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こぶた部屋の住人

訪問看護師で、妻で、母で、嫁です。
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第30回めぐみ在宅緩和ケア研究会

2009-10-20 22:10:21 | めぐみ在宅緩和ケア関連
今日は、午後から半休をとって、大阪での子育て時代の母友と会うため半休を取りました。
当時、大阪の吹田市に住んでいたころのお友達が、今はそれぞれ都内と、千葉に住んでいるので、年に1度か2度会っておしゃべりをします。
仕事を持っている私のために、横浜まで来てくれるのでありがたいことです。
      

友達と別れ、瀬谷に戻るとまだ7時。

めぐみ在宅クリニック緩和ケア研究会に遅れて出席しました。

今日は、いくつかの短い対話記録をもとに、
「苦しんでいる人は、自分の苦しみを分かってくれる人がいると嬉しい。どんな人が分かってくれる人になるのでしょうか?」と言うテーマで進められました。

人は、相手の苦しみはわかりません。
でも、その苦しみ(希望と現実のギャップ)を知ろうとするために、相手の言葉に耳を傾け、そのメッセージを受け取り、言語化して相手に返さなければなりません。

私が相手を理解するというより、相手が私を理解者だと思う。

それが、対人援助の基本です。

では、どうすれば相手に理解者だと思ってもらえるのか。

「傾聴する」「思いに沿う」
看護師がよく口にする言葉です。が、では実際どうするか、そこがわからなければ
どうにもなりません。

そして、村田理論による対話ケアの手法。
解釈に関しては小澤先生独自の理論も含めて、語られます。

難しいです。
答えが見つからない質問を患者さんからされたとき、私達はどうこたえるべきなのか。

何度勉強会に出ても、なかなか実践に移すのは難しいです。

先日のデスケースでの反省も、なかなか実践できずに、また同じ過ちをしています。

亡くなった患者さんのご家族が、「私は、なにもしてあげられなかった。もっとたくさんしてあげることがあったのではないでしょうか?」
献花に訪問したときに、そんな言葉を時々聴きます。

「そんなことないです。あなたはとてもよく介護されていました。私たち葉見ています。本当によく介護されたと思います。」

私はそんなふうに言ってしまいます。
だって、本当にそう思うから。
一生懸命介護をされている姿を、私達は見ていますから、そんな風に後悔したり自分を落として見てほしくない気持ちが先立ってしまうからでしょうか。
でも、それはあくまでも私の気持ちなのです。
相手の気持ちを本当に理解していないということです。

「亡くなった○○さんに、ちゃんと介護してあげれなかったと思うのですね。もっとやってあげることがたくさんあると思うのですね。」
そして、「どんな事をやって差し上げたかったのですか?」
あるいはもっと「これからでもしてあげれることは、どんなことでしょうか?」

そんな風に会話を言葉を返していくことで、そこからまた相手の思いが語られるきっかてとなっていきます。

はー。でも、こればっかしは、思うようにはいきません。
やっぱり、負の要素で落ち込んでいる人には、プラスに返還させてあげたいと思ってしまうのが人情。
でもやはり、あいての言葉の中の重要なメッセージをまず受けて、反復する練習をしないといけないですよね。

実際今朝の新患さんとは、そん対話がちょっとうまくいきました。
少しずつでも進歩しないと、恥ずかしいですものね。
そして、よき理解者だと思ってもらえるように、意識して言葉を選んでいこうと思います。

今日のデスケース

2009-09-29 22:22:14 | めぐみ在宅緩和ケア関連
今日のデスケースカンファレンスは、半年ほど前にグループホームでお看とりをしたケースです。
娘さんもいらして、しばし懐かしさに笑顔が・・・
そうです。
懐かしくて笑顔がこぼれるような、穏やかで温かなお見送りでした。

いつものように黙とうから始まります。

ご本人は、認知もありましたので、あまり本当のところはわかりませんが、ベースのデュロテップパッチと、レスキューのアンペックを時々、鎮痛補助剤としてガバペチンを使用する事で、穏やかに過ごされました。

ご家族も、介護に追われることなく、毎日ホームにみえて一緒にトランプをやったりおしゃべりをしたりと、楽しい時間を過ごせました。

今回のカンファで話し合ったこととしては、グループホームといっても、スタッフの質によって介護の質にも格段の差ができるということです。

この方のケースでは、もともと入所していたこともあり、ここの施設長が看取りまでの決断をして下さったことと、最後までスタッフが、このご家族と向き合ってくれたことで、とてもよい結果となりました。

今後の課題としては、医療職が常駐していない施設の中で、看とりまでの経過で必要となる与薬であったり、座薬の挿入であったり、点滴であったり・・そういう医療処置がスタッフにとっては、かなりの不安と負担になるということです。

鎮痛座薬の挿入に関しても、患者さんの苦痛を把握して、予測指示に沿って座薬を使用するというのは、現状では医療行為として認められていません。

今回は、ご家族の強い希望と、医師、看護師の連携のもと、書類を交付しての使用となりましたが、毎回の電話確認などで、スタッフの不安の軽減を図っていました。
誰もが、自分の勤務にあたらなければいいと、心の中では思っていたかもしれません。でも、それは当たり前のことで、そのことを責めることはできませんよね。

また、投薬にかんしてのトラブルが若干ありました。
これも、いくら医師や看護師がよく説明したつもりでも、介護スタッフの申し送りや、投薬のシステムに問題があれば、間違いのもとになってしまいます。
反省点としては、服薬管理指導としての薬剤師の訪問を入れたほうが良かったということ。
また、お薬カレンダーなどを利用するか、もっといえば、申し送りの方法や、投薬のシステムなどの指導まで行うべきであったということです。

病棟のように、処方箋と内服薬を何度も確認することもありませんし、薬効自体を理解していなければ、管理的に難しくなってきます。

今後は、このような施設がもっと増えるよう、その人材育成や、法の改定が必要であるとしました。

今日も、雑誌AERAの取材で、ノンフィクション作家の山岡さんが見えていましたが、山岡さんもまた、取材の中で医師、看護師、介護と縦割りの役割になっている現在の仕事を、横からつなげられるようにするべきであると、言われていました。

小澤先生も、在宅療養は生活がメインであると。
その生活の中に医療が含まれるのであって、医療が在宅をみるわけではないと言っています。

ですから、医者しかできない、看護師しかできない、というものであれば、在宅療養は今後存在できないはずであると。
そういう面での、現場を熟知した人たちの声による、法の整備や人材育成が必要であるということで、カンファレンスを終えました。


29回「緩和ケア研究会」 妻の腕の中で・・

2009-09-15 22:57:10 | めぐみ在宅緩和ケア関連
                

     彼岸花 白
今日は第3火曜日。緩和ケア研究会の日です。
今日は、50代で亡くなられた男性とのかかわりを事例に、いつものようにグループワークをしました。
この方の「苦しみは」「支えは」「どういう私達であれば、支えられるのか」
ということを、それぞれが深く掘り下げていく中で、ファシリテーターがグループごとに発表していきます。

人対人のかかわりの中で、どうしたら相手の理解者になることができるか。
どう伝えればいいのか。
その練習でもあります。

いろんな事を感じることは、誰でも出来ます。
でも、感じるだけでは不十分です。

「良かったことは、最後まで家にいられたことです。」

では、何がどのように良かったから、家にいられたのか?
いかにそれを「言語化」できるかが、必要になってきます。
これは意外に難しいことです。

今日は、この事例の男性の奥さまも出席していました。

「こんなにたくさんの人たちが、一人の患者と接するために、これほど掘り下げ、考え、どうしたら支えになれるのかを考えてくださっていることに、感動しています。
自分たちが、余命を知らされ、深い苦しみと悲しみの中にいるとき、『私は最後までそばにいますよ。』と、先生が言ってくれて、本当にありがたかった。
とても、気持ちが楽になりました。
主人は、私に『何も残せなくてごめん。』と言いましたが、私は本当にたくさんの幸せや、たくさんの出会いをもらいました。
本当に今日は出席出来て良かったです。」と話されました。

この患者さんは、最後の時、もうこれを使ったら二度と目を覚まさないであろう座薬を、「入れてくれ」といったそうです。
最初は妻に。
でもすぐに、「いや、Sさん入れてください」と看護師に頼んだそうです。
Sさんが、座薬を入れようとして、横向きにするため、妻に抱えてもらい、入れ終えて上を向いた時には、呼吸がなかったそうです。

Sさんは、最愛の妻の腕の中で亡くなったのです。

たぶん、すでに自分の最後を悟っていた夫は、強い鎮静作用のあるその座薬を入れることが、今の自分の呼吸を止めることを知ってたんでしょうね。
妻が入れることで、妻に後悔させたくなかったのでしょうね。

看とりの看護師にそれをゆだねたんです。

グループでその話が出たとき、一人の男性が「そうか。そうなんだよな。私も自分の親に最後の座薬を入れたが・・・そうか。そうか。」
と呟いていました。
きっと、いろんな事が脳裏をよぎったんでしょう。

来月からは、会話を取り入れた研究会を予定しているそうです。
どんな会話になるのかな??




28回めぐみ在宅緩和ケア研究会

2009-08-18 23:51:36 | めぐみ在宅緩和ケア関連
お盆明けではありますが、今月も緩和ケア研究会がありました。
今回も、ケースのプレゼンのあと、4グループに分かれグループワークを行い、私は、今日もファシリテーターとして、とりまとめを行いました。
  


顔なじみになった人も、初めての人も、みんな積極的に発言してくれました。

緩和ケアを勉強するために、集まった多職種の仲間です。
                  

訪問入浴の方も、ケアマネさんも、介護関係の方も、看護師も、傾聴ボランティアの方も、医学生も、看護学生も・・・

こんな田舎の町だけど、一生懸命在宅を支える人たちがいます。
1円だって出ないけど、みんな夜の時間を割いて勉強しようとしています。

苦しみは何か、支えは何か、どうすれば支えを太くできるか・・

繰り返しのワークと、日々の患者さんとのかかわりの中で、少しずつ導き出されるもの。
積み重ねが、教えてくれるものもあります。

小澤先生が言うように、ここから「本当の在宅緩和ケア」を発信できるようになったらいいなとおもいます。

あきらめないこと。
逃げないこと。
最後まで寄り添うこと。

実際は、困難の連続ですが、素晴らしい出会いも多いいのです。

年とともに、病気をすればなおのこと、いろんな事を考えます。
苦しみのひとかけらでも、共有出来たりもします。

この仕事を続けるのは、苦しくもあり、誇りでもあります。

と書いていたら、たった今緊急電話です。
お別れのようです。今から行ってきます。

めぐみ在宅 デスケースカンファで。

2009-07-28 23:24:46 | めぐみ在宅緩和ケア関連
今日は、第4火曜日なのでめぐみ在宅クリニックの「デスケースカンファレンス」でした。

数日前からこの日は、うちがかかわった患者さんのケースである事が分かっていたので、ケアマネもヘルパー責任者も、看護師も連れての参加となりました。

扉をあけると、忘れられないあの、ご主人様がすでに来られていました。

めぐみ在宅クリニックのデスケースカンファは、出来る限りご家族も参加され、一緒に振り返りながら、「良かったこと」「悪かったこと」「何が支えでああったか」「どのように援助できたか。出来なかったか。」などを話します。

黙とうの後、簡単な経過紹介があり、そのあと振り返りを行います。

本人の「病気を克服したい」という希望は、病魔によって何度も断たれましたが、「家に帰りたい」という望みは、ぎりぎりで達成されました。

夫は、何度も涙で声を詰まらせながら、妻の言葉や、その時々の思い出を話して下さいました。

「不安で不安で、真夜中に看護師さんを呼んでしまったけれど、あの時すぐに駆けつけて、傍にいてくれたことが、本当に心強くうれしかった」
「妻の痰が、もう吸引器でも薬でも、どうにもならないことは分かっていましたから、本当に自分と息子たち以外に、看護師さんがそばにいてくれたことはうれしかった」と言ってくださしました。
ヘルパーさんにも「介護なんて、どうしたらいいかもわからくて、そんなときに早く来てくれて、本当に助かりました」

「なにより、在宅に戻って、先生にも看護師さんたちにも、ここまでしてもらえるとは思ってもみませんでした。」

そんな言葉をいただいて、本当にうれしくて、ありがたくて、3日間という短い間でしたが、この患者さんとご家族に出会えたことを感謝しました。

本当は、退院の夜から急激に痰があふれ出して、翌日には呼吸状態がさらに悪化してしまい、せっかく連れて帰ってきたお母さんとの時間を作ってあげられなかったことに、どこかやりきれない思いをもっていました。

本当は、苦しいはずなのに、酸素飽和度がどんどん下がり、ゼロゼロと胸を震わせるほどの呼吸困難の中、何故かふっと笑う彼女の顔が、本当に穏やかで、静かで・・・

何でなんだろう、何で私は彼女の痰を取ってあげられないのだろうと、
何であと一日でもいいから、この夫と息子さんたちとの静かな時間を、持たせてあげられないのだろうかと、くやしくて悲しくて・・
最初は、痰の喀出のためにはじめたスクイージングでしたが、手を離すと呼吸そのものをやめてしまう彼女の胸を、ずっと押しながら涙がボタボタと落ちていました。
私達は、在宅の専門家です。
もし、もう少しご家族との時間が持てていたとしたら、きっとこんなにも補助呼吸を続けることはしなかったはずです。
でも、手を話すことができなかった。
だって、あまりにも短すぎる。
数日前から、やっと意識が戻ってきていると聞いていましたし、息子さんとご主人が、どれほど強い思いで連れて帰ってきたかを知っていましたから・・
結局その夜、区の会議に出席しなければばらなかった私と小澤先生は、スタッフに補助呼吸をゆだね、その場を去りました。
それから、夫が妻との約束の、大切な仕事を仕上げる2時間程の間を、看護師二人と息子さん達で乗り切りました。
彼女はしっかりとその間、生きて夫を待ち、翌日の夕方旅立たれました。


今日のデスケースで、彼女が本当に時々フッと笑ったり、至福の表情を見せたりしていたのが不思議でならなかったことを話しました。
以前ブログにも書きましたが、納棺夫日記にも書かれていたように、彼女は至福の光に包まれていたのではないかと、思ってしまいました。

(私の母もそうでした。亡くなる半日前に、本当に子供のような無邪気で夢見るような笑顔で笑ったんです。)

医療者としての発言ではないことをお詫びしましたが、ご主人が「そうなんです。」と言いました。
以前やはり危篤に陥った時、彼女は、「それはきれいな光を見た」と、御主人に話したそうです。
「その光が、胸の所に降りてきて、身体がほわっと暖かくなって、そうしたら意識が戻ったの。」
そう話したことがあったそうです。

「不思議な話ですね」御主人はそう呟きましたが、とても落ち着いた表情でした。

本当に、たくさんの人に出会っています。
その人たちは、みなそれぞれ苦しみや、悲しみを背負っています。
どうしたら、少しでも力になれるのか。
本当は、私たち自身が、すごく弱くて頼りないのに・・・
それでも、この仕事が好きです。
みなさんに出会えてよかったと、本当に思えることができるカンファレンスでした。



27回緩和ケア研究会

2009-07-21 23:00:27 | めぐみ在宅緩和ケア関連
第3火曜日なので、緩和ケア研究会でした。

今日は、雑誌「AERA」の取材も来ている中、60名近い参加者で、熱気むんむんでした。

今日のテーマは、T訪問看護ステーションと、二ツ橋ケアプラザのデイサービススタッフのプレゼンでした。

最後までデイサービスを利用し、デイサービスもそれに応えていきながら、在宅での生活を支えた事例でした。
訪問看護も、緊急出動を繰り返す中で、安心を提供できたようです。

度重なる不幸や、経済的な困窮の中で、いかに御夫婦でサービスを選択していったか、それにどう対応していったか。
「サービスを受けない選択」を支えることも、ケアマネジャーには必要だということも、話し合われました。

今回も、5グループに分かれ、
①苦しみを強くするもの。(希望と現実の開き)とは。
②支えはなにか。
③どんな私達であれば、支えを太く出来るのか。
を話し合いました。

ファシリテーターとして、私を含む5人が意見を総合し、発表していきました。
また、介護の現場において、支えようとする私たちもまた、支えが必要であることなども話し合われました。

最後に、「AERA」の表紙を飾るべく、小澤先生を中心に、全員で写真撮影を行いましたが、どんな表紙になるんでしょうか??

会が終わって外に出たら、どしゃぶりの雨でした。ひょえ~

今月の緩和ケア研究会

2009-06-18 21:45:48 | めぐみ在宅緩和ケア関連
6月16日は、めぐみ在宅クリニックの在宅緩和ケア研究会でした。
今月は、うちのステーションと下瀬谷ケアプラザ、Kヘルパーステーション、めぐみ在宅のチームで看取った、独居の方のケース紹介から始まりました。
ケース紹介の後、良かった点を挙げ、その方の支えは何だったのかを考えました。
そして、現実と希望のギャップをどこまで埋められたのかを検証。
本人の希望がある程度かなえられたことを確認しました。
では、現実に今後社会の中で、どのような体制があればいいかを、生活面と、医療面に分けて考え、また、支援や医療を拒否する人に対し、医療的な裁量を何所まで行使すべきか、をグループワークで話し合いました。

24時間体制のヘルパー事業所を増やすことや、ヘルパーの行える医療的な行為を増やす必要があること、またインフォーマルな支援をもっと増やしていくなどの意見がおおかったのはもっともな話でした。
しかし、医療や支援を拒否する人にとって、周囲の人がなんだかんだと入ってくるのは、もしかしたら「ありがためいわく」かもしれないという意見もありました。
たしかに、この事例の方も、自分から近隣のかたを遠ざけていたようです。
でも、寝たきり状態のなってからは、どうだったんでしょう?
近所の方ではないものの、私たちを受け入れてくれた。
必要な時に、必要なだけかかわってくれればいいんですよね。
だからこそ、最後まで覚悟をきめて一人でいられたのでしょう。
まあ、これも実際は難しい話ですが・・

自殺しようとする人を止めるのは、裁量権の行使ですが、末期癌の人が治療をやめて緩和ケアを選ぶことは、可能なことです。

じゃあ、癌じゃなくて衰弱している人を、本人の意思だからと言って放って置いていいのか?

けっきょく、法の問題が大きく立ちはだかり、答えは出ませんでした。
法律的なアドバイザーがやっぱりほしいですね。

でも、言えることは、自分の最後を自分で選ぶ権利と、十分判断した上でそれをサポートする人たちも、守ることができればいいなと思いました。
そこが守られないと、在宅での旅立ちを支援することが難しくなってしまうと思いました。

まだまだ、難しい課題を残す結果となりましたが、地域でそういう看とりについて、意識的にかかわれるようになれれば、それはそれでよいきっかけになったのではないかと思っています。

今回も、ケアマネや看護師のほかにも訪問入浴スタッフや、大学院生なども盛況のうちに終了しました。

ちょうど、ゲリラ雷雨で、外では激しい稲光と落雷で、帰りにみんさんずぶ濡れになったのではないでしょうか。



翌日の水曜日は、午後から横浜市民病院の地域連携会議に出席。
そのあと、市民病院の緩和ケア病棟を見学させていただきました。

全室個室で、広さもあり本当によく考えられて作られていました。
立派な機械浴もありました。
でも、私はどうなんだろか。ここで死ねるだろうか?
夜をどんなふうに過ごすのだろうか?
と、ちょっと考えてしまいました。
また、1泊あたり12000円弱の部屋代と、そのほかに治療費がかかるので、経済状態も余裕がないと入れないようでした。
大急ぎで見学してから、在宅人工呼吸器の勉強会に出席して、長い一日が終わりました。

ここにきて、波がまた寄せてきておます。
ケアマネと訪問看護セットで御依頼の方や、「早急な訪問お願いします。」
など、まいにち外から戻ると私のデスクは、張り紙の山です。
とにかく、一つずつこなしていくしかありません。
手術までの2週間で、なんとか収集をつけたいと思っています。

存在と生きる意味を支える援助。

2009-06-09 22:17:05 | めぐみ在宅緩和ケア関連

今日から、医学部看護学科の学生さんの実習が始まりました。
午前午後の同行実習の間に、めぐみ在宅クリニックでの「デスケースカンファレンス」に連れていきました。
今日のケースは、うちのステーションで1年以上かかわった患者さんの振り返りであったため、スタッフも4人参加しました。

「すべて自分で納得し、決定する。」それが支えでありました。
「生きたい。そのためには絶対にあきらめないで、最後まで戦う」
その強い信念のもとで、辛い化学療法に通い、痛みのコントロールがうまくいかなくても、麻薬の増量を嫌がり、病状がすすんでも決して在宅緩和ケアのための往診医を受け入れない方でした。

その間の、葛藤はとても壮絶なもので、常に傍で支え、寄り添い、受け入れていたお母さんなくては、成り立たなかったとおもいます。

そして、担当していたスタッフも、その苦しみを緩和できないことに、同様に苦しんでいました。

約1年間の療養の中で、ほとんど自分で決定し、ベットもリフターも車いすも、全部自分で選んできた方です。
反面、進行している現実は、気ずていたはずです。
しかし、あえて目をそむけているようでした。
そして、苦痛を取るために必要な、いくつかの医療的なアドバイスを、受け入れようとはしませんでした。
それは、自分の病気を受け入れ、現実を目の当たりにするかもしれない、恐ろしいことだったのかもしれません。

痛みのコントロールが不良で、何度か往診での緩和ケアもお勧めしましたが、それはきっと、「戦うことをやめることと」と考えたのではないでしょうか。

どんな言葉も、その方の強い信念のもとでは、空回りするだけでした。
しかし、病気はどんどんと進んでいきました。

しかし、振り返ってみて、「自分で決定すること。=自律」が支えである患者さんにとって、たとえそれが痛みを伴うことであっても、そこに沿うことが支えででもあるわけです。
本当に必要な情報を、提供する難しさはありますが、その支えに沿うことが、存在と生きる意味を支えることになる・・
私たちは、患者さんを管理するのではなく、その存在と生きる意味を支えることが使命なのですから。
この方の場合、そこにはお母さんと言うすばらしい援助者がいました。
本当に、このお母さんとであえたことを感謝しています。
こんなにも、母親は強く大きいものなのだと、教えられました。
何にがあっても、わが子の思いに沿った母でした。
苦しくて、当たり散らされて、なじられても、わが子を必死に守ろうとしていました。
担当のスタッフは、「本当に、お会い出たことを感謝いたします。」と涙していましたが、それはみな同じ思いでした。

お母さんは、時折ハンカチで涙を拭きながらも、静かに淡々と当時を振り、お話をしてくださいました。
結局、最後はお母さんの決断で、小澤先生に入っていただいたのですが、すべて受け入れご両親や御兄弟に看取られ旅立ったのはそれから10日ほどのことでした。

ほんとうに、勉強をさせていただきました。

どこか、あっけにとられたような感じの学生さんでしたが、きっと彼女たちなりに感じたことがあったと信じています。
まだ、臨床すらよくわからない学生さんたちですが、私たち看護師は決して、患者さんを管理する立場にあるわけではないことを理解してほしいと思います。
病院では、ともすれば病気は見れるけれど、プライドばかりが先行して、人をみれない看護師や医師がたくさんいます。
フィジカルアセスメントも大事ですが、その前に本当の意味での援助とは何かを、最初から学べる機会があるといいですよね。

在宅緩和ケア研究会 その2

2009-05-20 23:40:10 | めぐみ在宅緩和ケア関連
昨日は、めぐみ在宅クリニックの、在宅緩和ケア研究会でした。

今回は、対話記録ではなく、
「どんな病気でも、どこに住んでいても安心して最後を迎えられる地域になれるか」
というテーマに沿った、フリーディスカッションをすると言うことで、かなりの人が集まりました。
進行は「瀬谷の母」と人が呼ぶNPO法人「ワーカーズわくわく」の代表中野さん。
区の高齢福祉課の人たち、ケアプラザの人たち、それに訪問看護ステーションや、あちこちのケアマネや、訪問入浴のスタッフ、病院の連携室ナース・・・
ぎゅうぎゅうずめの状態の中、A to Z 始まりから終わりまで。
プロジェクト「Z 40」(在宅死40%だって?!)と題して、地域で見取れるシステム作りの基礎を作る、と言うもくろみに皆見事に巻き込まれていったのでした。
今回は、そのために「今できることは何か?」をピックアップし、分類しました。
まとめると、
*支援の体制作り。
*情報の共有化。
*啓発や研修
*家族支援
*ボランティアや後進の育成
に大きく分類されました。
今後は、「在宅でも死ねるぞ」実行委員会を作り、このテーマに沿って、「支える人も支えられる」地域を作っていここうと言うことになりました。
・・・
しかし、これって大変なことです。
どこから手を付けていいのやら・・・
とりあえず、行政も巻き込んでのプロジェクトになりそうです。
川越 厚先生の「地域緩和ケアシステム」も参考に、瀬谷独自のネットワークができるといいのですが。

来月は、実際独居で看取りをしたケースを紹介し、検証することとになりました。
最初のケースは、めぐみ在宅とうちのステーション、下瀬谷ケアプラザ、輝きの杜ヘルパーステーションのチームで看取ったケースとなりました。

来月は、このケースをどのようにプレゼンするかで、今後の方向性が決まってくると思うので、十分練ってみたいと思っています。


すごかった。今日の在宅緩和ケア研究会

2009-04-22 00:15:27 | めぐみ在宅緩和ケア関連
今日は、めぐみ在宅クリニックの「在宅緩和ケア研究会」の日でした。
今日の会話記録は、うちのステーションから小澤先生にお願いした患者さんでした。
ご紹介当時、便秘から肝性昏睡になりかけ、意識レベルの落ちていた患者さんで、かなり傾眠傾向だったのですが、約45分ほどの往診時間の中で、びっくりするくらいお話をされていたことを知りました。
特に某病院から、まともな病状説明も、今後の選択肢も説明されずに、丸投げするように退院されてきた患者さんだったので、小澤先生との会話は、かなり衝撃的だったように思えます。
長い会話記録を読み合わせ、そのやりとりが現実味を帯びて見えてきます。
そのあと、先生との対話の中でどこがキーワードであるか、またどの対応が良くないか、ではどうすればよかったかを、村田理論や小澤先生の手法を学びながらディスカッションしていきます。
恒例のように私がまず指名され、そのあとで小澤先生が「品川先生は、どう思われますか?」と振りました。
私の真後ろに、穏やかな微笑みをたたえ、その方はいらっしゃいました。
どうやら、有名で偉い先生らしいのです。
小澤理論では「患者さんの苦しみをわかることはできない。しかし、その患者さんから見て、理解者であると思えるような存在になる」事が大切であるとしています。
思い込みや、自分の世界観を捨て、あくまでも相手の会話の中からキーワードを拾い、それを反復することで、次の重要な会話へと掘り下げ、支えを見出す手法です。
しかし、品川先生は「ご家族への感謝の言葉を、表出出来るように話を誘導し、この場合妻への感謝を伝えることが支えになる」というような事をお話しされました。
これは、小澤理論とは正反対の手法です。
で、小澤先生はさらに持論を展開し、品川先生もさらに持論を展開するという、公開講座のような研究会となりました。
品川先生は、後で調べたら品川博二先生と言って、スピリチュアルケアや、心理学の世界での第一人者だそうで、著書もたくさんあるし、あちこちで公開講座ももたれているすごい先生でした。

こんなすごい先生と、小澤先生の真っ向勝負が、こんなにまじかでただで見れるとは・・・。ラッキー
とはいえ、私たちはふだんから在宅の現場で、小澤流のケアを行っている身。
やっぱり小澤先生の理論のほうが納得できました。

訪問看護を初めて10年以上たちましたが、緩和ケアに取り組見始めて、この研究会にも必ず参加し、デスケースカンファや、たくさんの看とりの中から、本当にいろんな事をまなばせてもらったなーと感謝しています。
たまたま、小澤先生と一緒に仕事をするようになって、時代背景もあって、今在宅緩和ケアに取り組んでいますが、これってほんとうに贅沢なことなんだと思います。
自分だけの思い込みかもしれませんが、患者さんとの会話が、自然にできるようになりました。聞く姿勢がわかった気がします。
まだまだ未熟ですが、せめて寄り添おうとする気持ちを伝えられればと思っています。

在宅緩和ケア研究会 その1

2009-03-18 23:33:15 | めぐみ在宅緩和ケア関連
毎月第3火曜日の夜に、連携先のめぐみ在宅クリニックで地域緩和ケア研究会をやっています。
なんだかんだで、もう23回もやっていて、ほとんど出席しているので、なんとなく会話記録の分析も注意散漫になってきていて、そろそろ形を変えてはいかがなもんだろうか、と思ったりもするこのごろだったけど・・・
やっぱり、まだまだわかっていないんだなーと、再び反省しました。
会話記録から、どこでどのような反復をして、相手に自分を理解者だと思ってもらうか…そして、そこから、その人の支えを理解し、マイナスをプラスにできるか・・・って、ハ~。難しいですわ。

それでも、今回自分の思い込みで会話を進めてしまった先生の反省から、「自分の世界観で思い込み、一方的に会話を進めることは、絶対にしてはいけない」ということ。
自分が理解者ではないと思うばかりか、ひいては、自律を失わせることになる。

ここで、あの補佐人を思い出してしまいました。
自分の価値観、自分の正義、自分の知識の中から導き出した、理想のプラン。
それこそが、自分の世界観で思い込んだ、彼のための最高のプラン。
だから、彼女は失望し、今までの生活を否定されたことで自律を失った。

たとえ認知でも、身体が動かなくても、自分で選択できる、自分の理解者だと思える人に、委ねられる。それが自律なわけですから、理解者でない人に、まったく違う世界観で老後の生活を仕切られてしまっては、気力を失って不穏になって当たりまえなんですよね。
これから、陪審員制度も始まりますよね。
そう考えると、人の人生を左右することを、いくら証拠があるからって個人的な判断で審判を下すのは、めちゃめちゃ怖いことですねー。

最近、独居で最後まで自宅で、と言う方も結構増えているんです。
Aさんは、絶対入院も、医療処置も拒否の人です。
つい、この前まではヘルパーもベットも看護師も医師も拒否していて、ケアマネさんは頭を抱えていたようです。
暖房器具の一切ない家。衣類や寝具も端がほつれるくらいのもの、掃除もしないし、自宅での入浴もしない。
そして、持病がどんどんと悪化して、とうとう寝たきりとなったのですが、入院させても、採血さえもさせない。
何としても家に帰る、と。
そして、願いはかない、彼は自宅で一人、闘病しています。
さすがに、本人も最低限のサービスは了解してくれました。
だって、自分がつらいから。
そして、一緒に入った先生は言いました。
「○○さん。今のご病状から考えると、ごく近い将来、お迎えが来ると思います。」
本人は小さな声でやっと答えました。「覚悟は出来ています」と。
「○○さんは、これから、どうされたいですか?病院や施設ですか?」答えない。
「この、ご自宅で最後まで過ごされたいのですか?」 「はい」

全身に大きな褥創が5か所ありました。拘縮で体は自力では動かせません。
たんも絡み、呼吸も苦しいはずです。自力で水も飲めません。
朝、昼、夕のヘルパーと、訪問看護師、時々Dr、時々遠方から訪ねてくれる甥子さん、それ以外は、その状態で一人です。
処置を終えて、「帰るけど、大丈夫ですか?」と聞くと、わずかに頷きます。
後ろ髪を引かれる思いで、毎日私たちはその家を後にしています。
でも、それは彼が選んだこと。彼の選んだ人生の終焉。
どんなに、悲惨な状況に見えても、何度確認しても、彼がそうしたいことなんです。
この人に、後見人がついて、これは不衛生であり、人として許されざる生活であると判断したら、どうなるんでしょうか??
結果的にそのほうがいいんでしょうか??

わかりませんね。なんか、いくらかんがえても、私の常識が正しいかどうかなんて。

とりとめないことを、書きました。
なんか、このところ難題続きでいささか疲れてしまいました。
もうすぐ3連休。なのに私は緊急当番・・
何事もなく過ごせますように。

めぐみ在宅クリニック・緩和ケア研究会で思う事・・・

2008-11-19 00:19:18 | めぐみ在宅緩和ケア関連
毎回、めぐみ在宅クリニックの緩和ケア研究会に出席していますが、意識して患者さんと対話すると言うのは、本当に難しい事だと感じます。
緩和ケアでの対話の手法は、村田先生というかたの手法で、反復をしながら、対話を深めていくと言う方法です。
たとえば、「病気になってしまって、家族に迷惑をかけているのが辛いんです」と、患者さんが言ったら、「病気になって、家族に迷惑をかけるのが辛いのですね。」と反復します。すると、患者さんは「そうなんです。何度も夜中に起こしてしまって、本当に申し訳ないと思っているのです」などと話が掘り下げられていくと言うわけです。
この、対話ケアの実際の場面を記録に残して、出席者が「この場面の反復はおかしい」とか、「ここは、もう少し言葉を待つべきだ」とか討論するわけです。
私は、連携施設として毎回出ていますが、ボーっとしているときに「大嶽さん、どう思いますか?」と振られると思わず浅はかな返事をしてしまう事があって、毎回ひやひやしています。だいたい、私とわくわくの中野さんが、さくらのように指されるので、構えてはいますが、時々ちょっと気を許していると、あわてる事になってしまいます。そんな、緊張感のある緩和ケア研究会ですが、実際に自分が患者さんと向き合うときに、そんなにうまくはいきません。
反復も繰り返していくのは、かなり勇気のあることで、へたをするとただの「オウム返し」になりかねませんので、まだまだ修行は必要です。
それでも、患者さんと向き合うときの姿勢や、聴こうとする思い、寄り添いたいと願う気持ちは、すごく強くもてるようになりました。
よく、患者さんの言葉に「すごいなー」と思う事があります。
死を目前に、毅然として向かい合う方や、穏やかな笑顔でいられる方。

口腔内の腫瘍から出血して止まらなくなっても、まったく動じず、口のなかに指を突っ込んで、あごを押さえている私の腕をきずかって、そっと手を添えてくれたおばあちゃん。血まみれの中、断続的に襲う痛みにもじっと耐えて、「大丈夫」と言って小澤先生が来るまで、横になろうともしませんでした。
「すごいなー」「格好いいねー。」「さすがだねー。」
次の日の朝カンファは皆で感心しまくりました。

ある主婦の方は、「痛くなく、苦しくなく、ここで目を閉じさせてください」
とお話しました。
「家族がじたばたしないように」と・・
私なら、言えるでしょうか?きっと、私がじたばたします。
でも、でも、次の日彼女は言いました。
「薬を使うと眠くなってしまう。眠くなって、目を閉じるのが怖い・・」と。
そうなんですよね。やっぱり怖いんですよね。
強くいようとする心と、逝かなければならない恐怖や悲しみ。理不尽な思いで戦っているんですよね。

私たちは、何も出来ないけれど、その言葉を一つ一つ丁寧に聴かなければいけないと学習しました。
聴く事、そばにいることから始まるのですから。
失敗もありますが、失敗は反省して繰り返さないように頑張るしかないし、とにかく「逃げない事」。
それが一番大切なのです。

めぐみ在宅クリニック[追想の集い」に行ってきました。

2008-10-12 19:50:22 | めぐみ在宅緩和ケア関連

今年も、献杯の挨拶を指名されましたが、なかなかタイミングが難しいですよね。
昨年は、うっかり乾杯と言いそうになって、冷や汗をかきましたが・・
今年は、献杯の後の着席の声をかけ忘れ、佐藤さんにフォローしていただきました。すみません・・
とはいえ、お見送りした、たくさんの患者さんのご家族と久しぶりにお会いできて、泣いたり笑ったりの3時間でした。
今でも、ご家族から「逢いたかったー!」と言って頂けることが、何よりうれしかったですね。
それぞれのご家族に、それぞれの思い出があって、旅立った人々のあれこれを懐かしみながらも、今、元気に毎日を過ごされているご家族の姿に、ほっとしたり、励まされたりでした。
サーファーに愛された、Yさのお孫さんは今日も元気に、小澤先生に話しかけたり、テーブルの間を行ったり来たり、周りの人たちと人懐こくお話していました。最後は、お皿まで配ったりで、みんなも元気をもらったんじゃないでしょうか。
彼は、Yさんが亡くなった時、看護師のお手伝いをして、「おじいちゃんの爪は僕が切る」と言って自分から手をとった優しい子で、将来は「小澤先生みたいなお医者さんにんなる」と言って、今でも小澤先生からプレゼントされた、看取りの本を繰り返し読んでいるとの事でした。
この子の書いた、先生への手紙は、おじいちゃんへの想いと共に、本の内容を自分なりにちゃんと解釈して感想を述べていて、みんなびっくりしたものです。
(きっと、アホな医学生や、看護学生でも気ずかないだろうな、と言うことまで書いてありましたよ)。こんなふうに、将来を担う子供たちが、目標も持って、歩き始めてくれることは、すごくうれしいことですよね。
今日の、参加者のご家族の中に、看護職の方もいて、訪問看護に興味をもって下さった方もいて、なんかすごくいい時間を過ごせました。
NHKの「最後の願いをかなえたい」で、患者さんに「何もしてあげられない」と涙していたうちのS.Kも、そのご主人に再会して、また何かを得たようです。
本当に、患者さんや、その御家族から、たくさんの事を学ばせてもらっています。
これからも、いろんな出会いと、別れがたくさん待っているのでしょうが、私たちもその中で成長しながら、いい看護ができたらいいいな・・とあらためておもう私でした。