壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

意外感

2009年01月13日 21時10分54秒 | Weblog
        元日や神代のことも思はるる     守 武

 この句は、荒木田守武の発句中もっとも人口に膾炙しているもので、真蹟の短冊が伝わっている。
 伊勢の内宮に近い神宮会館の裏に、その真蹟を模写した等身大の立派な句碑も建てられている。真蹟短冊には「天文五年春奉公のひまによみける」という詞書があり、守武六十四歳の作であることもわかる。

 荒木田氏は、伊勢神宮代々のエリート神職家で、守武も二歳で従五位下権禰宜に叙せられ、十五歳十禰宜(じゅうのねぎ)任官後、数年おきに順調に昇進して四十四歳で二禰宜、六十六歳一禰宜内宮長官に就任、天文十八年(1549)に亡くなるまで九年間、伊勢神宮最高のこの地位にあった。

 文学は、当時、神官の不可欠の教養とされた連歌を、若年のころから学び、早くも二十三歳の明応四年、宗祇撰の準勅撰集に入集して頭角を現わすほど連歌の方でも認められたが、文学史上に名を謳われたのは、俳諧の大作『守武千句』による。それは俳諧の黎明期、史上初の千句作品で、俳諧滑稽の表現法に独特の工夫を凝らし、日本語による滑稽的表現機能を徹底的に追求した観がある。後世これが守武流と称され、とくに談林俳諧に決定的に影響した。

 さて、「元日や」の句意はまことに平明で、元日の神々しくすがすがしい朝には、遠い神代の昔のことも、ひとりでに心の中に思い浮かんでくる、というのである。
 単純ではあるが、日本人の元日の気分をうまく捉えたようなところがあり、それが後世人の同感を買って有名になったのであろう。

 ところで、この句は果たして俳諧の発句なのであろうか。
 この句が初めて公開されたのは、ずっと時代のくだった江戸中期の『俳諧温故集』(延享五年[1748]刊)であるが、その後、何種類もの俳書に紹介されたために、いつとはなしに俳諧の発句として通用するようになったのであろう。
 しかし、この句には、室町末期の胎動期の俳諧の根本特性である、おかしみ・滑稽感が少しもなく、しごく真面目な内容のものである。それなら、優雅な真面目さを身上とする純正連歌か、といえば、純正連歌では「元日」というような音読の漢語は採用しない。
 となると、それは俳諧でも純正連歌でもないことになってしまうが、実は、そうだったのである。というのは、この時代、純正連歌と俳諧連歌のいわば中間的存在として畳字連歌(じょうじれんが)と呼ばれるものがあったのだ。
 畳字とは漢語のことで、伝統的和歌用語で統一されるべき純正連歌の中に異質の漢語を詠みこみ、純正連歌の格を外すところに新鮮味が持たれたのである。
 その場合、現代のわれわれの目には真面目な内容のものとしか映らないが、当時の人々は、異質な漢語のかもし出す意外感に、多少のおかしみを感じ取っていたのである。
 つまり、畳字連歌は、純正連歌から俳諧に一歩近い位置にあったわけで、守武の句もまさにそこに位置づけて理解すべき性格のものだったのである。


      寒風の吹き荒れてゆく永田町     季 己