壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

真実の響き

2009年10月08日 19時53分59秒 | Weblog
          楽 遊 原(らくゆうげん)     李商隠
       向晩意不適    晩(くれ)に向(なんな)んとして意適わず
       駆車登古原    車を駆(か)って古原(こげん)に登る
       夕陽無限好    夕陽(せきよう)無限に好し
       只是近黄昏    只だ是れ黄昏(こうこん)に近し

       夕暮れが迫ってくると、なぜか心が動き、じっとしていられなくなる。
       車を走らせ、気がついてみると、長安の街を一気に駆け抜け、古くからの
      行楽地である楽遊原の丘に登っていた。
       目の前の夕陽は、すべてを包み込むようにして、限りなく美しく輝いている。
       だが、まてよ。この夕陽には、たそがれの闇が音もなく忍び寄ってくるのだ。

 「楽遊原」は、長安城の西南にある小高い原。長安の街から眺めることが出来るほど近くにあった。詩中の「古原」は、古くからの行楽地であった「楽遊原」のこと。

 ある日のたそがれ時の、胸にわきおこる理由のないいらだちと、とらえどころのない不安とを、直截的にうたった作品である。
 この詩の中で最も印象的なものは、大きく真っ赤な夕日である。それは、それを前にして立つ何者をも包み込んでしまう大きな力であり、人間のあらゆる悲しみをも受けとめることの出来るものである。
 名状しがたい不安といらだちの中で、詩人・李商隠(りしょういん)は車に乗る。そして、どこへ行くあてもなく、長安の街を一気に南へ駆け抜ける。
 気がついてみると、そこは、古く、漢の時代から幾多の王朝の興亡を見てきた楽遊原の丘の上だ。
 北を向くと都が見え、また多くの王侯の墓も見える。
 西を向くと今しも夕日は、赤々と燃えている。目にしみ入るような輝きの中で、詩人は、茫然と立ちつくす。太陽は、たそがれ時ゆえに、赤々と美しい。
 しかし、たそがれ時ゆえに、まもなく沈んでしまう運命にある。その危ういバランスの一瞬、そこに名状しがたい深い感動がある。

 技巧を凝らさない、直截的なうたいぶりだけに、ふと詩人の心の奥底がのぞいたような、真実の響きがある。五言絶句の傑作だと思う。


      野分後のひかりあふるる画廊に居     季 己