すずきせいこの「日々雑感」

政治や暮らし、孫のことから平和・原発問題まで“本音でしなやかに”・・・

「2015・じょうえつ平和のための戦争展」から伝わってくること

2015年10月18日 | 日々思うこと

朝から風もなく秋晴れの中を、上越市で昨日から開催の「2015・じょうえつ平和のために戦争展」へと車を走らせました。「戦場としての新潟・戦争から平和への道案内」をテーマに、会場の市民プラザA・B・Cの広いホールいっぱいに驚く程の“侵略戦争”の歴史と、戦後70年間のこれまでの平和への歩みなどのパネルが展示されていました。

亡き父が20代の時に赤紙召集で高田58連隊から出征したことで、入り口近くのタタミ3枚程の大きな地図「日中戦争・太平洋戦争における本県からの海外派兵」にしばし釘付けになりました。生前ほとんど語らなかった父でしたが、先ず上海に上陸し中国内地に入ったこと、さらにセピア色の「“骨箱を下げて行進する兵隊” 戦中の高田駅前通り」の写真から、多くの戦死者が身近な高田58連隊からいたことも伝わってきました。

折りしも「南京大虐殺文書」の世界記憶遺産をめぐり、政治家だけでなくネトウヨの発言を恥ずかしく受け止めながら、歴史を学ばず戦争から目を逸らそうとしている“見えない力”を危惧し、再び戦争を繰り返さないために今を生きる私たちは何をすべきか・・・、重いテーマに向き合うひと時です。

午後2時から馬場秀幸弁護士による「沖縄と憲法」があり聴き入りましたが、2013年に開設した瀬長亀次郎と民族資料「不屈館」のことなど、沖縄についても知らないことが多くとても勉強になりました。またそれぞれのパネルの傍には同じものが資料としてA4紙にコピーされ、持ち帰れる配慮もあり友人の分もいただきました。それにしてもこの膨大な資料の「平和のための戦争展」はわずか2日間だけの開催ということで、会場の都合もあったのでしょうが“もったいない”思いで会場を後にしました。

外は抜けるような青空で、市民プラザ屋上の「地域環境都市宣言」の真上にはいつの間にか太陽光パネルが設置されているので驚きましたが、今まで何度も行きながら気づかなかっただけのことです。そして私の学びはまだまだで、常にアンテナを高くして“骨の隋まで届く学び”をと思う一日の終わりです。