壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

冬の海

2009年01月22日 21時49分55秒 | Weblog
 敬愛する石田波郷の句に、こんなのがある。

        大寒やなだれて胸にひびく曲     波 郷

 波郷の「胸にひびく曲」とは、一体どんな曲なのか聞いてみたい気がする。

 この時節、「胸にひびく」というか、切なくなる曲の一つに、北原白秋 作詞、中山晋平 作曲の『砂山』がある。

        海は荒海、向うは佐渡よ。
        すずめ啼け啼け、もう日はくれた。
        みんな呼べ呼べ、お星さま出たぞ。

        暮れりゃ砂山、汐鳴りばかり。
        すずめちりぢり、また風荒れる。
        みんなちりぢり、もう誰も見えぬ。

 懐かしいこの童謡を歌うと、胸が切なくなる。特に、ゆったりと歌うと……。
 と同時に、日本海の沖の潮鳴りが、ドーン・ドドーンと響いてくるような気がする。(いま「潮鳴り」と書いたが、本来は、「潮」は朝しお、「汐」は夕しおのことである。現在では一般に「潮」と書く。)

 現在、曲調が異なる二つの『砂山』が世に知られている。
 大正11年発表の中山晋平作曲のものは、童謡というより民謡に近い響きを持った曲だ。また、昭和元年に作られた山田耕筰作曲のものは、歌曲といった面持ちがする。どちらも名曲で甲乙つけがたいが、人気の点では、中山の方が一歩リードしているとのこと。
 私自身は、どちらも好きだが、山田耕筰の方をゆったりと歌うと、切なくなってしまう。

        冬浜に老婆ちぢまりゆきて消ゆ     三 鬼

 冬の北の海は、暗澹として荒涼たる眺めの中にある。
 清少納言の『枕草子』に、「すさまじきもの」という段がある。父の元輔について、周防の国まで瀬戸内海を旅した少女時代の経験はあっても、北の冬の海を知らない彼女は、それを数え上げてはいない。
 もし、紫式部が「すさまじきもの」を数えたならば、父の為時が、越前守になった時、敦賀まで一緒に旅した彼女は、きっと、冬の海のすさまじさを上げたことであろう。

        真黒き冬の海あり家の間(あい)     虚 子

 暗い雲が低く垂れ込めた水平線の彼方から、真っ黒い波のうねりが、飢え切った狼の群のように、次から次へと押し寄せては、氷のような白い牙をむき出して、磯辺の岩に噛みついている。
 
        浪引けば沖高く冬の海凹(へこ)む     友次郎

 ひゅうひゅうと唸る北風。ごうごうと耳の底に迫ってくる海鳴り。打ち上げられた藁屑や木切れが、拾う人もなく、無残に散らばり、揚げ舟さえが、脅え切ったような姿を砂浜に曝している。

 言い知れぬ孤独さに、打ちひしがれて越前の海辺に立っていると、北風に吹き払われた雀の群が、さあーっと高く舞い上がって、集落の方へ消えて行く。

        冬海や落花のごとく鷗浮く     草田男

 いくらか風も凪いで、薄日の差す日には、千鳥や鷗が、波に浮いて餌を求め、日溜りに翼を休めているのを見かけると、わずかに人心地を取り戻す気がする。


      冬の汐 男島女島を隔てけり     季 己