壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

南無仏

2010年05月10日 21時29分57秒 | Weblog
          文麟生(ぶんりんせい)、出山の御像(かたち)を送りけるを安置して
        南無仏草の台も涼しかれ     芭 蕉

 甲州流寓も終わり、新庵も成って、身の置きどころが出来たという安堵感が、句をきわめてさわやかにしている。
 『続深川集』には句のあとに、
    「くだれる世にもと云ひけむ、理(ことわり)なりや」
 という言葉が付いており、芭蕉自身の文と思われる。詞書(ことばがき)と相応じて生かすべきであろう。

 「文麟生」は鳥居氏。天和二年(1682)に芭蕉庵が焼失した際、その復興に協力し、「芭蕉庵再建勧化簿」によれば、金額では最高の銀一両を寄付した人である。天和三年冬、新庵が成って、出山の釈迦像を寄贈したものと思われ、貞享元年(1684)の作と推定される。
 「出山(しゅっさん)の御像(かたち)」とは、6年の苦行ののち、更に独自の道を求めて、雪山より下りたときの修行苦にやせた釈迦画像をさす。なお、この像は長く草庵の仏として安置され、逝去に際して支考に贈るよし遺言された。
 「南無仏(なもほとけ)」の「南無」は、仏への帰依敬礼(きえきょうらい)の意を表す語。
 「草の台(うてな)」は、元来立派な蓮の台に坐しているはずの仏を、今、草庵の草の台座に迎えるという気持。

 「涼し(かれ)」が季語で夏。「涼し」の効果はかなり句の内容に滲透して、心境のすがしさを感じさせるものと成っている。

    「この草庵は、もとより仏を安置する座もととのってはいないので、もったいないが
     草の台に安置申し上げる。貧しい草の台座ではありますが、どうかここを涼しいと
     お感じになって、いつまでも安らかにおしずまりください」


      親鸞の鏡の御影みて涼し     季 己