壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

新大橋

2009年01月31日 20時11分53秒 | Weblog
 広重が最晩年に描いた『名所江戸百景』の中に、「大はしあたけの夕立」というのがある。ゴッホにとくに影響を与えた作品として、よく知られている、あれだ。
 「大はし」は、「新大橋」のことで、架橋は元禄六年(1693)十二月、隅田川3番目の橋である。
 
 天正十八年(1590)、徳川家康は江戸に入り、城下の整備に乗り出した。その事業の一環として、北に向かう交通の整備のため、架橋事業が計画された。
 そうして、文禄三年(1594)に完成したのが「千住大橋」で、下流に「両国橋」ができるまで「大橋」と呼ばれていた。
 2番目の「両国橋」は当初、「大橋」と名付けられ、この橋に続く橋として、3番目の橋を「新大橋」と名付けられた。

          深川大橋半ばかかりける比(ころ)
        初雪やかけかかりたる橋の上     芭 蕉 

 「架けかかった大きな橋の上に、その架けかかったままの橋の形に初雪が置いて、まことに鮮やかなことである」

 芭蕉は、深川の草庵から、工事の様子を見ていたのであろう。架けかかった大橋は、橋板さえもまだ揃っていなかったものであろうが、その木の色も新しい上に初雪がかかったのである。まことに新鮮な感じを把握している。

          新両国の橋かかりければ
        みな出でて橋をいただく霜路かな     芭 蕉

 「待ちかねた新両国の橋がようやく竣工したので、誰も彼も出てきて、この霜の置いて美しくなった橋を、まるで押し戴くような気持で渡っていることである」 

 「新両国の橋」は、前記の深川大橋のことで、浜町と深川をつなぐ「新大橋」である。「橋をいただく霜路」というのは、橋が架かった感謝の心で、霜の置いた橋を押し戴くような気持ちで渡ったというのである。
 芭蕉は、工事中、毎日のように目にして待ちかねていただけに、感謝の気持ちも深かったことであろう。「みな出でて」と、喜ぶ人々の中に自分もとけ込んで喜んでいるのである。
 『芭蕉句選』に、「武江の新大橋はじめてかかりし時の吟なりと聞き侍る」と頭注して「有りがたやいただいて踏む橋の霜」の形を伝えるが、別案であろうか。
 新大橋の竣工は、前述のように元禄六年十二月で、六日から往還を許されたという。
 いずれの形にせよ、美しく置かれた霜が、感謝の気持ちを呼び起こしているのには変わりない。


      里すずめ何してあそぶ冬の雨     季 己