壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

花むしろ

2009年03月24日 20時23分34秒 | Weblog
 桜の花の咲くころともなれば、春らしい暖かさが支配的になる。しかし、低気圧の通り過ぎた後、急に冷え込んだりすることがある。これを「花冷え」・「花の冷え」といい、春の季語となっている。
 今日は、そんな花冷えの一日であった。

        花むしろ一見せばやと存候     宗 因

 「存候」は、正しく読めば「ぞんじそうろう」だが、この句の場合は、五音で、「ぞんじそろ」と読みたい。
 「花むしろ」とは、花見の酒宴などで敷く莚(むしろ)のことで、春の季語。
 句意は、「小袖の幕を張りめぐらした花見の宴、花むしろの上にはどんな美人がいることか、ちょっと覗いてみたい」というのであるが、それは表面の意にすぎない。

 この句は、寛文四年(1664)九月の奥書のある『佐夜中山集』に収められているが、実は、『宗因千句』中の発句で、柳亭種彦(りゅうていたねひこ)旧蔵本の書入れに、当該百韻の成立事情を示す、謡曲『高砂』の次第・道行をもじった長い詞書がついており、その中に「武州江戸のはいかいをも一見せばやとぞんじ候」という文句が見える。
 これらのことから、句は、寛文三年江戸下向の折、江戸の俳風を一見したいという気持を、謡曲『高砂』の「播州高砂の浦をも一見せばやと存じ候」のパロディーによって表現したものであることがわかる。花のお江戸の俳諧ぶりを一通り観察したい、というのである。
 このように、二重の意味を句にもたせるテクニックにも、宗因は長じていたのである。


      雲の冷え花にうつりて吉野紙     季 己