母が、3年まえに他界し、その時の父の落胆ぶりは尋常
ではなかった。
哀しみは、時が癒してくれる時もある。
そんな父も齢卒寿迎えた。
頭はしっかりしているが、圧迫骨折をしてからは自立
歩行が困難となり、移動は歩行器を使っている。
先日も、トイレで転倒し、肋骨を骨折して入院騒ぎと
なった。
入院してからもこんな所にいたら病人にされてしまう
と言い、居心地も悪いらしく、主治医に自ら懇願して
十日足らずで退院してしまった。
元気とは言え、心臓の方もだいぶ疲れており心不全の
兆候が見られ、急変も予想されると医者の説明もあった。
90年も打ち続けた心臓だ、いつ音を上げてもおかしくはない。
10年ほど前までは、親は死なないものだと思っていたが、
実際に母親の死に直面し、命には限りがあることも悟った。
しかし、子にしてみれば、いつまでも親には元気でいて欲
しいことには変わりはない。
あと何年元気でいて言葉を交わせるかは、神のみぞ知ると
ころだ。
生きるということは、坂を抗って登ることに似ているかも
しれない。老化など、身体の機能の劣化により、その坂を
登る力が徐々に衰え、その力が潰えた時、人生は幕を閉じ
るのかも知れない。
ではなかった。
哀しみは、時が癒してくれる時もある。
そんな父も齢卒寿迎えた。
頭はしっかりしているが、圧迫骨折をしてからは自立
歩行が困難となり、移動は歩行器を使っている。
先日も、トイレで転倒し、肋骨を骨折して入院騒ぎと
なった。
入院してからもこんな所にいたら病人にされてしまう
と言い、居心地も悪いらしく、主治医に自ら懇願して
十日足らずで退院してしまった。
元気とは言え、心臓の方もだいぶ疲れており心不全の
兆候が見られ、急変も予想されると医者の説明もあった。
90年も打ち続けた心臓だ、いつ音を上げてもおかしくはない。
10年ほど前までは、親は死なないものだと思っていたが、
実際に母親の死に直面し、命には限りがあることも悟った。
しかし、子にしてみれば、いつまでも親には元気でいて欲
しいことには変わりはない。
あと何年元気でいて言葉を交わせるかは、神のみぞ知ると
ころだ。
生きるということは、坂を抗って登ることに似ているかも
しれない。老化など、身体の機能の劣化により、その坂を
登る力が徐々に衰え、その力が潰えた時、人生は幕を閉じ
るのかも知れない。