半農・半Xの生活

思いついたことを思いついた時に綴ります。

騙され続ける罪深さ

2012年11月06日 09時04分54秒 | 日記
しかし、この国の人々はいつまで騙され続けるのだろうか。
そしてそのことが自らの身にはね返ってくることとの重大さに
気づく日は来るのだろうか。
騙され事の受動的な居住まいに居心地の良ささえ感じているよう
に思えてならない。

2009年の総選挙では、明治以来のこの国の形を変えるような
大きな流れが国民の選択によって出来つつあった。
しかし、それを是が非でも阻止しようとする検察を代表とする
官僚村とその広報機関であるマスメデイアによるありもしない
政治とカネという捏造されたスキャンダル騒ぎで見事に騙された
国民は、掴みかけた真の国民主権という大きな獲物を手放して
しまった。

今、政治はマスメデイアが作った政局と得体の知れない第3極
騒動に国民の目を向けさせ、自分たちの既得権構造を破壊しよう
とする自分たちの意にそぐわない動きを示す政党や人物は、黙殺
することでその存在を世に知らせようとはしない。

既存のマスコミは、申し合わせたかのように口にも文字にも絶対
しない。
恐らくどこかで遠隔操作をしている中心となる輩がいることは推測
できるが見事なまでの徹底ぶりである。

彼らにとって脅威の的である政党の「生活」についての新聞記事
は一切見たことはない。
このことを見ても新聞、テレビの公平・公正さなど微塵もないわけ
で、あの「皆様のNHK」を標榜している国営放送局など不偏不党
など望むべきもない。

例えば、「生活」が脱原発を掲げて党首自らドイツまで調査に行っ
ているのに、このこともマスメデイアは一切報じなかった。
これは、騙す彼らが何を企んでいるのか分かりやすい話しではある
が。
彼らが、自分達がコントロールしやすい政権が誕生することを望ん
でいる裏返しでもある。

しかし、そのことが国民の幸せな生活に繋がるとは限らない。
騙され、誤った選択をしてさらに悲惨な国民生活が待っていたとし
ても
そのことは知らなかったと後で気づき騙されたと言ってみたところ
で、それで騙された者は許されるのだろうか。

モノの言いっぷりが良いことや経歴、血筋だけを見て、彼が本当に
何をしようとしているのか理解をし、テレビの御用評論家が発する
異口同音のワンフレーズに洗脳されることなく自らの信念に照らして
選択しなければならないと思う。
それは、自らが普段から本当はどうなのかという見方で、物事の本質
をどう捉えようとしているのかその人の姿勢が問われる。
いつまでも、国家、マスコミなどの権力者が与える情報に一分の疑い
も持たずに有り難く押し頂いている温和しいが実は卑屈な態度が自分
の生き方を歪めていることに気づかなくてはならない。

故伊丹十三の父親の伊丹万作は「戦争責任者の問題」の中でこんなふう
に言っている。
『だまされたということは、不正者による被害を意味するが、しかしだ
まされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはいない
のである。だまされたとさえいえば、いっさいの責任から解放され、無条
件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い
直さなければならぬ。
 しかも、だまされたもの必ずしも正しくないことを指摘するだけにとど
まらず、私はさらに進んで、「だまされるということ自体がすでに一つの
悪である」ことを主張したいのである。
 だまされるということはもちろん知識の不足からもくるが、半分は信念
すなわち意志の薄弱からもくるのである。我々は昔から「不明を謝す」と
いう一つの表現を持っている。これは明らかに知能の不足を罪と認める
思想にほかならぬ。つまり、だまされるということもまた一つの罪であり、
昔から決していばっていいこととは、されていないのである。』


この月は 来年の今日 見る月か(粗茶)