壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

初大師

2009年01月21日 18時02分19秒 | Weblog
 今にも雪がちらつきそうな一日だった今日、1月21日は初大師、弘法大師の初縁日である。

        初大師降りしと見ればやみし雪     真砂女

 弘法大師は、真言宗の開祖で空海のこと。高野山を開き、承和二年(835)三月二十一日示寂。忌日にちなみ毎月二十一日を縁日とする。
 “大師”号を贈られた僧はたくさんいるが、ただ単に「お大師さん」といったら、弘法大師空海を指す。

        初大師東寺に雪のなかりけり     羽 公

 東寺の塔は、「京都へ来た」という思いを、切実に感じさせる塔である。
 少し高い所に登ると、ある時は近く、ある時は遠く、東寺の塔が、京都の街の屋根の波を越えて、天高くそびえるのが見える。

 京都の人は、東寺のことを「弘法さん」と呼んで親しんできた。
 年初めの「初弘法」、年末の「終い弘法」の二十一日には、終日の人出で、広い境内も狭いほどになる。
 東寺が民衆に支えられてきたのは、弘法大師への信仰である。熱き思いである。
 境内西北あたりの一画を西院と称し、ここに大師をまつる大師堂がある。康暦二年(1380)の再建という。前面は拝所になるが、後方から眺めると桧皮葺の屋根は低く流れて優雅で、白壁と蔀戸(しとみど)が清らかである。
 この堂は、弘法大師が今もここにおわすという心持によって、住宅風に造られている。心の安まる建物だ。
 むかし、東寺の坊に泊まって、夜明け前の大師堂に詣でたことがある。肌寒い暁の闇の中につぎつぎと信者の人影が見え、拝所には幾列にも献灯の蠟燭の灯がゆらめいて、信仰の灯の光が、こんなにも生き生きと美しいものであることを、心が引締まるほどに感じた。

 ――東寺は、桓武天皇の平安京造営のとき、この新京の中のただ二つの寺として、西寺と対称的の位置に、同じ構成で建てられた国家を守る寺であった。当時、南から京の正面に向かう人々は、羅城門の偉容を中央に、朱雀大路を挟んで左右に各数町はなれて、東西両寺の堂塔の建つ雄大な眺めに驚きの目を見張ったに違いない。
 東寺は、千二百年近くの今日まで、その地を変えず、また建物は再建を重ねてきたが、創建当時を思わせる伽藍を擁して、法灯を保ってきた。西寺も羅城門も廃絶して八百年余りと比べて、何という違いであろうか。

 創建の東寺の造営は、弘仁四年(813)頃にだいたい出来上がったようである。初めは特に真言宗の寺ではなかったが、やがて真言宗僧五十人が常住することになり、弘法大師空海が別当に任じられ、天長二年(825)に教王護国寺と新たに寺名をつけ、ここに、弘法大師を第一代とする真言宗の東寺が発足した。
 こうして真言宗の都における本拠となり、その信仰の力で現在まで続いてきたのである。平安京当初の史跡として最も大切な寺である。

 境内の東南の隅にそびえる五重塔は、正保元年(1644)の再建で、高さ約55.7メートル、全国で一番高い塔である。
 講堂の内部に入ると、仏壇を大きく構え、そこに二十一体の仏像が、整然たる配置で祀られている。中央に五仏、向かって右に五菩薩、左に五大明王とそれぞれのグループがあり、四天王・梵天・帝釈天を配し、これらが渾然として真言密教の根本道場としての構成を、創立時のままに伝え、しかも大部分が弘法大師当時のすぐれた遺像であることは、何にも増して尊い。


      初大師 山をおもへば心澄み     季 己