壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

衣更え

2010年05月03日 00時06分29秒 | Weblog
          衣 更
        一つ脱いで後に負ひぬ衣がへ     芭 蕉

 旅に身をまかせきった芭蕉の姿がある。軽い句のように見えて、その底を支えているものは実に根強い。口ずさんでいるうちに言葉が消え、その境地のみ心に残って、旅の芭蕉が生きて動く。内に充実したものが表現になりきって、言葉を消してしまっているからであろう。
 『笈の小文』の本文に「踵(きびす)はやぶれて西行に等しく……」と、旅ゆく心をつづった文がこの句の前にあって、それを読むと、ひとしおこの句の味わいが深くなる。
 同じ境地を詠んだ、杜国の「吉野出でて布子売りたし衣がへ」という、芸が表にあらわれた表現と比較してみると、なおそのことがはっきりすると思う。芸とか技は、これみよがしに表に出すものではないのだ。

 季語は「衣がへ」で夏。四月一日。「衣更」というものが、境地を生かすところに達している。

    「衣更えの季節になった。旅の途中のこととて、重ねていた一枚を脱いで包み、それを背に
     負うと、それでもう衣更えもすんでしまう。そしてまた自分は、そのまま歩きつづけてゆく
     だけである」


      旅の荷のかろき八十八夜かな     季 己