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こぶた部屋の住人

訪問看護師で、妻で、母で、嫁です。
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42回 めぐみ在宅地域緩和ケア研究会

2010-10-19 23:04:34 | めぐみ在宅緩和ケア関連
今日は、移転後初めてのめぐみ在宅緩和ケア研究会でした。

日産のショールームだっただけあって、この広さ。


外来待合室と研修ルームですね。
ピッカピッカです。
車も結構停められますが、2階Pはすごくカーブがきつくて、切り返さないと登れませんでした・・。
次回からは、やっぱ歩いてこよっと。

今日は30分ほど、いつもの「支え」についてのお話で、初めて参加された方は熱心に耳を傾けていました。

このあと、地域別にKJ法によるグループディスカッションを行いました。
瀬谷区、旭区、泉区、その他の地域の4グループに分かれ、その地域の課題対策を話し合い、そのうえで、あればめぐみ在宅に望むことを話し合いました。

瀬谷区は、私がファシリテーターを務めましたが、瀬谷の菩薩であられる中野さんやうちのスタッフや、あゆみ訪問看護STの管理者や、傾聴ボランティアさんなどの知った顔ぶれが多く、新鮮なところでは高校生の時、小澤先生の講演を聞いて医師をめざして医学部に入った青年とその母なんかもいて、活発な意見が出ました。

その他の地域は、どちらかというと大学病院の医師や、他区で在宅緩和ケアをやっている医師、病院ナースなどが多く、話の収集がなかなかつかないほど盛り上がっていたようです。

多かった意見としては、
本人が在宅を希望しても、周囲の環境や意見がそれを阻んでいることや、在宅療養ができる環境であると言う事さえ、知らない人たちがまだたくさんいるのではないかと言う事でした。
また、在宅療養をしていても、介護者の逃げ場がないことや、レスパイトとしての受け入れ先が非常に少ないこと、在宅での看取りまで責任を持ってみてくれる医師が限られていることなどでした。

そして、訪問看護師や在宅支援診療所の医師、一部の介護事業所が行っている、24時間体制が体力的にも、精神的にも負担が大きく、絶対的にマンパワーが不足しているという声もあがりました。

今後、人材育成や情報の交換や発信、多様化する相談にも対応できるネットワークを作り上げていくことが必要という結論となりました。

でも、こういう勉強会にしても、あちこちでのセミナーにしても、自分からアンテナを張っていなければキャッチできないわけですよね。
意識的に多職種と接点を多く持ったり、いろんな意見を聞いて改善しようとしなければ、何も変わらないわけで、どうしたらそこに意識を向けてもらえるのかも課題だと思いました。

ヘルパーさんだって、隣のおばちゃん感覚で仕事をしている人もいれば、プロ意識を持ってあっぱれな仕事をしていく人もいますよね。

ある事業所のヘルパーさんは、おなかの調子が悪い患者さんに「じゃあ今日はおかゆにしましょうね。」と言って、ご飯にお湯をかけて、ふやけたら食べるように言ったそうです。
しかも、おかずはジャガイモをチンしてマヨネーズをかけたものだったとか・・。
居合わせた者が、「あなたどこのヘルパーさんですか?」って聞いたら「えーっと、えーっと。確かここに電話番号と名前が・」ってカバンを探りはじめたそうで、「自分の職場の名前も出てこないのか?!」って、あきれてものが言えなかったそうです。
これは本当に、つい最近あったことですよ。

やはり、同じラインに立って初めてチームが組めるわけで、まずは底上げしないとまずいんじゃないかと・・。
もちろん施設も同じですね。
二言目には「何かあったら責任問題」「事業所を守らねばなりません。」って、逃げることしか考えないで、都合のいい利用者さんだけ選りすぐっている施設と、一生懸命さがビンビン伝わって来るような施設との差が大きすぎますから。

そんなに何かあるのが怖いのならgitanisさんじゃないけれど、「やめちまえ」って言いたいです。

第4回めぐみ在宅クリニック「追想の集い」

2010-10-03 22:57:28 | めぐみ在宅緩和ケア関連
今日は、昨年8月から今年の7月までに亡くなられた患者さんのご家族をお招きしての、「追想の集い」が行われました。
今年からは参加人数が増えたたため、2部に分かれて行いました。
私は、1部から参加させていただき、例年通り「献杯」の音頭を取らせていただきました。

うちのステーションでお見送りした患者さんのご家族は、2部にお招きしていましたが、お一人だけご都合で1部に見えた方がいらっしゃいました。

忘れられない患者さんのご家族です。(昔の歌アディオスちょい悪おじいさんなど)

わざわざ、東京から駆けつけてくださって、お会いできてとてもうれしくて・・。
お父様の介護にまつわることや、チームとしての援助に感動したことなど、追想のスピーチもして頂きました。

息子さんは、お父様を見送る半年前に、お母様を東京の自宅で看取られたそうですが、その時も地域の医師に往診をお願いしており、訪問看護や訪問介護を受けられたそうですが、その時は、それぞれの仕事がばらばらに来て、それぞれケアをしていくという感じで、それが普通なのだと思っていたそうです。
しかし、瀬谷でのお父様にかかわる医師、看護師、ケアマネ、ヘルパーの息の合った連携にびっくりしたと言われました。

『本当に「チーム瀬谷」は、すごいです!僕は、びっくりしましたし、感動しました。
ああいう父ですから、さぞみなさん大変だっただろうに、私たちが何もしなかったのに、あんなにも父の思いに沿った最後を遂げさせてもらって、本当にありがとうございました。』

何度も、何度もありがたい言葉をいただきました。
残念ながら、今日は「瀬谷の母」こと「わくわく」の中野さんは、ご事情により欠席されており、とても残念なご様子でした。

2部には、うちのスタッフも3人応援に来てくれました。
2部には、懐かしいご家族がたくさん見える予定です。

入り口での受付を終えて、目が合ったとたんに「会いたかった!!」そう言って抱きつきてきて涙をぽろぽろこぼされたSさんの奥様。
「お久しぶりです!私もあいたかった。なんだか、小さくなりましたね?」
本当に、やせて小さくなった肩を抱きしめて、悲しみの大きさを知りました。

次々と、「あー!お世話になりました!」そんな挨拶があちこちで飛び交います。

ご夫婦でみえる方、お一人でみえる方、お子さんたちとみえる方・・

最初からハンカチでずっと涙を拭いている方・・。

ご主人を家に連れて帰りたくて、泣きながらご相談に見えたOさんの奥様も見えています。
やっぱり、まだまだ悲しみは癒えません。
「もっと早く連れて帰ればよかった…。病院の先生がなかなか帰してくれなくて、本当に悔しくて・・」
私の手を握り締めて、やはり細くなった肩をずっと震わせていました。

懐かしいお顔の皆様と、ご挨拶しながら、一人一人の患者さんとのエピソードが思い出されます。
スタッフも、他のステーションのみんなも、ご家族の中に入ってお話に夢中です。

そして、あの素敵なAさんのお嫁さんの笑顔もありました。
今日は、優しそうなご主人と一緒です。
Aさんも、とても素敵な方でした。(「お別れの後でも・・>」「思うようにはいきません」)
ご家族全員にあだ名をつけて、何よりお嫁さんと仲が良くて、お嫁さんは『コマドリさん』。
そう、ぴったりのニックネームです。
私は、コマドリさんに会って、こんなに素敵な人と出会えたことを、本当に感謝しました。
人を愛してやまない人。
「最初に好きなっちゃえばいいのよ。」そういって笑う人。
ご主人のお父さんを、誰より愛した人。
それは、今でも寸分たがわず、横にいるご主人がにこにこと妻を見る笑顔が、どれほど彼女をいとおしく思っているかがわかります。
「歌、まだ歌ってますか?」私が聴くと、「もちろん、歌っているわ。」
「コマドリさんのうた、聞きたかったんだけど・・」「歌いましょうか?歌っていいのなら、一曲歌いたのだけれど。」
彼女は、声楽家です。
おうちには、レッスン用の大きなピアノがありましたっけ・・。
「もちろん大丈夫に決まってるけど、聴いてくるから待っててね」
当然それはウェルカムなわけで、会の終了もちかずいた頃に、登場していただきました。

「伴奏もマイクもいりません。」って。

そうして彼女は語り始めました。
「昔からずっと、遠くに行ってしまった大切な人を思い出すたびに、歌っていた歌です。」
「磯部 俶作詞・作曲 遥かな友へ」

一呼吸おいて、こまどりさんは、美しい声で歌いだしました。


  静かなよふけに いつもいつも
  思い出すのは お前の事
  お休みやすらかに たどれ夢路
  お休み楽しく こよいもまた

  明るい星の夜は はるかな空に
  思い出すのは お前の事
  お休みやすらかに たどれ夢路
  お休み楽しく こよいもまた

  寂しい雪の夜は いろりの端(はた)で
  思い出すのは お前の事
  お休みやすらかに たどれ夢路
  お休み楽しく こよいもまた


彼女のよく通る歌声と、この美しい歌詞は、出席した人々の心を打ち、それぞれの遥かな人へと届いたようでした。

そのあとは、全員で「里の秋」を歌い、涙がご家族の頬を伝いました。

私の隣に座っていたOさんの奥様は、声にならずにずっと泣いていました。

そして、会の終わるころには、そばにいたご家族同士ですっかり打ち解けあって、お互いを励ましあったりしながら、お互いの思いを共有していました。

実は、小澤先生のやり方には、反発する声やうがった見方をする声もあるのは事実です。
そりゃあ先生だって人間なので、時にはびっくりするような飛ばし方もして、追いつけない時もありますが、どんなことを言われても、やっぱり小澤先生はすごいなぁ・・と思います。

いろんなことを言う人たちはいるけど、これだけの患者さんのご遺族に声をかけて、こんなに集まって「自分の時にも絶対にお願いします!」そう言ってもらえるのですから。

プラスだったりマイナスだったり、それは確かにあるけれど、それを補ったりもらったりする人たちも周りに集まっている。

人間だから、もちろん合わない人だっているだろうけれど、少なくとも在宅診療をするのに、いろんなハードルつけて、自分の都合のいい患者しか見ないようなことは、絶対にしない先生です。

在宅緩和ケアは、これからの分野だと思います。
「こうでなくてはいけない」ではなく、もっともっと柔軟にならなくてはいけないと思います。
私も、今日確信が持てました。
自分は、押し流されないようにしようと。


41回在宅地域緩和ケア研究会

2010-09-21 22:03:26 | めぐみ在宅緩和ケア関連
今日は、今のめぐみ在宅クリニック最後の緩和ケア研究会です。
次回からは、厚木街道沿いの、あのド派手なうさぎマークの看板が目印の、元日産ショールームをそのまま活用した新クリニックにで行われることになります。

でも、ここのクリニック、結構こじんまりして好きだったんですが・・・。

とはいえ、今日は久しぶりに「対話記録」を使ってのトレーニングとなりました。

私はといえば・・・
3連休ずっとパワーポイントにらんで夜なべしていたので、朝から休みなしで4件訪問して、帰ったと思ったとたんのバタバタの連絡などで、すっかり疲れてしまって眠くてしょうがない状況・・・

ケースの対話を読み上げているのを聞きながら、朦朧としていました。

今日はぜったいに、ファシリテーターに指名されないように、後ろの陰に隠れていました。

グループワークでやっと目が覚めて、なんとか眠らずにすみましたが、マジ、眠かったですわ。

今回、「苦し」みと「支え」をどうとらえるのかわからない場面があると、ある参加者から質問がありました。

苦しみには
「歩けなくなってしまったこと。大好きな自転車に乗れなくなってしまったこと。病気と、老いがそれらを奪ってしまったこと。」などがありました。
支えには、
「自転車に乗って鎌倉や海など、遠くまでサイクリングをしていた事、その道順や流れる景色の楽しさを思い出し、懐かしむこと。」
があげられました。

けれど、自転車に乗って遠くまで行けたことは昔のことで、今は歩けないし、動くこともできないのならば、それは支えにはならないのではないか?」
という質問でした。

けれど、人生で一番輝いていたころの記憶は、その人の存在価値そのものであり、ライフレビューを聞いていく中では最も大切な話となります。

つらい現実の中で、川沿いを海に向かって一心に自転車を走らせた頃の自分を思い出し、その時の風を感じ、目の前に開けた青い海を脳裏に見たのだと思います。
それは、確かに自分が生きた存在そのものだと思います。

私たちは、その思い出というには身近すぎる話「○○病院の角を曲がって、まっすぐ行くと鎌倉に出るんです。ルートはいろいろあるんです。」などという話を聴き、そこを膨らましていくことで、私たちも本人も、もっと大切なコアのようなものを知ることができるかもしれません。

心は数値では表せませんし、何を会話して何を感じるかは、それぞれの人の心ですよね。
難しいけれど、大切なものです。

そんな話もありつつ、今日の勉強会は終了しました。

明日は、なんとか残りのスライドを完成して、連絡協議会に送らないと・・・締切なんですよ。
明日こそは、残務整理も頑張ろう!

出会えてよかった。

2010-08-24 23:04:09 | めぐみ在宅緩和ケア関連
今日は、第4火曜日なので、めぐみ在宅クリニックでのデスケースカンファレンスでした。
かねてから、ご希望があった市大看護科の学生さんや、市大医学部の学生さんも参加しました。

ケースはうちのステーションでお見送りしたMさん。

奥様が来てくれました。

久しぶりにお会いした奥様は、あの時5キロもやせてしまったままでしたが、とてもお元気で「きゃー!久しぶり!」と満面の笑顔でご挨拶してくれました。

ケアマネも兼任してくれたスタッフSも合流して、カンファが始まるまでの間、なんとも賑やかに話が弾みました。
デスケースカンファで、こんなに明るくにぎやかで良いものかと思うくらいでしたが、Mさんご夫婦の事ですから、これでよいのだと思いました。

奥さんいわく「ねえねえ、これって私たち特別な例なの?私此処にいていいの?」とちょっと心配気。

「いいのいいの。特別なことではなくて、ここでの関わりで亡くなられた方は、あとでこうして反省会みたいな事をするの。もちろんできる限りご家族にも来てもらって、みんなで振り返るのよ。」
「えー。そうなの。」
そして、直後にかかってきた携帯に「あとでね。これから、○ちゃんの先生や看護師さんと反省会するから。」って言っていました。
その言葉に、スタッフみんなの笑顔がこぼれました。

なんというか、Mさんの残した奥様は、そんな素直でかわいらしい奥様だったんです。

最初の経過から、いつものように振り返りました。

*苦しみは・・・
*支えは・・・
*良かったことと反省点は・・・
*今後の課題は・・

苦しみは、やはり痛みと、痰がらみ。そして、呼吸困難。

何を使っても完全にはとれない苦痛は、鎮静をするしかないのですが、それも個人差があります。
課題は、そこをどうクリアするか・・・
今後もずっと引き継がれる課題です。

けれど、苦痛は身体が感じる苦しみだけではないのです。
特に自律の強い方であればなおのこと、自律を失う苦しみは、絶望感へとつながります。
歩きたい。トイレに行きたい。食事がとりたい。妻と一緒にいたい・・・

先日肺がんで亡くなった梨本さんが、「トイレに行けなくなった」ことをとても辛いと言っていましたね。
それも自律を失うと言う事です。

でも、支えもたくさんありました。
何より、いつも頼ってばかりで、危なげでおっちょこちょいの妻が、『自分が絶対頑張って最後まで介護する!』と心に決めて、本当に必死に頑張っていろんな事を覚え、あるときから立場は逆転して、妻が誰よりも頼りになった事です。
心強く、ありがたく、そして、安心して旅立てたとおもいます。

妻は言っていました。
『私ね、主人がいなくなったら、きっと毎日泣いて暮らすのかと思ってたの。でも、介護している時の方が泣いてた・・。
今はなんだかちっとも涙が出ないのよ。』

「そうね。頑張って頑張って、一生懸命やりきったもの。すごかった。えらかったもの。だから涙は出ないのよ。」
みんながそう言いました。

「そうかかもしれない。」と嬉しそうな奥さん。

「主人の病気で、先生や看護師さんやヘルパーさんや、いろんな人と出会えてよかった。すごく恵まれたと思います。でも、出来れば病気じゃない状態で、主人と知り合いになってほしかった。主人はすごい人だから。」

心の底からご主人を尊敬していた奥さんです。
本当に、違う形でこのご夫婦と出会えていたら、もっといろんことを教えてもらえたかもしれないし、もっと楽しい時間が過ごせたかもしれないと思います。

でも、この時に出会えてこそ・・と言う事もありますよね。

出会うべくして、出会ったご夫婦です。

そして、本当に出会えてよかった。

たくさんの出会いと別れ。

どの出会いからも、どの別れからもたくさんのものを頂きました。

これがあるから辞められないんですよね。本当は・・・


第40回 めぐみ在宅地域緩和ケア研究会

2010-08-18 23:36:49 | めぐみ在宅緩和ケア関連
昨日は、緩和ケア研究会でした。

今回は、いつもの事例検討会ではなく、めぐみ在宅との連携ではない場合を想定して、最後まで家で過ごしたいと願う老々介護のケースの問題点と対策を、職業別にディスカッションするという形でした。

出席者は、病院関係、訪問看護師、ケアマネジャー、その他の職種(患者家族を含む)に分かれて話し合いました。

地域としては、瀬谷区を中心として、泉区、旭区そして今回は座間の訪問看護ステーションのかたも初参加となっていました。
病院グループでは、東邦大学の心療内科の医師もおり、大学病院としての受け止め方や、役割などの意見も出されました。

また、現役看護師から横浜市大の医学部看護科の看護過程に在学中の学生も参加しています。

訪問看護師サイドでは、一般的な環境調整や、療養環境の確保、家族支援は当然あるものとして、すでに決まっている在宅の主治医の中で、実際最後まで看てもらえないケースや、緩和ケアそのものが出来ない医師がいること、面倒になるとすぐに入院を支持する医師や、予測指示もなく、チームとしての在宅医療を理解していない医師がまだまだ多く、まずそこがクリアできないと、患者さんの望む在宅療養を実現することは難しいという話が出ました。

医師としては、現実問題リスクを最大限回避することに躍起になっている人も多く、柔軟な対応はなかなか難しいのが実情です。
これは、訪問看護もしかり、各サービスでも言えることですが・・
これについては、自分たちの立場も守らなければ、次の患者さんも支えられなくなってしまうため、法の壁をいかにうまく潜り抜けるかが課題ですね。

今後に関しては、やはり人材育成をしていくことが最大のテーマと言うことだと思いました。

在宅医療に関しては、生活の場であることをまず基本として、それを支えるケアマネ、ヘルパーの意識も変えていくことや、医師、看護師、薬剤師、さらにインフォーマルな関わりも含めての、学習の場を今後も継続し、広めていくことに意義があるということが語られました。

地域が違うだけでいまだに24時間対応の訪問看護ステーションがなく、往診医も少ない中、ご利用者さんのほとんどが最後は病院という地域もありました。
この地域の薬剤師さんの発言に「ヘルパーや薬剤師も、在宅のケアチームの仲間として認めてほしい。」と言うものがあり、驚きを隠せませんでした。
なぜなら、私たちはすでに薬剤師とも常に連携をとっていますし、ヘルパーとの情報交換もかなり行えていると自負しているからです。
中野御大が、「なぜ、そういう話が出るのか、とても不本意なおもいです。どうか、ご自分たちからどんどん入ってきてください。」と言ったとき小澤先生より「これが地域の格差なんです。ここが(瀬谷)普通だと思わないで下さい。まだまだ、地域連携の基盤が整っていない地域のほうが多いんです。」と言うようなことを言っていました。

実際、田舎のご家族の事で、地域のあまりの格差で頭を抱えているスタッフも多く、現在の恵まれた環境に慣れてしまっている私たちは、ちょっと麻痺しているのではないかと感じました。

とはいえ、まだまだ課題は山のように残っていて、これからこの地域でどれだけの事をしていけるのだろうかと、ちょっと不安になったりもしています。

実際もっともっといろんな勉強もしたいし、外も見てみたいとおもいつつ、ここで腰を据えて頑張ることの意義もあるのではないかと考えたりもしています。

ひとついえることは、このよな場面にいることによって、多くの人たちとも出会うことが出来、あらたな情報や知識を得る事が出来る。と言うことです。
8月26日には、MISSYさんの日本里帰り後のセミナーもあり、初めて楽患ネットの参加もさせていただくので、とても楽しみです。
だからこのブログも、みなさんとの出会いの場として、ほんとうに始めてよかったとつくずく思っています。

できれば、ここから一緒に仕事をしてくれる仲間が増えてくれるともっと嬉しいのですが。。。

こればかりは、どうやらなかなか難しいようです・・・
訪問看護師さん募集中です。


めぐみ在宅納涼会!

2010-07-31 23:22:46 | めぐみ在宅緩和ケア関連
昨夜は、いつもお世話になっている連携先の「めぐみ在宅クリニック」の納涼会にお邪魔しました。

最近のめぐみ在宅は、新しいメンバーも増え、かなりいい感じにパワーアップしてきています。

人生の終末期に向き合っていく職場ですが、その分スタッフは明るく前向きでいなければなりません。

私の職場もそうですが、どこかでパワーをチャージしなければ、前に進んではいけませんよね。

特に事務に入ったばかりのFさん、森三中の黒沢さんに全体の雰囲気が似ていて、今までにない炸裂パワー全開のお嬢さんでした。
めぐみ在宅に新しい風が吹いていますね。

とにかく、顔見知りのメンバーですし、いつもは現場で苦しみと向き合っています。

今日は、最初からハイテンションで盛り上がりました。

一次会は、Y先生御用達?の横浜の居酒屋さん。

料理の量にちょっとびっくりでしたが、美味しかったですよ~



しゃぶしゃぶのお肉もでした~。

K薬局の新店長は、好青年で一生懸命鍋奉行やら注文取りやらと活躍してくれましたよ。

ここで、遅れてきた人たちもそろって、いつもの連携仲間で大いに盛り上がりました!

今回も、小澤先生は1次会でご家族の元へ。

そして、残った有志で2次会へ繰り出しました。

このメンバーでのカラオケは初めてでしたが、役者がそろったという感じで、楽しかったです。

ちなみに、スタッフAさんの矢島美容室の振り付けは完璧でした。

気持ちよーく、昔の歌を中心に盛り上がり、エネルギーチャージを完了することが出来ました。

昨日は、私の咳も朝からほとんど出ることもなく、カラオケでは熱唱できました。
だいたいみんな似たような年代なんですよねー。
って、Y先生ごめんなさい。一緒にしちゃあ失礼ですね。

最後は、Y先生が無理やりいれた「瑠璃色の地球」をみんなで熱唱してのお開きでした。

(数日前の呼吸器機能検査で、27歳の呼吸機能と言われ気を良くしていた私です。)

ストレス発散には、やっぱカラオケですかね~?

たまに、カラオケ大嫌いな方がいますので、今回は全員大好きだったみたいです。

明日は、医学の友社主催の「在宅呼吸器ケア」セミナーのためお茶ノ水まで行ってきます。

このセミナー13700円もしたんです。

訪問看護師を対象に在宅での呼吸器ケアというところで、ちょっと奮発してみました。

ただし、ずっと目を開けていられるかは・・・・

38回地域緩和ケア研究会

2010-06-15 22:44:28 | めぐみ在宅緩和ケア関連
今日は朝から、昨日の記事をめぐって、後日談があったりいろいろなコメントをいただいたりで、考えさせられた一日でした。
いやいや、難しい判断に迫られることが多いですね。

昨日から、うちのステーションには看護協会の『訪問看護研修ステップ1』の研修生が来ています。
その一人を連れて、めぐみ在宅主催の38回地域緩和ケア研究会に行ってきました。

今日は人数も多く、しかも初めての参加者が多かったようです。
そして、今日も研究会は雨でした。

今回の事例検討は、困難事例中の困難事例って感じでした。

さすが女組長Yさん。
あの悪名高いI団地の困難事例を一手に引き受ける方だけありますね。
ケアマネとしては、辣腕です。

精神疾患のご兄弟によるお看取りで、そのご家庭の抱えるさまざまな問題を、辛抱強く一つ一つクリアしながらのプランニングはさすがです。
訪問看護ステーションは、同じ地域のIステーションで、彼女たちもかなり苦しみながらの援助だったようです。

回収事例で詳しい事は書けませんが、いつものグループワークと発表のあとに、ケアマネYさんが言った言葉は考えさせられました。

ある日、区の担当者がたまたま病人を発見し、重体だったために救急搬送した。
搬送先の病院で、精神障害を持ったお子さんたちが、病状や状況を理解できずに騒いだり暴れたりしてしまい、追い出されてしまった。
どこの病院ももう受け入れてもらえず、途方に暮れた区担当者からの依頼でケアマネを引きうけ、訪問診療と訪問看護を入れて、大騒ぎのうちに看取りまですることが出来た。

そこで、彼女が言った事。
「経済的にも困窮し、病状理解も死の受容も出来ていず、常識が通じないと思われるかもしれないが、実際は彼らはとても常識的だと思うし、親に対する思いは周囲が考えるよりも深い理由で生きて欲しいと願っていただけ。
今回も区の担当者が見つけるまでは、そのご家族でずっと介護してきたわけだし、誰も気がつかなければ、彼らなりの愛情表現や介護で自己完結していたであろうケース。
それを、救急車に乗せて病院に連れて行き、彼らの納得の行かない治療をすることで、大騒ぎになったり暴れたりと言う事になってしまった。
はたして、本当に自分たちが介入してよかったのかどうかを、今でも考えてしまう。」と。

そういう事、結構あると思います。

自分たちの提供するものの方が、良いにきまっているし、それが一般的だとして、ケアプランや訪問看護が入っても、実はその家族独自の世界観や価値観があって、なかなかしっくりこない事。

たとえば、ゴミ屋敷の中で暮らす人が病気になって、近所の人の通報でケアマネやらいろんな人が入り、なんだかんだと説得してゴミをトラックに積んで捨ててしまったとして、確かに家は清潔できれいになったけれど、その人の失ったものはとてつもなく大きいかもしれませんよね。
(これは実際あった話で、そのケアマネさんはゴミを捨てるのがどんなに大変で汚かったかを誇らしげに語っていました。)

うまく言えないけれど、良かれと思って結果良かったのだろうと思いつつも、『本当にこれでよかったの?』と考える事が、実はすごく大切なのだと思いました。

ともすれば、上から目線になる可能性を持ち、自分の価値観で清潔やQOLを判断してしまう危険性の大きい仕事です。

自分に自信を持つことは大切ですが、もう一度相手にとって快適であるのかどうか考えないと、どこかで大間違いをしてしまいますよね。


市訪問看護連絡協議会と37回地域緩和ケア研究会

2010-05-18 23:39:26 | めぐみ在宅緩和ケア関連
昨夜ギリギリまとめた事例、朝メールでめぐみ在宅に送りセーフです。

午前中に1件の訪問に行って、昨日の新患さんのサービス依頼だけして、11時30分にはステーションを飛び出ました。

今日は、横浜市訪問看護連絡協議会の総会であるととに、お声をかけて頂いた役員としての初仕事です。
と言っても、今日はご挨拶だけでしたが・・
市の連絡協議会は、会員数143人の大規模な協議会ですが、ややこしいことに県の訪問看護ステーション協議会というものもあり、ほとんどのステーションが両方に所属しています。
今のところ、県のステーション連絡協議会の下に横浜地区ブロックと言うものがあって、この地区ブロックが微妙な立ち位置で市の連絡協議会とリンクしていました。
でも、政令指定都市の横浜市の協議会は、すでに独立して活動をしており、県との間では縦関係ではなく協働関係でありたいと提案をしています。
そのことで今日も喧々囂々白熱した話し合いになりました。
とはいっても、県協議会の役員がいるわけではなく、どうやら来年度にまで持ち越されそうな問題です。

国も基地問題やら高速道路料金やらで、八方ふさがりの状況でもめていますが、「じゃあどうしたいのよ?!」っていうと、答えが出てこないラビリンスって感じですかね。

いや~、大きな組織になればなるほど、いろんな問題が出てきますね。
問題と言うより、問題意識が目覚めると言う事でしょうか。
言われるままに動くのが一番楽なんでしょうが、方向転換しようと思うと、何につけても大変です。
私的には、市の連絡協議会の役員として協働関係を支持していきたいと思っています。

白熱の結果連絡会が終わったのが17時半でしたので、そのまま瀬谷にとんぼ返りをしました。


先月のデスケースカンファレンスでも一度振り返りをしたケースです。

けれど、丁寧に記録(居宅と訪問看護合わせて)を読み返し、自分で経過をまとめてみると、改めて感慨深く思い返すことが出来ますね。

そして、このプレゼンを通して、グループワークをしていると、「あ、そうか!」と見えてくるものがあります。

今日、私もずっと気になっていて、みんなの話題にもなった事があります。

それは、「本当の事を言う。」のか、支えをはぐくむ為には「本当ではない事。」を言うのか、と言う事です。

Aさんは、自分の死が近い事をとてもよく理解されていて、そのための準備もしたいと思っています。
Aさんは、身寄りとも縁を切り、一人で死んでいこうとしています。
病状も、死にまつわるお金のことも、全く嘘偽りなく話をして、自分で選択しました。

彼の支えの一つに「母と同じ墓に入りたい。」と言うものがありました。
これに関しては、彼には確固として自分に入る権利があると信じていました。

しかし、その手配をしていた私は、いろいろな理由により、現実にはそれは不可能であると言う事がわかりました。

しかしその寺の住職のはからいで、敷地内の別の場所(無縁仏)での供養を約束してくれました。

彼はずっと、両親と一緒に眠るために、お金も蓄えてきましたから、もしこの事がわかったら支えの一つを失うことになるのです。

私は彼に「お寺の御住職が、受け入れてくれましたよ、」と言いました。
彼は『ああ、よかった。』とほっとしました。

先に亡くなった家族に逢う、また一緒に眠ると言う事は、時間であるとともに関係性の支えでもあります。
それを失う事は、この時期においては大きな苦しみとなってしまうでしょうね。

此処まで、私はすべて彼の自律に沿って支援してきましたが、ここでは私が選ばせてもらったわけです。
言葉の意味としては、どんな風にもとれる言い方をして・・・。
あの時、とて後ろめたい気持ちとともに、これだけは言えないと思ったんですよ。
実は、住職にも「そんなことは、言わないでください。」って言われましたし・・。

もしかしたら、今頃「話が違ったぞ!」って怒っているかなー?
それとも、「いいよいいよ、気を使ってくれてありがとう。」って言ってくれるかなー?

(私たちだって、知りたくなかった事ってありますよね。
ただ、仕事人としてそれでよかったのかどうかは、個人的には良いと思って選んだものの、どうなのかな?と再び考えてしまいました。)

後者であればいいと思っている私です。    


在宅介護のここがおかしい!?

2010-05-11 21:53:07 | めぐみ在宅緩和ケア関連
今日は、第2火曜日です。

いつもなら「めぐみ在宅クリニック」でのデスケースカンファの日ですが、今日は今までのデスケースや緩和ケア研究会で課題として残ったことを、いかに声にあげて行くかと言う話し合いになりました。

矛盾だらけの介護保険、実際おこった事象をただ愚痴るのではなく、言語化して声をあげて行かなければ、なにも改善しない。

今回、メディアを含め、それを訴える機会があり、小澤先生もそこに出席するとのことでした。

短い昼休みの中で、泉区の大姉御ケアマネYさんからは、ヘルパーの地位の低さについて発言がありました。

<看護師は、国家資格を取るために一定以上の水準のカリキュラムで教育され、時間をかけて育成され国家試験に合格しなければ看護師にはなれないので、たとえデイのパートであろうと、病院の看護師であろうと同じ教育をうけてきている。
その資格があるからこそ、賃金や地位も最近では見直されてきている。
しかし、ヘルパーは高校生でも2級ヘルパーを取得できるし、2か月くらいの実習でだれでも取得が可能であり、その意識や技術の差はかなり大きなものになっている。
一時は、全員介護福祉士へ、と言う話もあったけれどこれも立ち消えてしまった。
看護師のように、準看制度を廃止し、看護師の地位を向上させようと言う気概はどこにもない。
だから、いつまでたっても、医療と福祉の溝が埋まらないのではないか。
これをやろうとすると、対象者が激減して、今度は圧倒的に人出不足になってしまう。ここをなんとかして、ヘルパーの水準と地位を上げていかなければならないのでは・・・。>
と発言されていました。

確かに、私もよく感じていました。
あまりにヘルパーさんの技術もモチベーションもプロ意識も、大きな開きがあると。
これは事業所の体質にもよりますが、実際はもっと医療との連携で、必要な技術や知識を身につけられるように育成すべきなのだとおもいます。

しかしこれも、多分に厚生労働省の決めた介護保険と医療保険の異常な仕分けや、法律によってがんじがらめにされ、自分たちの立場を守るために「何も手を出さない。」という悪循環に至っているのだと言う思いは、全員持っていました。

戸塚区の、ケアマネ兼看護師件めぐみの強力サポーターAさんも同様の意見でした。

ケアマネにしたって、理由ずけをさせることで、湾曲した解釈をあえてさせ、何かあれば『ケアマネのせいだ!』として『返金せよ!』のお達しが来る。

看護師業務にしても、医療保険と介護保険になぜか強制的に分類される事で起こる問題もあります。
たとえば、同じ病状であっても、厚生労働省が定める特定疾患は医療保険で、それ以外は65歳以上は介護保険になるわけです。

難病の患者を抱え、家族も病気や仕事を持っている方がいます。
今まで介護保険を申請しなかったのは、医療を優先するためもありました。
しかし、ヘルパーや入浴など今後は介護保険を使わなければ立ち行かなくなったときに、必然的に訪問看護も介護保険になりました。
そして、今後家族の病気治療が開始された時、家族の入院が必要になった時、家族が急に具合が悪くなったときに難病の患者をどうしようかと悩みました。
こちらのアドバイスもあり、小規模多機能も視野にいれ考えましたが、小規模多機能事業所には、なぜか医療保険では訪問看護に行けますが、介護保険では入ることが出来ません。
小規模多機能にも一応看護師はいるのですが、就労時間も短く対応しきれないのが現状です。

素朴な疑問として、何故同じ人間が医療保険から介護保険に変わっただけで、必要な看護がうけられないのか?と言う事です。
地域密着とかなんとかいって、ほとんどの単位を持って行ってしまうので、残った単位ではろくなサービスは受けられないのが現状です。
それでも、必要な時にすぐにお泊まりが出来て、デイとしてつかったり、そのまま家にも来てくれたりと、ケースによってはかなり使いかってはいいんですが、重症度が上がり、医療機器などがあると結局利用を断念するしかないのです。
褥瘡でもあれば、特別指示書で一時的に医療保険に出来ますが、全部が全部特別指示書と言うのも・・・

また、訪問入浴には看護師が必ず一人付いてきますが、彼女たちの仕事はとても規制されていて、どんなに技術や知識を持っていても、当たり前の看護師の仕事をすることが出来ないのです。
たとえば、IVH。

入浴前にポートの針を抜き、入浴後にルート交換をして針を刺し直す。

これは、出来てもしてはいけないんです。

看護師なのに・・・

そのために、訪問看護師をわざわざ派遣して、その時間に合わせて訪問したりするわけで、なんかすごくもったいないですよね。

お金も、マンパワーも。

こんなバカげたことは、もっとたくさんあるのですがきりがないですね。
これも全部お上にいわせれば、理由はあるのでしょうが、結局法律の壁ですね。

どこかの事業所が多額の不正請求をしてから、ますます厳しくなった介護保険ですが、一体だれのための何のための介護保険なのか、もう一度考え直してほしいと思いますね。

で、このことについて、近日中にレポートして下さいと言われてしまい、ヒエ~。
又も自分の首がしまっていくのを感じました。
このブログそのままコピーして送ったら怒られるかな・・・?
ああ・・・でも勉強、勉強。頑張ります。(来週の緩和ケア研究会も私のプレゼンだって・・・

  事務方に 尻を叩かれ  記録書く    チ~ン


35回めぐみ在宅緩和ケア研究会

2010-03-16 22:47:12 | めぐみ在宅緩和ケア関連
今日の緩和ケア研究会は、再びうちの訪問看護ステーションからの事例検討となりました。
今日から、うちで訪問看護の研修を始めたHさんも一緒です。

今日の事例は、波乱の人生を歩み、高学歴で高い地位もありながらも自由奔放に生き、あくまでも自分のスタイルで人生を全うしたTさんの振り返りでした。

番カラ学生のまま年を重ねたような・・というケアマネさんの言う通り、着飾ることもせず人生を好きなように濶歩してきたTさんは、家庭に戻ることなく、晩年をこの瀬谷の街に住み、自分の余命を悟ってなお、一人で自分の部屋で逝くことを決めた方です。

当初は、どのサービスも拒否、聞く耳持たず・・ケアマネさんもあの手この手で、在宅環境を整えるのに、とても苦労をしたようです。
気に入らなければ怒鳴るし、先生でさえ家に入れてもらえないことだってあったようですが、不思議とTさんにかかわるみんな、ヘルパーさんも看護師も、ケアマネさんも先生たちも、Tさんが気がかりで、最初は遠巻きながら、少しずつTさんに近ずいていきました。

そして、なるべくTさんの希望に沿って、Tさんが選ぶ形で在宅を支えるチームを作っていきました。
煙草だって、OKです。コーヒーだって毎日入れます。
汚くたっていいんです。
多少怪しい食べ物だって、本人がよければありです。
お風呂は嫌いでもいいです。

でも、足湯は待っていてくれました。
マッサージも大好きになりました。

やがて病魔の進行とともに、Tさんの体の自由は奪われましたが、ケアマネさんも先生もヘルパーさんも看護師も、薬剤師も、Tさんは受け入れてくれるようになりました。

そこには、Tさんの心をゆさぶる歌であったり、遠い昔の話であったり、Tさんの幼少期の写真であったり・・・そう言うアクセサリーがTさんの心を開いていったのだと思います。
強制しない。
なるべく彼のスタイルに沿う。

その約束を、みんなで守っていきました。

今日、あらためて振り返った事。

医療者や介護する側(医師や看護師やケアマネは特に)は、対象者を管理したがります。

自分勝手に、「この人は、こうしたほうが良いにきまっている。」
と思って押しつけてしまう。

でも、誰も家にいてまで管理なんてされたくないはずです。

集合住宅で煙草をやたら吸う方に、煙草をやみくもに取り上げても、信頼関係は生まれない。
でも、危険です。火が出たら本人だけの被害ではすみません。
じゃあどうするか。
ヘルパーや看護師や誰かがいるときには吸って頂く。好きなだけ。
でも、帰り際灰皿をからにして、なにげなくライターを隠します。
煙草は、安心のため見えるところに置いておく。
Tさんは、認知もあり最初は、うまく行かない事もありましたが、傾眠がちだったのも手伝ってけっこううまくいきました。
横の連携でクリアできることは、いっぱいありますよね。
服薬管理も、麻薬を使っていましたが、薬剤師の管理指導とヘルパー、看護師が確認していきました。

要は、自分で動けるうちは好きにしていただき、遠まきに注意しておき、いざというときには御本人に選んでもらう。
または、安全のためにちょっとだまされて頂く。

もうひとつ、家族介護のこと。

特にTさんは、奔放な方だったので、ご家族との関係も微妙でした。
最初は、「一人で死ぬ!」と断言するお父さんとの価値観の違いや、仕事の忙しさもあって、訪問されることが難しい状況でもありました。

病院だと、なにかあればすぐ「御家族の方、いらしてください。付き添ってもらわないと困ります!」みたいになることもしばしばですが、ケアマネNさんは「どうか無理はなさらないでください。こちらでの生活は私たちが支えますから、ご指示をいただけばいいですよ。」という言葉で接していきました。
ポイントポイントで、現状をお伝えはしますが、うるさくない程度に、確認を取りつつ。

「子供なのだから、もっと介護に入ってください。介護の役割を担うべきです。」
ではなかった・・・。

ケースバイケースで、担って頂いた方がいいケースもありますが、今回はこれがベストだったと思います。

たまに来てもお父さんの体に触れなかったお子さんたちが、スタッフたちとの触れ合いを見る中で、ご自分たちから近ずいてこられるようになり、最後はお父さんをお子さんたち全員でお見送りすることが出来ました。
御本人もあれだけプライドが高く高圧的だったのに、最後の1週間はずっと「ありがとう」を言い続けていましたので、御家族もチームスタッフもとても幸せな気持ちにしていただきました。

御家族と御本人の微妙な関わりであったり、子供のころからのトラウマであったり、ライフレビューのなかから、どういうスタンスで関わりを持っていくかを、きちんと判断する力、それが介護職、医療職の大事な資質なんじゃないかと思います。

今回も、グループワークでいろんな職種の方とお話ししました。
中には「患者家族です。」という方や、傾聴ボランティアのかたなども毎回来ていて、いろんな意見を聴くことができて勉強になります。
傾聴ボランティアの男性二人は、年齢的にも私たちよりはTさんに近く、男性としてもいろいろ思うところが多かったようで、とても感慨深いようでした。

実際全部を載せるわけにはいきませんので、キーワードや心の扉の向こう側の話なども、真剣に話し合われ、今の私自身の置かれている現状を見直すいい機会にもなりました。
人生の大きなうねりの中を、人がどう生き抜いていくかを、見せていただく機会でっもあったとおもいます。

緩和ケア・・・オピオイドの使い方の勉強もいいけれど、心の扉のノックの仕方も大事です。

34回めぐみ在宅緩和ケア研究会

2010-02-16 22:46:13 | めぐみ在宅緩和ケア関連
今日は、経済的な困窮のなかで、在宅での環境を整え、穏やかに看取りまで経過された方を事例にいつものグループワークを行いました。

担当のケアマネさん、泉区で活動中のパワフルケアマネさんです。
困難事例を山ほど抱えて、包丁がいつ飛んでくるかもわからない場所でも、平気で乗り込んでしまう肝の据わった女性です。

今回は、介護保険料未払い、医療保険未払いをどう乗り越えたかが、とても勉強になったので、書き留めます。

介護保険料は、40歳を過ぎれば払わなければなりませんが、40歳から64歳までは2号被保険者として加入している医療保険と一緒に支払われることになっています。
必然的に、医療保険りょうのなかから、だまっていても算定して支払われます。

65歳以上は、年金受給者は年金から支払われますが、それ以外の方は納付書や口座振替により支払われます。

ですが、生活が厳しく日々の食事もやっとの方の中には、介護保険料を払えない、または払わないかたもけっこういるのが実情です。

こういう方が、急に病気になり介護が必要になると、介護保険が使えない事になります。
介護保険で1割負担で使えるサービスが10割負担となるのです。
たとえば、訪問看護1時間830単位では、約830円が8300円になるわけですから、とても利用はできません。

そこであわてて役所に相談した場合、医療保険に加入していれば、医療保険から支払われているとして、1割負担の通常の介護保険を利用できます。
しかし65歳以上の場合は、原則支払いが別なので「支払われていない」として、支払いを開始して受理されるまで3割負担となるのです。(2年以上未払いの場合)
1割と3割とでは大違いです。たたでさえ苦しい生活が、もっと苦しくなります。

さらに、医療保険も滞納しているとしたら、医療保険も使えなくなります。
とても医療を受けられる状況ではありません。

ここで、もし生命保険に入っていたとしたら、満期に受け取る金額の7割を前払いしてもらうことが出来ます。
もう一つの選択は、生命保険が支払われたときに全額返済する約束で、生活保護を受ける事です。
生命保険に加入していなければ、生活保護を第一選択にします。

ここで、予後1年未満であれば、たとえ車を持っていても、多少の収入があっても生活保護を受けられる可能性が大きくなります。

ですから、妻と子供がパートでギリギリの収入があるものの、介護のためには仕事はできなくなると、ジレンマに陥って苦しんでいる方には朗報になりえるのです。
特に医療費が無い場合は、対象になるようです。
こういうパターンは、とてもよく聞きますよね。

で、早急に保護申請をすれば、申請日にさかのぼって保護を受ける事が出来ます。
この時は、申請に必要な書類をとにかく大急ぎで作成し、生活保護のケースワーカーにも窓口にも話を通しておいて、申請させるとかなりの時間の短縮になるそうです。
ただ、申請書類はかなり面倒なものが多くて、エネルギーはいるようです。
パートなどをしていれば、その給与明細や、家族全員の貯金通帳を全部記帳する。
縁戚関係を全部知らせる。(全く付き合いが無いと言うと、あまり根掘り葉掘りされないそうです)、その他もろもろの書類を効率的にそろえるのも、大変ですよね。
でも、それを全部そろえて、一発で通してもらえるようにするのです。

とにかく、この手順がスムーズにいけば、必要な介護、看護、医療を受ける事が出来、家族の最低限の生活も保障されるので、プランも余裕で立てられるわけです。

結局、どんなパターンでもいろいろな社会資源を有効に活用し、効率的に利用していける情報や知識をたくさん持っていなければ、困難事例は持てないということですね。

私なんかは2足のわらじで、とてもそこまで関われないのが実情です。
そこは、有能なケアマネさんにお願いして、私たちは訪問看護にいそしみたいなと思っています。
ちなみに、患者さんが亡くなったあとは、保護の対象ではなくなりますので、必要があれば再申請になるそうです。が、これはなかなか難しいかもしれません。
元気な方は働いてもらいましょう。

33回めぐみ在宅緩和ケア研究会

2010-01-19 22:56:00 | めぐみ在宅緩和ケア関連
今日、午前中は訪問看護の調査でした。
そう、あの公表制度の・・・
前日、ほとんど人任せにしてしまったので、カルテ出すのにちょっとあたふた。
挙句、カルテ庫の開き戸の角に、頭をしこたまぶつけ、血が出ました。
おかげで半日、ズキンズキンして、ボーっとしてました・・バカです。

結局去年と同じ「衣服」と「睡眠」の言葉が入る計画書と、看護記録があるかというところで、時間をロスしてしまいました・・
学習効果がないみたいです。

調査の途中に、あの、お母さんを自然に家で見送る決心をした息子さんから、お母さんの呼吸が止まったという知らせが来ました。(家族の決断
本当は昨夜には旅立ってしまうのでは、と思われていましたが、1年半担当だったYを待っていてくれたみたいです。
ちゃんとお別れできて、良かったです。
息子さんは・・・
近くになかなか行けないような感じで、ボロボロ泣いていたそうです。
でもよく頑張りました。みんなにほめられ、ねぎらわれちょっと照れてもいたようです。
これからは、自分の人生を歩いて行くんですね。

夜は、めぐみ在宅の緩和ケア研究会でした。
2か月続けて、うちからのプレゼンテーションになりました。

でも、今日は担当の矢吹さんがほとんど頑張ってくれました。すごく良かったです。

「豪放磊落我が道を行く!」タイプの患者さんで、大の愛妻家でした。

今回は奥様が、急激に悪化した病状にパニックになり一時「入院させて!」と緊急電話に連絡をくれてから、その後薬の増量で落ち着きを取り戻し、看護師に確認しながら最後を見送るまでの経過をお話ししました。
ケアマネさんたちにも看取りの過程がよくわかったと言って頂きました。

ここでも「苦しみはなにか」「支えは何か」「どうすればその支えを強くすることができるか」というグループワークをしました。

うちのステーションでは、お別れが近くなると、現在の状況を記入した用紙をお渡しし、最終的にご家族みなさんに在宅か入院かの最終確認を取ります。
あとで、ご家族の中でいさかいが起きないように、よく話し合ってもらいます。
そして、ご家族に説明を受けたというサインをいただきます。
最後までご自宅を選ばれた方には、「お別れ」までの経過と、その時の対応、連絡先を書いた紙をお渡しします。
お別れまでの、経過を説明することで、ご家族は心の準備をし、今の状態が自然の流れの中にいる事を理解し、安心して見ていることができるようです。
もちろん、そこには主治医の予測指示があってこそですが・・・

同じグループのみなさんも、とても興味を持って賛同もしていただきました。

こんな風に、地道ではありますが、少しずつこの地域での看取りが、自然で当たり前のことになっていくのは、うれしいことだと感じました。

まだまだ、こんな風に理解し合えることは少ない世の中です。
これが当たり前と思っていると、時々とんでもないことが起こったりします。
(現に今、一件振り回されています・・・

大きな病院の中には、まだまだ死ぬときは病院が当たりまえだと、純粋に思っている看護師さんもたくさんいます。
在宅に帰るということを、「ちょっと帰って気が済めばいいでしょう?」というとらえ方をしていることも珍しくないんですよね。

そういうわけで、今日も新たな出会いや、地域の人達との交流もしながらの研究会となりました。
明日は審査会もあるし、やること山積みですが、今日はもう寝ちゃいます。


第32回緩和ケア研究会

2009-12-16 21:58:55 | めぐみ在宅緩和ケア関連
昨日は、うちの訪問看護ステーションと、めぐみ在宅クリニックで関わった患者さんの事例発表を通して、いつもの振り返りをしました。
治療を行っていた病院の主治医グループや看護師も、わざわざ来て下さいました。
これは、すごいことです。
普通、病院の先生たちは、院内のデスカンファをすることはあっても、地域に帰った患者さんのデスカンファに出ることなど、まずないからです。

そういう意味では、画期的な事ですが、それだけこの事例の患者さんに対する思いが強かったということです。
それは、私たちにも言えることで、これからも忘れられない患者さんになると思います。

原稿は、私が記録から経時的におこし、あとで担当の看護師の意見も入れ、めぐみに送りました。
そこに、医師の診療記録も平行して入れ、長めの原稿となりましたが、大きな変化があり、強烈なアクシデントもあったため、これ以上短くすることは無理でした。

20代で結婚を前に死ななければならなかった女性の苦しみと、それを支える家族の苦しみに対し、私たちはどういう対応をすれば良かったのか・・・
何が支えなのか、どのようにしたらより支えを強くできるのか、支える私たちの支えは何なのか。
また、グループワークです。

私のグループは、AB型の人のグループで、さすがに少なかったですが、小澤先生もAB型ということが分かりびっくりしました。
でも、確かにそうかもしれません…
それに、聖マリ西部病院のホームケアのkさんも・・

一緒のグループに上品な女性がいました。
何のお仕事ですか?と尋ねると、ハープの奏者だということでした。
「ターミナル期の患者さんのおそばで、ハープの演奏をしています。」とのことでした。
いろんな職種の方が集まります。

今回の事例の方は、介護保険対象ではなかったので、ベットのレンタルも自費になるため、いつも格安で即納してくれるSさんにお願いしました。Sさんはとても気を使って、なるべく費用のかからない方法でレンタルをするために、レンタル料の高いエアマットをギリギリまで使いませんでした。
しかし、最後に褥創が発生し、エアマットを入れ替えている時に亡くなってしまった経緯があり、責任を感じてひどく落ち込んでいました。
精一杯、誠心誠意自分のできる事をと考えて、その結果たまたまそうなったのですが、彼にはとてもつらい経験になったようです。
そのため、Sさんにもこの事例発表を伝えたら、ぜひ参加したいと言って、参加してくれました。
帰り際、彼はなんと反省点などをレポートにして渡してくれました。

福祉用具の方々は、レンタルの導入や点検には入りますが、他のサービス業者ほど、患者さんとの接点がないように思われますが、地域で支えるためにはとても重要な仲間なのだと、あらためて感じさせられました。
真摯に仕事をするほど、関わった人も苦しむのがこの仕事なのだと思います。

だからこそ、支える人の支えが必要なのだということを再確認し、お互い支えあわなければならないのだと思いました。

雨の緩和ケア研究会

2009-11-17 22:15:56 | めぐみ在宅緩和ケア関連
どういうわけか、緩和ケア研究会は雨の日が多いような気がします。
それもけっこうな雨のことが多く、時には雷まで鳴ることもありました。

そして今日も、朝から冷たい雨が降っています。

誰が雨を降らせているのか?!

そのためか、今日はやや出席者が少ないような気が・・・

でも、学生さんはちゃんと来ていました。

一番前の席で、一生懸命聴いていました。

初めての人が多かったため、最初は援助的コミュニケーションの基本のお話から始まりました。
そのあとに、いくつかの短い事例のなかから、サクサクとメッセージをひろい、そこからどのように応対すれば、プラスを2プラスに、マイナスをプラスにすることが出来るかという練習をしました。

この勉強会に通っていると、いろんな立場の人と、知り合いになっていきます。
今日は、作業療法士の青年を小澤先生より紹介されました。
在宅でのリハビリにとても意欲的で、訪問看護ステーションでの仕事を希望されているとか。
すごく元気で、やる気のある好青年でしたが、うちのステーションは男子は一人もいないので、彼には辛いと思うのだけれど・・・
もう一つは、非常勤での仕事は、男子には厳しい・・・
これから、結婚して家庭を持つ男子には、将来のことを考えれば、常勤じゃないと厳しいですよね。
でも、うちはOTを常勤にはできないと思うし・・・

近隣で、彼が力を発揮できる所があれば、ぜひご紹介したいと思いました。

そのあとは、泉区の特養の方からも声をかけていただきました。
ウェットドレッシングに関する、新しい情報をいただき、今度はドレッシング材のメーカーさんをご紹介してくださるとのことでした。

なんか、こうして少しずつ、いろんな人と出会って、いろんな情報を頂けるのはとてもうれしいことです。
自分のしらない事も、教えてもらえるし、何度も顔を合わせているうちに、もうすっかりこの地域の仲間として認知し合えています。
これから、何かあっても一緒に支えてもらえる気がします。

ここに来るのは、みんな熱い思いの仲間ですから。



幸感度ミーティング

2009-11-08 22:50:45 | めぐみ在宅緩和ケア関連
金曜日の話になっちゃいますが、午前中幸感度ミーティングっていう会議に行ってきました。
めぐみ在宅クリニック緩和ケアチームと、瀬谷区区長チームとのミーティングです。
瀬谷区の取り組みとしても、在宅で最後まで過ごせる街作りのための基礎作りを始めるようです。
たぶん、めぐみ在宅クリニックの影響もあって、ここ数年瀬谷区での在宅での看取り件数がどんどん増えているからなのでしょうが、連携自体もかなりいい感じでされている現状を瀬谷区の特色とにしていこうという流れのようでした。

とはいえ、小澤先生のプレゼンテーションの趣旨は、自分だけではなく、瀬谷に来れば安心して最後まで過ごせるという目標のために、人材の育成をしていきましょうということでした。
私からは、10月28日の記事(怒っていいですか?施設もいろいろ)で書いたことを事例として、現場では現実問題ショートステイ一つでも受け皿に問題が山積みであり、リスクばかりが先行して本当に必要なサービスを受けられない患者さんがいることをお話ししました。
実は、この話には後日談があって、例の有料老人ホームのスタッフが、県庁に説明に行ったところ、いきさつは理解してもらえたそうです。
が、そこでまた県庁の担当者から、「なんでそんな病状の人を入院させないんですか?」と言われたそうです。
すかさず、「いまどき、そんな状況の人をどこの病院が入院させてくれますか?!」と聞き返したら黙っちゃったそうです。
小澤先生も、「いやー、その県庁の担当者に一回会って話がしてみたいですねェ。そして、1週僕の往診について回ってもらいたいなー。」と言っていました。

でもなんで、自然死なのに施設で亡くなると事故報告書なんですか?と先生も不思議がっていました。
高齢担当係長からは、「事故報告書」という書式しかないから、全部をその書式にしているようです。とのコメントでした。
なんか、変なの・・・って感じです。

どちらにしても、人が自然に亡くなっていくという過程を、知らない人が多すぎるのだと思います。
たぶん、人は死ぬときは病院が当たり前だと考えている人のほうが、まだまだ圧倒的に多いのでしょうね。

そういうことも含めて、人が人として自分の望む場所で、最後を穏やかに過ごすことができるように、まだ病気とは無縁の時期から、そういうことを考えられるように啓発していく必要があるし、そのための人材育成も行政も一緒にやっていく必要があるという話になるわけです。

めぐみ在宅のもう一つのお仕事「命の授業」の講師をやっている三浦さんが「人は生まれれ来るとき、いろんな準備をしてもらって生まれてきます。そして、死はあちらの世界へ生まれていくのだと考えています。ですから、そのための準備も必要になります。と言っていました。

なるほど、うまいことを言うなー。と思いましたが半面、人それぞれ死生観は違いますから、何とも言えないですよね。
結局2時間をオーバーして2時間30分近い話し合いになりました。

本来医師会が主導でやるべき話し合いですが、たくさんの医師会員それこそ千差万別ですし、現状往診をしたり、まして看取りまでとなると、ほんの一握りの先生しかやっていません。
はっきり言って、そんな面倒なこと御免だと思っている先生も少なからずいる中で、医師会として手を挙げることは不可能なんでしょうね。
でも、自分はできないけれど、頑張ってね、陰ながら応援するからね。くらいは言ってくれてもいいのにと思いますが・・・

まあ、無理な話なんでしょう。
それに、区役所の人達は移動が多いので、今までだって盛り上がったプロジェクト、担当が異動になったとたん尻切れトンボみたいなことが多くて、またそんなことになるんじゃないの?と、冷ややかに見ている先生もいらしゃいます。

でも、そんなことばかり言ってても道は開けませんよね。
これからも、もっとたくさんの人に「病気になってもお家に帰ってこられるよ。」と伝えていきたいと思っています。