壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

紅梅

2009年03月20日 22時53分22秒 | Weblog
        紅梅やかの銀公のからごろも     貞 徳

 松永貞徳は、元亀二年(1571)生まれの京都の人。
 細川幽斎・九条稙通(たねみち)から和歌・歌学・有職故実を学び、里村紹巴(じょうは)から連歌の指導を受けた。
 中世末から近世初期にかけて、文壇のあらゆる分野にわたって、多くの知友先輩にめぐまれ、その第一人者として活躍した。
 晩年は、とくに俳諧に力をそそぎ、「貞門」の指導者として俳壇を統率し、多くの門人を擁し、俳諧を興隆に導いた功績は大きい。
 和歌・連歌・狂歌などに多くの著作があり、俳諧では、『新増犬筑波(しんぞういぬつくば)』『俳諧御傘(ごさん)』『紅梅千句』などが有名である。
 花の下宗匠と言われ、門人に北村季吟らの七哲がある。
 承応二年(1653)十一月十五日に没した。八十三歳。辞世吟は「露の命きゆる衣の玉くしげふたたびうけぬ御法(みのり)なるらむ」である。

 『紅梅千句』所収のこの句、季語は「紅梅」で春。
 「銀公」は、落語の「金公」や「八公」とは大違い、漢の武帝の后である。その袖の移り香が、梅の花に長く留まっていたという。
 貞徳門の宮川正由(しょうゆう)が、『俳諧良材』でこの句を注して、「古今和歌集の抄に、漢仙記ニ云 銀袖匂移木花古情留、漢武帝ノ后銀公ノ袖ノ香梅花ニウツリテ匂ヲトドメタリト云リ」と説明している。
 「からごろも」は、唐風の衣服をいう。句は、
 「紅梅がみごとに咲いているが、その美しい色艶からは、かの銀公の唐衣のあでやかな装いが思われる」、の意。

 『古今集』の「色よりも香こそ哀れと思ほゆれ たが袖ふれし宿の梅そも」という詠み人知らずの歌などと同様の発想をしており、この歌あたりが、この句を作るきっかけになったかもしれない。
 紅梅のあでやかさから、銀公の故事を結びつけたところが手柄で、彼女の濃艶な姿が連想されよう。紅梅の句に、
        紅梅や竹河ごしに匂ふ宮     夕 翁(せきおう)
        紅梅はたがふれし香の染小袖     立 圃(りゅうほ)
 など、“かおり”や“におい”を扱ったものがあるが、貞徳のように中国の故事に結びつけたものはない。そこに貞徳の得意があったのだろう。
 紅梅の句は、古典的・物語的情緒をさそうが、芭蕉にも「紅梅や見ぬ恋作る玉すだれ」の優艶な句があるが、これは明日にしよう。
 なお、この句は、貞門の代表的な千句、『紅梅千句』巻頭の百韻の発句で、その書名の由来にもなっている。


      うぐひすの空のまぶしき一日かな     季 己