半農・半Xの生活

思いついたことを思いついた時に綴ります。

女子柔道暴力問題に想う

2013年02月06日 09時15分02秒 | 日記
時が経つにつれて益々、日本柔道連盟の悪しき伝統による問題が顕在化してきた。
小生も中学、高校と柔道を少しかじったので、柔道とはどんなものかは、少しは
知っているつもりだ。中学時代は、お山の大将でやっていたが高校に入った途端
に地獄の“しごき”が、待っていた。今から考えるとそれは先ずは基礎体力をつけ
るためのものだったと理解出来る面もあるが、先輩の中には、面白半分で“しごく”
者もいれば、実に面倒見が良く指導的な振る舞いの好感が持てる先輩もいた。極め
つけは番長が在籍していて、強面だけれど面倒見が良く、助けてもらった覚えがある。
この時は人は見かけによらないものだと学習した。

今回の問題は、柔道に限らずどの集団にも言えることだろうけれど、年功序列が基本に
あると言うこと。そして、それは、全て生身の人間で構成され、当然のことながら、
それぞれが違った環境で育って来ている。日本の伝統のある組織は、この年功序列に厳
しく、一年違えば天と地の違いがあり、そこには目上の者に逆らうことなどできない
絶対服従の仕来りがある。
大相撲や大学の運動部などは、特に顕著で、そこには、しごき、暴言、恫喝など体の良い
“指導”がある。そしてそれらの指導に耐え抜き年長となった者だけに特権が与えられる
と言う厳しい忍耐の世界がある。

今回の女子柔道の問題も絶対的な監督、コーチがいて、その立場を利用して体罰、暴言、
恫喝などによって彼女らの人格など無きものとして蹂躙したのだろう。強くするため、
金メダルのため、引いては日本のためという大義名分を持って。
そこには、柔道の「精神善用」「自他共栄」の基本理念が欠けてしまっている。
指導されている者の成長が自分の思い通りならななかったり指導した通りに出来なかった
からと言って、自分の歯がゆさをその者に当たり散らすような精神的に未熟な者が指導者
などになってはいけない。

柔道は心技体が充実していなければ競技に集中できる訳もないし、ましてや、精神的に
不安定な状態で強者に挑むなどと言うのは、何をかいわんやである。
脅されてやる練習で上達など望めないし、早くその場を去りたい一心でやっているような
ものだろう。

とにかく、五輪招致に影響があるなどと、目先のことに囚われずに、彼女たちの必死な
心からの訴えに応えられるかに日本のスポーツ組織の問題解決能力が問われている。
決して、トカゲの尻尾切りで終わらせてはならない。



ゆっくりと ゆっくりと来る 春を待つ(粗茶)