壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

没頭する

2009年01月04日 20時15分03秒 | Weblog
 毎年、「今年こそ」と思いながら実現しないものの一つに、茶碗づくりがある。
 言うまでもなく、ご飯茶碗や湯呑茶碗ではなく、茶道用の抹茶茶碗である。
 陶芸家の東田茂正先生(素心窯)からお誘いを受けながら、生来の怠け癖で実現しないでいる。
 その東田先生、今年は個展を中断して、展覧会に追われない製作をなさりたいとのこと。この決断には、頭が下がる。作品づくりに没頭なさりたいのであろう。
 10数年前に、お気に入りの貴重な土が手に入ると言って、預貯金をはたいて、一生かかっても使い切れない量の土を買い込んだ先生。きっと心に期するものがあるに違いない。大ファンの一人としては、非常に楽しみではあるが……。
 今年こそ、茶碗づくりにチャレンジしてみようか、陣中見舞?を持って。

 “土いじり”で思い出すのは、幼稚園での製作展覧会だ。
 ある年、年長さん(5歳児)の粘土作品に感動したことがある。果物・パン・ケーキなどが10種類ほど、粘土で作ってあるのだ。そのうまそうなこと!
 “おいしそう”ではなく、“うまそう”なのだ。見れば見るほど、食べたくなって、思わず手を出したくなるほどである。
 どうして、そんな素晴らしい作品ができるのだあろうか。楽しく、無欲でつくっているからに違いない。粘土に没頭して、果物になりきり、パンになりきり、ケーキになりきっているのだ。対象と一つになりきっているのだ。
 俳句もまた同じ。対象と一つになれたとき、秀句が生まれる。
 それともう一つ、大人の浅知恵に汚されていないからだとも思う。

 よく、「リンゴは赤で、こういう形でしょ」と、子供に決めつける母親がいる。はたして、リンゴは赤だろうか、全部同じ形なのだろうか。
 得てして、「○○絵画教室」に通っている子供の絵はつまらない。特に指導者が押しつけた智恵を実践した子供の絵はつまらない。
 反対に、“お絵かき”が好きで、自由奔放に描かれた作品の中に、びっくりさせられるものがある。ところが、である。
 「なにコレ。なんだかわかんないじゃない」と、お母さん。子供は、𠮟られていると思って何も言えないでいる。
 パステルと水彩絵具を用いた、年長さんの作品である。心の底から感動した。どこが、どのように、いいのかは説明できない。説明できないが、素晴らしいのだ。
 「Aくん、この絵すばらしいね。とってもいいよ。園長マン、この絵大好きだよ」
 「ほんと園長マン?」
 「ほんとうだよ。園長マン欲しくなっちゃったよ」……
 あの時のA君の瞳の輝きは忘れられない。お母さんに、「本当に素晴らしい絵だから、大切にして欲しい」とお願いしておいたが、はたしてどうであろうか。
 この絵と、あの粘土作品。もし売り物であったなら、手元に置きたいと、今でも思っている。

 明日は小寒、寒の入りである。味噌や酒の“寒仕込み”の時期でもある。
 いまの自分に、茶碗と一体になれるほど没頭できるであろうか。邪念が多すぎてダメであろう。けれども無為自然の心をしっかり仕込み、やるだけのことはやってみよう、素心窯で。


      胸中のあらひざらひを寒の風     季 己