壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

寒雀

2009年01月19日 21時08分26秒 | Weblog
 明るい朝の日差しが、障子いっぱいに差し込んでいる。
 さっと小鳥の影が横切ると、チチチチ、チチチチと、ひとしきり賑やかな雀の声がして、玄関脇の御影石へ、餌を拾いに来る。前日に神棚や仏壇に供えた米やご飯を、毎朝、撒いておくからだ。

        とび下りて弾みやまずよ寒雀     茅 舎

 冬になると餌が少なくなるためか、用心深い雀も人家付近に集まってくる。屋根や軒、あるいは枯れ枝に来る姿は、厳しい寒気の中で、誰もが目にしているものだ。寒気の中、羽毛に空気を取り入れ、羽をふくらませている愛らしい姿を、ふくら雀という。

        光悦の墓前にふくら雀かな     澄 雄

 枯葉も落ちつくした裸木に、忙しく枝移りして、冬籠りの虫を探し出しては啄ばんでゆく。
 和毛(にこげ)に丸々とふくらんだ胸のあたりが、言いようもなく可愛く、見るからに暖かな気がするのも、冬の朝の楽しみの一つである。

        寒雀身を細うして闘へり     普 羅

 秋の取入れ時には、稲穂を啄ばむ“いたずら者”として憎まれもするが、食べ物の乏しい冬には、人里近くに群がって、こぼれた餌や冬籠りの虫をあさる雀には、何の罪科(つみとが)もない。
 第二次大戦後、野鳥の捕獲が禁止されたが、雀はその対象外となったため、焼き鳥として賞味されている。特に、伏見稲荷の周辺の茶屋の名物にもなっている。

        天の国いよいよ遠し寒雀     三 鬼

 寒雀に限らず、人類の友として全く善意そのものの小鳥たちを、霞網という腹黒い企みや、空気銃・猟銃などという恐ろしい凶器を持って、待ち構えている人間がいるとは、なんとも情けなく腹立たしい。

        しみじみと牛肉は在り寒すずめ     耕 衣

 寒雀・寒鶫(つぐみ)、せめてもの寒さ凌ぎに神様から授かった、皮下脂肪を蓄えるという、生命保全の手段すら、一時的な食欲満足のために、その命を奪う人間とは、何と極悪非道な存在なのであろう。
 それとも気づかず、寒雀たちは、チチチチチと囀りながら、無心に餌を拾っている。

 明日の大寒を前にして、今日は季節はずれの暖かさ。東京は四月上旬の気温だった。日本橋のデパートでは、半袖姿の女性を何人か見かけた。真冬はダウンジャケットの“着たきり雀”の、この身が恥ずかしかった。
 

      寒すずめ読経のさなか翔ちにけり     季 己