壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

冷静な凝視

2009年10月22日 20時34分16秒 | Weblog
          山部宿祢赤人、故太政大臣藤原家の山池を詠ずる歌、一首。
        いにしへの 古きつつみは 年深み 池の渚(なぎさ)に
          水草生(みくさお)ひにけり   (『萬葉集』巻三)

 詞書きにより、赤人が、藤原不比等の亡きあとに、その邸宅を訪れる機会があって、その時に詠じたものであることが知れる。赤人は宮廷詩人であるが、おそらく権門としての藤原家に出入りしていて、不比等の生前にその邸に行き、山池を見たことがあるのであろう。「山池」とは林泉のことで、「しま」と読みたい。

 今、主人の亡きあとに、前回に訪れたときから相当の年が経過して、訪ねてみると、池の堤にも草が生じ、池にも水草がのびている、という意であろう。
 「年深み」というのは、年が経過したので、ということだが、年の経過だけで荒れたのではなく、主人公がいなくなって年を経たからである。
 地物にも霊魂があって、それが発動して荒れることもあるので、主人のいなくなった邸が荒れるのは、単に手入れが届かなくて荒れるというようにばかりは、古人は受け取らなかった。だから、この歌の無意識の創作動機には、そうした地物の浮動する霊魂に呼びかける気持もあり、また、その家に仕え、出入りしたことの長きを述べて、あらためて特別に目をかけて貰おうとする類型にはいっているとも言える。ただし、さすがに赤人この歌においては、そうした類型や実用的効果をはるかに高く抜いている。

 一見、平板なようで、かみしめて味わうと、含意の深い歌と言える。この上三句に、人麻呂や黒人の懐古と違った、赤人らしい冷静な凝視のあとがある。
 人麻呂は、ものに憑かれやすく、黒人は感傷におぼれやすい。赤人の叙景歌は、この両先輩歌人の風を学び、ことに黒人の細みを推し進めているのだが、客観性がより深まっている。「古きつつみは年深み」と、あくまでも対象との距離を見失わないのである。

 不比等の子供たちは、南家・北家・式家・京家の四家に分かれて独立し、その邸宅を相続したのは、三女安宿媛(あすかひめ)、後の光明皇后であった。ここで彼女は橘三千代の腹に生まれ、またここを皇后宮とし、天平十七年(745)に、文武・不比等・三千代のために居宅を捨てて宮寺を作り、それを後に法華寺とした。奈良市法華寺町に今もある。これから見ても、この邸の庭が実際に荒廃していたとは思われない。


      秋思ふと種のなかりし黒葡萄     季 己

          ※ 秋思(しゅうし)=秋のものおもい