壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

地上一尺

2009年10月10日 20時20分40秒 | Weblog
 「明恵が語りにくいのは、彼が路を行くときもその足は地上一尺を踏んでいるからだ」とは、歌人であり、医師でもある上田三四二氏の言である。
 伊坂幸太郎さんの小説も、地上一尺あたりを踏んで書いているようだが、明恵と何か関係があるのだろうか。こんどお会いしたとき、ぜひお尋ねしてみたい。

 明恵上人は、鎌倉時代の華厳宗の高僧である。紀州に生まれ、文覚上人について出家し、京都栂尾の高山寺に住した。
 高山寺にある「明恵上人樹上坐禅像」は、よく明恵の面影を写している。地上一尺で大きく二叉に分かれた松の木の上にいて、墨染めの衣に半眼を閉じる明恵は壮年といった感じである。
 樹下に下駄が脱いである。かたわらの小枝に香炉と数珠が掛けてある。頭上にはかわいらしい小鳥が二羽、連れ立って飛んでいる。
 浮世を離れた栂尾という山の、なおいっそう浮世を離れた所における明恵の明け暮れが、この一枚の絵には集約されている。

    「我は後世たすからんと云ふ者に非ず。ただ現世に、先づあるべきやうに
     てあらんと云ふ者なり」(「栂尾明恵上人遺訓」)

 伝記や遺訓にあるように、明恵は「いま」という現在の時間を生きた。また「ここ」という現在の場所に身を置いた。「いま、ここに、われあり」という現実の自覚に立って、その現実が明恵にとって俗世という常の現実ではなかったまでである。明恵はあくまでこの世に身を置いている。この世に身を置いて、後世を頼まず、「我ガ死ナムズルコトハ、今日ニ明日ヲツグニコトナラズ」(「高山寺明恵上人行状」)とするのが、彼の生き方だった。明恵は、死を現世の側から見、現世のつづきとして見ている。
 明恵にあっては、いまにおいて生死一如、ここにおいて彼岸此岸一連である。それだけ、彼の生は俗世の現実から遠かったが、明恵はそういう生死一如の自己をあくまで生の側に置き、いま、ここに、現に生きてあるわれとして身を処しているのである。

 明恵は、栂尾という、地勢的にも、精神的にも、現実のやや高みにある場所から、つねに霊波のようなものを発信しつづけた。
 発信は明恵の意図であったということはできない。彼はただ、樹上坐禅に象徴されるような修行一途の生を選んだまでであったが、生得の、そしてまた修行によって磨かれた彼の宗教的人格のありのままが、おのずから人々にはたらきかけたのである。

 伊坂幸太郎さんもまた、地上一尺という現実よりやや高みから、つねに小説というかたちで発信しつづけている。
 先生と呼ばれることを好まず、サイン会も行なわず、講演依頼も断りつづけている。誰もが欲しがる「直木賞」までも、「もう、いらない」という。まさに修行一途……。そんな彼の生き方が、明恵上人の再来のように思えてならない。


      長き夜のパソコンに倦み書にも倦み     季 己