壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

福寿草

2009年01月05日 18時10分41秒 | Weblog
 松竹梅・ゆずり葉・うらじろ・藪柑子・葉牡丹など、新年に用いる縁起物の草木は色々とあるが、中でも福寿草は、花も美しくその名もめでたい逸品だと思う。

        青丹よし寧楽に墨する福寿草     秋櫻子

 福寿草は、元日に必ず開くというので、元日草とか歳旦華(さいたんげ)などと呼ばれるが、それは旧正月のことであろう。いま、元日に咲かせるには、園芸的な技巧を要する。新年を祝う花として賞美されるので、元日草と言われるのであろう。

        日記まだ何も誌さず福寿草     梧 逸

 福寿草は、キンポウゲ科の多年草で、もともとは野生の宿根草であった。冬の終わりごろ地下の根茎から短い茎を伸ばし、茎の下部は数枚の鞘で覆われている。雪解け後に咲き出す花であるが、その名の縁起の良さから、お正月の床飾りとして珍重されたもので、江戸末期には、百二十もの栽培品種を数えたという。
 中には、「金世界」という名の、直径八センチにも及ぶ撫子咲きの大輪のものや、「秩父紅」とか「緋の海」のように、紅色のものもあった。
 しかし、何といっても、わずかに緑の萌え出した短い茎の頂に、二つ三つ黄金色に花開いたオーソドックスな福寿草が、いかにも清潔で、年の改まるのを感じさせてくれる。

        福寿草遺産といふは蔵書のみ     虚 子

 元旦の朝日であろうか、黄金色の光の矢に、福寿草の花の色が、ひときわ鮮やかさを加える書斎。「遺産といふは蔵書のみ」というが、これは謙遜。「虚子」という偉大な名もまた大きな遺産といえる。
 振り返って、自分に遺産と呼べるものが、はたしてあるだろうか、と考えると……。

          三日口を閉ぢて、正月四日に題す
        大津絵の筆の始めは何仏     芭 蕉

 「正月ということで、誰もが書初めをすることであろう。ところで、あの飄逸な大津絵では、いったい何仏(なにぼとけ)を、この春の筆初めに描くことであろうか」

 正月であるから、まず書初めが考えられ、そこから自然と大津絵の筆始めに思いが流れたものと思われる。書初めというものは、何となく身の引き締まるものだが、大津絵の飄逸な筆づかいを見ているうちに、ふと、いつものように仏を書初めにも描くのかなと感じた、とでもいうのだろうか。
 正月三ヶ日は仏事を忌む、ということが言われているので、仏を描く大津絵は、四日になって筆始めすることであろうという思いを底に置いての発想であろう。
 現代の写実的な刺激の強い俳句を見慣れた目には、どこか鷹揚で物足らない感じもあろうが、このように何か心の揺らめきといったものが漂う句もまた至芸というべきであろうか。芭蕉、四十八歳の作といわれる。

 ちなみに、「大津絵」は、十七、八世紀のころ、大津の追分あたりで売出されていた土産品の民俗画のことで、追分絵ともいわれる。
 「鬼の念仏」・「藤娘」・「槍持奴」・「瓢箪鯰」などの戯画風なものと、「阿弥陀三尊」・「十三仏」・「青面金剛」などの宗教的画題とがある。
 また、大津絵の代表的な画題を土人形にしたものがあり、拙宅でも新年に、それらすべてを飾り、楽しんでいる。
 「筆の始め」は、いわゆる「書初め」のことで、「筆始」・「吉書」・「試筆」などともいい、元日もしくは二日に行なわれるのが通例であった。

        水仙にかかる埃も五日かな     たかし

 正月も、その四日も過ぎて今日は五日。「小寒」であり、「初水天宮」でもあり、「囲碁の日」でもある。今日、日本棋院では“打初め”が行なわれた。
 終戦前はこの日、宮中で新年宴会が催されるため祝祭日とされた。今年は、今日から仕事始めという人が多いと思われる。
 しかし、働きたくとも仕事のない人が、多いこともまた確か。
 いよいよ来週から、変人も“日本語ボランティア”としてデビュー。在日外国人の日本語学習のお手伝いが出来る。人様のお役に立てる……。


      大津絵の鬼のいざなひ五日かな     季 己