壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

菅原智子個展

2009年10月20日 20時05分28秒 | Weblog
 菅原智子さんは、不思議な画家である。いや、不思議な作品を生み出す方だ。
 まず、何が描かれているのかわからない。わからないはずである。彼女は何も描いていないのだから。描かないでどうするのか?知りたい方は直接、個展会場(東京・銀座「画廊 宮坂」)へ出かけ、ご本人から直接お聞き願いたい。

 イタリア語の原題を、「内なる幻想」と変人訳したた菅原さんの作品が、階段の踊り場に飾ってある。時々、階段に腰を下ろし、ボケーッと作品を眺めるのも、楽しみの一つ。
 最近、菅原さんの作品は般若心経の「〈空〉の世界」を表現している、と思うようになってきた。もちろん真の〈空〉の解釈は、変人にはできない。あくまで自己流の解釈による「〈空〉の世界」ということだが……。
 〈空〉の普通の意味は、「からっぽ」ということ。この〈空〉と似た語に〈無〉がある。この二つは、よく混同されるが厳密には違う。
 たとえば、水の入っていない、からっぽのコップがあるとする。この場合、「コップは空」とは言えるが、「コップは無」とは言えない。コップはあるのだ。無いのは水なのだ。つまり、「無の状態」・「無の場所」を〈空〉と、勝手に解釈している。

 〈空〉とは形としては見えないが、存在するもの全てを包み込むエネルギーと言ってもよい。菅原さんの作品は、形としては見えない〈空〉を、形として見えるようにした作業の賜と言えるのではないか。
 般若心経が説く〈空〉とは即ち〈色〉である。〈色〉あるものとは〈形〉である。
 形のないものは、壊れる心配がない。それを、菅原さんはあえて形を与えているのだ。菅原さんのよいところは、形を作ることをしない点である。根を詰めて、自分の気に入る形が出現するまで、キャンバスを刷毛で塗りつづける。
 この世には存在しない形を生み出す作業は、苦しいこともあろうがそれ以上に楽しいのではないか。無責任に観る者にとっても、おもしろく楽しいこと、この上ない。
 菅原さんはイタリアのアトリエで、制作という瞑想をしているのだ。全宇宙と一体化するために。
 お若い菅原さんには、こだわり・とらわれの心がまだあるが、着実に進化しているのがうれしい。我を捨てたときの、彼女の作品が楽しみである。
 私という存在が〈空〉になるとき、そこに私は存在しない。


           『菅原智子 個展』
      2009年10月20日(火)~10月25日(日)
       am11:00~pm6:00(最終日5:00まで)
            「画廊 宮坂」
       中央区銀座7-12-5 銀星ビル4階
         ℡(03)3546-0343


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