すずきせいこの「日々雑感」

政治や暮らし、孫のことから平和・原発問題まで“本音でしなやかに”・・・

人それぞれの“生病老死”

2014年11月09日 | 日々思うこと

7日金曜日の朝は友人のお連れ合いの訃報に驚き、夕方6時からのお通夜へと急ぎました。ついこの間までお元気だった方だけに会場に入りきれない弔問者の驚きは大きく、残されたご家族の悲しみの深さが伝わってきました。お通夜での浄土真宗ご住職のお話しは広いロビーまでは届かず、よく聞き取れないのですがお釈迦様の「人間みな生まれた時から愚かである」という言葉が何度か繰り返されていました。

また人は生まれたその時から死に向かっていると“生病老死”のことを話されているのですが、どんな立派なお話も聞く人たちにしっかり届かないということは残念なことと受け止めました。そんな意味でも去る1日の法要の時の若きご住職、親鸞さんの「正信偈」(しょうしんげ)をご自分の体験と合わせて分かりやすく語っていたことが印象に残ります。そして東の空の雲の中から上ってきたまんまるのお月様はとても悲しげに見えてしまう夜でした。

秋も深まり、姫川右岸の堤防沿いの桜並木は黒姫山東面をバックに「来年も咲きますよ」と準備をしているかのようで、また次の花芽へとつなげる自然の営みが伝わってきます。

8日土曜日の昼過ぎには東京から弟家族がやって来ました。「野を越え山を越えて・・・」は亡き母の口癖でしたが、おめでたき帰省とあってお祝いの夕食会は総勢12人のにぎやかさです。ここで一番元気なのは勿論孫たちで、特に生を受けてまだ1年数ヶ月のパワーに圧倒される楽しいひと時でした。また一番の高齢は私で次に弟と続き、お互い隣り同士で亡き両親を語りながらお金がすべてのものさしになってしまった社会を憂いました。

9日日曜日朝は義妹のアクシデントで、市内の総合病院の緊急外来へ・・・。人生ほんとうに何があるか“一寸先は闇”ですね。そして人は生まれる時は予期できても、その生涯を終える時は未定・・・、人それぞれの“生病老死”を感じるあわただしい週末でした。