壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

十六夜

2009年10月04日 20時23分39秒 | Weblog
 陰暦八月十六日の夜、またはその夜の月を「十六夜(いざよひ)」という。きのうの十五夜よりも、今夜は、やや遅れて出た。たった一日の違いであるが、俳句の趣は微妙に異なるようである。満月を讃える心を残しながら、いわば精神の雅を楽しむものといえそうだ。かつては十六日の夜を、「いさよひ」ともいった。

        十六夜もまだ更科の郡かな     芭 蕉

 十六夜のもつ感じは、あくまで十五夜の名月を賞することのできた後の、飽満感ともいうべきものに、いくらか沈んだ寂しさの加わった感じである。
 句全体の静かな気分は、その気持を生かした表現となっている。結びの「更科の郡(こほり)かな」の言い方、および上五の「も」という助詞のこころをよく味わいたい。
 更科は古来、月の名所として聞こえた地名である。したがって「更科の郡」という地名を出しただけで、月に対する作者の関心が匂わされているのである。

 ところで芭蕉は、前日の十五夜の名月を、どこで眺め、どんな句を詠んだのだろうか。それは「十六夜も」の句が掲出されている『更科紀行』を見ればすぐにわかる。

          姨捨山
        俤や姨ひとり泣く月の友     芭 蕉

 「俤(おもかげ)や」と打ち出して、「姨(をば)ひとり泣く月の友」とあるところを見ると、中七以下は「俤や」の述語(内容)にあたるものであろう。
 そうすると、想は現実の月から離れてしまうようだが、決してそうではない。この俤は、現実の月によって描かれたものであり、俤の中の月と、現実の白くかがやく月とは、互いに相照らしあっているのである。
 そういう意味で、姨の俤がわが今宵の月の友であるの意ではなくて、姨が月だけを友としてひとり泣いている俤を、芭蕉が澄みきった月下に想い描いているものと解したい。『雑談抄』によれば、芭蕉会心の作という。
 この句の季語は、「月の友」で秋。「月の友」は、共に月見をする友、あるいは月見に招いた客の意で使うようであるが、しばしば「月を友」と並び称される。ここでも、月を親しく眺めるもの、月を友とすることなどの気持で用いているように思える。姨捨の月の明るさに、姨捨伝説と結びついた幻想を生かした発想。貞享五年(1688)八月十五日の作。
    「姨捨の月を仰いでいると、遠い昔、この山に捨てられてただ一人、月の
     下に月だけを友として泣いていた、あのあわれな姨の俤が思い出されて
     ならない」

 話を元に戻そう。
 「まだ更科の」の「まだ」は「未だ」の意。「更科(さらしな)」とあわせて、「まだ去らじな」と掛詞になっているように思う。その場合の「な」は詠嘆を表す助詞。
 「十六夜」が季語で秋。「いざよひの月」は、日が暮れてから、ためらいがちに出る月の意であるが、この句では、いざよう意が「まださらしな」にひびいているのである。

    「十五夜の月を姨捨山で賞したが、今宵、十六夜の月もまだ更科の郡を
     去らないで眺めていることだ」


      十六夜の呉女面にあるうつろかな     季 己