ資格がなかったのだ、イヤ、身辺整理をせよと示唆してくれたのだ、と思いたい。
今日、来たおかげで、画家の武田智束先生および写真家の窪田元彦先生と、ゆっくりお話ができ、至福の時を過ごせたことが何よりであった。
‘やはり’と言えば、一昨日同様、「伝統工芸人形展」へ寄ってしまった。「身辺整理、身辺整理」と呪文を唱えながら、青江桂子さんの作品「空」を拝見した。展示場所が、一昨日までとは変わっていたが、観れば観るほど魅せられてしまう。おそらく、手ではなく‘こころ’でつくっているからであろう。
「虚実皮膜」という言葉があるが、「空」は、現実から一寸ほど離れた作品だと思う。これが、より虚に近づき、実から一尺離れた作品を、一日も早く観られることを祈りたい。
犬好きが犬を欲しがる五月晴 季 己
湖は晴れて比叡降り残す五月かな 芭 蕉
琵琶湖の大観を詠んだものである。
「湖(うみ)は晴れて」という「は」の字余りも、おおらかなひびきが流れて、快い効果をあげている。「ある人の水楼にのぼる」とあるので、湖水の見晴らしの利く二階などで詠んだもので、挨拶の意がこめられていよう。ある人はどういう人か、その伝は不明である。
「水楼(すいろう)」は、水際に高く造った殿舎。
「湖(うみ)」は琵琶湖。
「比叡(ひえ)」は比叡山。
「降り残す」は、まだ降りこめているの意。有名な「五月雨の降り残してや光堂」の場合とは異なる。
季語は、句の表面上では「五月(さつき)」であるが、実質的には「五月雨(さみだれ)」である。夏。
「ここの水楼から湖上を見渡してみると、五月雨もようやく上がろうとし、湖上は晴れているが、
比叡山あたりはまだ降り残る雨があるらしく、雲がかかっていて、いかにも五月にふさわしい
眺めがほしいままにできることだ」
やはり来てしまった、『深沢軍治展』(「画廊宮坂」)に。一昨日、作品たちと名残を惜しんできたはずなのに。初日、四日目そして最終日と、これで三度目である。〈三度の武田〉ではあるが、「群れる1」は売約済み、「そのまわりに(青)」(30号)は、豚小屋には大きすぎるので……。
「並の作品は、人を選ばないが、名作は人を選ぶ」と考える変人は、今回は、深沢先生の作品を持つ資格がなかったのだ、イヤ、身辺整理をせよと示唆してくれたのだ、と思いたい。
今日、来たおかげで、画家の武田智束先生および写真家の窪田元彦先生と、ゆっくりお話ができ、至福の時を過ごせたことが何よりであった。
‘やはり’と言えば、一昨日同様、「伝統工芸人形展」へ寄ってしまった。「身辺整理、身辺整理」と呪文を唱えながら、青江桂子さんの作品「空」を拝見した。展示場所が、一昨日までとは変わっていたが、観れば観るほど魅せられてしまう。おそらく、手ではなく‘こころ’でつくっているからであろう。
「虚実皮膜」という言葉があるが、「空」は、現実から一寸ほど離れた作品だと思う。これが、より虚に近づき、実から一尺離れた作品を、一日も早く観られることを祈りたい。
犬好きが犬を欲しがる五月晴 季 己