待春や氷にまじるちりあくた 智 月
智月は、寛永十一年(1634)、山城の生まれという。若い頃に御所に奉公し、のち近江大津の伝馬役・問屋役の河合(川井とも)家に嫁し、貞享三年(1686)夫に死別後、尼となる。
貞享末頃に芭蕉の門弟となり、元禄三、四年には、師の芭蕉をしばしばその亭に迎え、近江蕉門に女流として重きをなした。
さて掲句、季語は「待春(まつはる)」と「氷」と二つあり、共に冬である。
「待春」は、今では「たいしゅん」と音読みすることもあるが、「春を待つ」に同じく、いつまでも寒さが退かずに、春が待たれるのをいう。
「ちりあくた」は「塵芥」。流れて来たちりやあくたが、冬になって水の減った小川にへばりついて、寒さの厳しい朝など氷が張って閉じ込められていた。
それが、もう、春もすぐ間近で、日中など寒さもいくらかゆるみ、小川の氷も解けかかって、そこに塵芥が混じっているように見える。それにしても、春水四沢に満つるという春の訪れが、何となく心待たれることである。といった意であろう。
多くの人の見逃しがちな眼前の寸景に、春を待ちわびる心を寄せたところなど、女性的な感覚といえよう。
この作者には、
鶯に手もと休めむ流し元(もと)
麦藁の家してやらん雨蛙
などのような女性らしい句がほかにもある。
春近し雪にて拭ふ靴の泥 欣 一
九十の端を忘れ春を待つ みどり女
今日は終日雨。その雨の中を「両洋の眼・第20回記念展」を観に、日本橋三越へ行く。これについては別の機会に書こう。
そして現在(22時45分)の室温は13度。もちろん暖房器具は一切ない。降る雨の音からも春の近いことが感じられる。これが郊外にでも出れば、空の色や光、野山のたたずまいなどから一層、春の近いことが知れよう。
「春近し」は、「春の近い訪れを待つ心」、「春を待つ」も、「春の近い訪れを待つ心」だが、「春近し」よりも主観的で、待ちわびる気持が強い、とどの「歳時記」にもある。
日本橋とらやののれん春近し 季 己
智月は、寛永十一年(1634)、山城の生まれという。若い頃に御所に奉公し、のち近江大津の伝馬役・問屋役の河合(川井とも)家に嫁し、貞享三年(1686)夫に死別後、尼となる。
貞享末頃に芭蕉の門弟となり、元禄三、四年には、師の芭蕉をしばしばその亭に迎え、近江蕉門に女流として重きをなした。
さて掲句、季語は「待春(まつはる)」と「氷」と二つあり、共に冬である。
「待春」は、今では「たいしゅん」と音読みすることもあるが、「春を待つ」に同じく、いつまでも寒さが退かずに、春が待たれるのをいう。
「ちりあくた」は「塵芥」。流れて来たちりやあくたが、冬になって水の減った小川にへばりついて、寒さの厳しい朝など氷が張って閉じ込められていた。
それが、もう、春もすぐ間近で、日中など寒さもいくらかゆるみ、小川の氷も解けかかって、そこに塵芥が混じっているように見える。それにしても、春水四沢に満つるという春の訪れが、何となく心待たれることである。といった意であろう。
多くの人の見逃しがちな眼前の寸景に、春を待ちわびる心を寄せたところなど、女性的な感覚といえよう。
この作者には、
鶯に手もと休めむ流し元(もと)
麦藁の家してやらん雨蛙
などのような女性らしい句がほかにもある。
春近し雪にて拭ふ靴の泥 欣 一
九十の端を忘れ春を待つ みどり女
今日は終日雨。その雨の中を「両洋の眼・第20回記念展」を観に、日本橋三越へ行く。これについては別の機会に書こう。
そして現在(22時45分)の室温は13度。もちろん暖房器具は一切ない。降る雨の音からも春の近いことが感じられる。これが郊外にでも出れば、空の色や光、野山のたたずまいなどから一層、春の近いことが知れよう。
「春近し」は、「春の近い訪れを待つ心」、「春を待つ」も、「春の近い訪れを待つ心」だが、「春近し」よりも主観的で、待ちわびる気持が強い、とどの「歳時記」にもある。
日本橋とらやののれん春近し 季 己