菊の花咲くや石屋の石の間 芭 蕉
一見、何の奇もないように思われるが、その淡々たる中に芭蕉のしずかな驚きが見られ、それが「菊の花咲くや」という呼吸に感ぜられる。
後世、こうした表現があり余るほど無反省に作られているので、現代人は見逃しがちである。しかし、「咲くや」というあたりに、呼吸を乱さぬ驚きがあり、この驚きは、以前のように驚きを外に放出するのではなく、静かな心の波立ちを楽しむ老境のすがたが見られるのではないか。
「石屋の石の間(あひ)」も写実・格調ともに成功している。この句には、軽みへの志向もうかがわれる。
この句、「八町堀にて」、「八町堀に行くとて」、「八町堀に行きて」などの前書きがある。「八町(丁)堀」は今の中央区。石材を船で運ぶのに便利なので、石屋が多かったという。
季語は「菊」で秋。実際に即した発想であろう。
「石屋の石が、ごつごつと乱雑に置かれている。その石の間に菊が生え出て、
香り高い清楚な花を咲かせていることだ」
菊日和 雲ひとつゆく浜離宮 季 己
一見、何の奇もないように思われるが、その淡々たる中に芭蕉のしずかな驚きが見られ、それが「菊の花咲くや」という呼吸に感ぜられる。
後世、こうした表現があり余るほど無反省に作られているので、現代人は見逃しがちである。しかし、「咲くや」というあたりに、呼吸を乱さぬ驚きがあり、この驚きは、以前のように驚きを外に放出するのではなく、静かな心の波立ちを楽しむ老境のすがたが見られるのではないか。
「石屋の石の間(あひ)」も写実・格調ともに成功している。この句には、軽みへの志向もうかがわれる。
この句、「八町堀にて」、「八町堀に行くとて」、「八町堀に行きて」などの前書きがある。「八町(丁)堀」は今の中央区。石材を船で運ぶのに便利なので、石屋が多かったという。
季語は「菊」で秋。実際に即した発想であろう。
「石屋の石が、ごつごつと乱雑に置かれている。その石の間に菊が生え出て、
香り高い清楚な花を咲かせていることだ」
菊日和 雲ひとつゆく浜離宮 季 己