すずきせいこの「日々雑感」

政治や暮らし、孫のことから平和・原発問題まで“本音でしなやかに”・・・

人生終焉の“生病老死”と上越タイムス投稿と

2020年05月03日 | 日々思うこと

今日は憲法記念日で、亡き母の誕生日です。ネズミ年で元気だったら96歳になる母の病院での最後の言葉は「身体に気をつけ、私利私欲を捨てて地域のために頑張ること」を昨日のことのように思います。

私も今、こうして人生の終焉に来て“生病老死”に向き合うと、元気な頃は「生まれるのも一人、死ぬときも一人」と思っていましたが、母親の産みの苦しみを考えると人に支えられて生を受けていたことを感じます。“病老”も同じことで人に支えれながら死と直面し、人の支えで終焉を迎えることは確かです。

庭のツツジの横の赤いモミジは秋には緑色に変化し、その横の今が新緑のモミジはいつの間にか真っ赤になるので自然の営みは不思議ですね。

ところで先週の上越市議選の結果を受けて、タイムス紙「ひろば」に直ぐに投稿し昨2日に掲載されました。今までの投稿にない思いもよらぬ反響の多さで、今回の市議選の結果は投票率の低さもあって満足していない人たちが多いようですね。

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“道なき道を歩んだ女性議員たち”と上越市議会

上越市議選で当選した32人の議員の喜びや決意が改めて本誌からも伝わり、中でも女性議員全員の初当選に目を見張ります。

振り返れば平成の大合併前の上越地域では女性議員ゼロの中で、1991年(平成3年)4月の統一地方選で、私は企業城下町で初の女性議員に当選することができました。

当時は「女だてらに・・・」と厳しい目も注がれ、民主主義は地方自治の学校として“知は力”を貫き、上越地域でも少しずつ女性議員が増え“道なき道”を歩んできたことを思い出します。

1996年、新潟市の女性市議らと「新潟県女性議員の会」を立ち上げ、学習と研修を中心にネットワークを張り、県内100人を超える女性議員らが参加してきました。

1999年秋、公募による「新潟県女性海外派遣事業」で私は北欧デンマーク・スウェーデンを訪れ、環境・教育・福祉への先進地政策を学び、帰国後は議会の場でも提言することができました。

その後、平成の大合併で県内の女性議員の数が年々減少したものの、2011年「3・11」東日本大震災による福島第一原子力発電所の事故を受け、柏崎刈羽原子力発電所の再稼動については慎重であることを毎年、当時の泉田知事との知事交渉で訴え続け共鳴した経緯があります。

今回の上越市議選で初当選された方々はそれぞれが素晴らしい公約をお持ちで、住民代表の市議会議員となれば原発再稼働への賛否はともかく、市民にとっては避けて通れない大事な問題であることは言うまでもなく、さらなる研さんが求められているのではと受け止めております。

上越市避難計画もしかりで、東日本大震災における東京電力福島第一原発事故をみれば大きな“負の遺産”となって取り返しが付かないことは一目瞭然です。

“いのちを生み守り育てる”女性として立ち位置を超えて派閥などに拘ることなく力を発揮してほしいものです。また女性候補者に限らず、市民からの付託を受けての4年間の議会活動は何よりも「生命尊重を行政の基本姿勢」としての上越市議会に期待します。 以上(最終の投稿原稿です)

昨年の憲法記念日の書き込みで、まだ元気だったことが伝わってきます。日本の9条を語るマレーシア大統領と憲法記念日