今日の午前、東京に桜の開花宣言が出た。昨年より1日早く、平年より7日早い開花という。
水口(みなくち)にて、二十年を経て故人に逢ふ
命二つの中に生きたる桜かな 芭 蕉
二十年、絶えて逢うことのなかった旧友二人が、はからずも今こうして
相逢うことを得た。懐旧の情にことばもない二人の間に、きびしい冬をこ
えた桜が、いま明るくいきいきと咲きあふれているよ。
前書きの「水口」は、滋賀県甲賀郡水口町で、東海道の宿駅である。
「故人」は、死んだ人という意味もあるが、ここでは、ふるくからの友人、つまり旧友のこと。王維の「西のかた陽関を出ずれば故人なからん」の故人と同じ。
「命二つ」とは、芭蕉自身と門人の土芳(とほう)を指す。
西行の佐夜の中山での、
「年たけてまた越ゆべしと思ひきや 命なりけり佐夜の中山」
の歌が心におかれて、「命二つの」と発想したことはいうまでもなかろう。それによって、西行の歌の心が遠く匂って、みごとな重層性を得ている。
「命二つの」の「の」がなければ、「命二つ」が一句の表現の中で遊離してしまう。
これに関して、許六(きょりく)の『俳諧問答』に、「これ『命二つの』と文字余りなり。予 芭蕉庵にて借用の『草枕』にたしかに『の』の字入りたり。『の』の字入れて見れば夜の明くるがごとし」とある。文中の『草枕』とは、『野ざらし紀行』の別名である。
「命二つの中」とあることによって、いま相逢うた二人の感慨が、桜に投影されてくるのである。「花」といわず「桜」と表現したところも大切である。
しかも、それを「生きたる」といって、はじめて「命二つの」も手応えのある感動としてせまり、長い厳しい冬を経て生きていた桜が、ようやく春にあって、いま生き生きと咲き出ている。その夜の明けたような明るさが、光り出してくるのである。
この句、『野ざらし紀行』では「生たる」、『俳諧問答』などに「活たる」と表記し、「イキタル」、「イケタル」のどちらで読むかによって意味も違ってくるが、「イキタル」が通説で、句格もこう読むほうが格段にすぐれてくる。
「生けたる」では、桜が横から眺められているだけになってしまう。それでは桜と二人の感動とは別のものになり、絵画的な描写に過ぎなくなってしまう。
土芳の『蕉翁全伝』によれば、播磨に行っていたため郷里で芭蕉に逢うことができなかった土芳が、芭蕉の後を慕って来て幸いに行き逢い、水口で一夜、昔を語りあった際の作だという。
芭蕉は後に、「土芳にたまはる句」と述べたとも伝えられる。
「桜」が季語で春。「桜」がそれ自身の本情でつかまれており、「命二つの」という感慨を受けとめ、それを支えるものになっている。
制服の採寸とかや初ざくら 季 己
水口(みなくち)にて、二十年を経て故人に逢ふ
命二つの中に生きたる桜かな 芭 蕉
二十年、絶えて逢うことのなかった旧友二人が、はからずも今こうして
相逢うことを得た。懐旧の情にことばもない二人の間に、きびしい冬をこ
えた桜が、いま明るくいきいきと咲きあふれているよ。
前書きの「水口」は、滋賀県甲賀郡水口町で、東海道の宿駅である。
「故人」は、死んだ人という意味もあるが、ここでは、ふるくからの友人、つまり旧友のこと。王維の「西のかた陽関を出ずれば故人なからん」の故人と同じ。
「命二つ」とは、芭蕉自身と門人の土芳(とほう)を指す。
西行の佐夜の中山での、
「年たけてまた越ゆべしと思ひきや 命なりけり佐夜の中山」
の歌が心におかれて、「命二つの」と発想したことはいうまでもなかろう。それによって、西行の歌の心が遠く匂って、みごとな重層性を得ている。
「命二つの」の「の」がなければ、「命二つ」が一句の表現の中で遊離してしまう。
これに関して、許六(きょりく)の『俳諧問答』に、「これ『命二つの』と文字余りなり。予 芭蕉庵にて借用の『草枕』にたしかに『の』の字入りたり。『の』の字入れて見れば夜の明くるがごとし」とある。文中の『草枕』とは、『野ざらし紀行』の別名である。
「命二つの中」とあることによって、いま相逢うた二人の感慨が、桜に投影されてくるのである。「花」といわず「桜」と表現したところも大切である。
しかも、それを「生きたる」といって、はじめて「命二つの」も手応えのある感動としてせまり、長い厳しい冬を経て生きていた桜が、ようやく春にあって、いま生き生きと咲き出ている。その夜の明けたような明るさが、光り出してくるのである。
この句、『野ざらし紀行』では「生たる」、『俳諧問答』などに「活たる」と表記し、「イキタル」、「イケタル」のどちらで読むかによって意味も違ってくるが、「イキタル」が通説で、句格もこう読むほうが格段にすぐれてくる。
「生けたる」では、桜が横から眺められているだけになってしまう。それでは桜と二人の感動とは別のものになり、絵画的な描写に過ぎなくなってしまう。
土芳の『蕉翁全伝』によれば、播磨に行っていたため郷里で芭蕉に逢うことができなかった土芳が、芭蕉の後を慕って来て幸いに行き逢い、水口で一夜、昔を語りあった際の作だという。
芭蕉は後に、「土芳にたまはる句」と述べたとも伝えられる。
「桜」が季語で春。「桜」がそれ自身の本情でつかまれており、「命二つの」という感慨を受けとめ、それを支えるものになっている。
制服の採寸とかや初ざくら 季 己