壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

高尾大夫

2009年10月19日 20時38分03秒 | Weblog
 「ベラスケスもデューラーもルーベンスも、わが家の宮廷画家でした。」のキャッチコピーに惹かれて、『THEハプスブルク』(国立新美術館)を観てきた。
 さすが、優れた審美眼と熱意をもって芸術保護に乗り出しただけあって、美術の神髄を示す質の高いコレクションを形成している。眼福のひとときを持てたことに感謝したい。
 観光ボランティアガイドとして興味を覚えたのは、140年ぶりに里帰りした明治天皇からの贈り物『風俗・物語・花鳥図画帖』である。これは、当時の絵師による日本の風景や暮らしを描いた百点の絵画が綴じられたもの。日本初公開という。
 歌川広重(三代)の東京名勝図会ともいうべき作品、ことに「道灌山」・「吉原」に出会えたのはラッキーだった。ただ、「道灌山」の図は、初代広重の東都名所「道灌山虫聞之図」とほとんど同じであったのには、少々落胆した。

 また、今夜から23日の未明までが、オリオン座流星群観測の絶好のチャンスとのこと。もう一つの眼福にあずかろうか……        

        哀しる霜に石を粧ふ蔦の湯具     才 麿

 「遊心寺ノ高尾ガ廟」という前書きとともに、『虚栗(みなしぐり)』に掲出されている。
 前書きの「高尾」は、仙台伊達侯との伝説で有名な江戸吉原の三浦屋抱えの大夫で、仙台高尾とも万治高尾ともいわれる。(大夫は、最上位の遊女)
 「湯具」は腰巻のことで、蔦の紅葉を、紅い湯具にたとえたもの。湯具に見立てた紅葉を出したのは、高尾の紋所が、紅葉であった縁によるものかも知れない。
 評判記などによれば、高尾の容姿はきわめて美しく、性質はおだやかであったというが、佳人薄命のたとえのように、十九歳という若さで没したという。

 薄化粧をして、紅い湯具をまとった高尾大夫の姿に見立てる説がある。それでは裸形の高尾ということになり、白い着物と紅い湯具という、清楚さと色っぽさをあわせもつ、高尾の不思議な魅力は浮かび上がってこない。
 漢詩文調の、やや難解な虚栗調といえる手法によりながら、談林派に身を置いた俳人らしく、つややかな人事句となっている。
 季語は「蔦」で秋季。

    「高尾大夫の墓前に詣でると、墓石には霜がうっすらとおいており、台座
     には紅葉した蔦が這いまとい、まるで白い着物を美しく着こなし、その
     裾からは紅い湯具がちらりとこぼれた、ありし日の高尾の姿を見る思い
     がする。これも薄命の遊女高尾をあわれんだ造化の神の配慮なのであろ
     うか」


      癌検査終へて五日の夜這星     季 己