千尋という今時のわがままな現代っ子が、湯婆婆のいるお湯屋に迷い込みいろいろな目にあうが、まさに私と重なる。
数年前のヘルパーになった頃もそうだった。
人間究極の時は何だってやる。やれそうもないことも、試されているかと思うと余計にやる。普段ならできないことでもやってのける。
そのうちに変なことに巻き込まれたり理不尽な目に遭っても、作り笑いしたり、まさに道化師の如く過ごすことだって出来た。
プライドも何も捨てちゃう。
千尋にはあの世界でのことが必要だった。それと同じに私にとってもあのような場所でヘルパーとして仕事することは必要だったのだろう。そして今もそうだ。
何も好き好んで今更苦労することもないのに、でも必要なこと。
目的があるのだったらなおのことだ。
上の人は平気でパワハラだってする。やってるつもりはないが、やっている。
とても不思議だ。
本当なら通り過ぎてるはずの場所に、縁あって関わって同僚となる。
知らなかった世界に飛び込むってことは大変なことだが、自分で探した道でもある。
その環境にあった人たちが自然と集まっている。信用ならない人、信じてもいい人、うわべだけで付き合えばいい人、危険さえ感じる人、さまざまだ。
普通の常識のある人でさえも、いろいろなレベルの人がいる。
私は目標を達成したら、離れようと思う。
そして終末は、自分らしく生きて人生を終えたいからな。
今は悩める迷える仔羊なの。
今日も娘と話して笑ったが、さんざん贅沢な生活を送ってきた私だったが、今になって下流老人になった。
若い頃から節約しながらトボトボと生きてきたなら、もっとましな老後だったと思うけどな。
華麗なるまではいかなくても、結構派手に暮らして来たツケが今、回って来たのだと思う。
こんな時に夫は怪我をして、入院や手術をしている。
そしてかかって来た電話に乗って、今までの業者から別の業者に電話の回線を乗り換えた夫。
その工事が今日だった。
下流老人の私は、工事しに来た人たちにニコリともしないで対応した。夫に向けたい顔を他人の工事の人に八つ当たりした。
嫌なおばさんに思われた事でしょう。
性格まで悪くなるね。
それでね、すごく反省したの。
明日からは気をつけますからね。
ニコニコ顔でやり直そうっと。
そして、今も私は修行中。
数年前のヘルパーになった頃もそうだった。
人間究極の時は何だってやる。やれそうもないことも、試されているかと思うと余計にやる。普段ならできないことでもやってのける。
そのうちに変なことに巻き込まれたり理不尽な目に遭っても、作り笑いしたり、まさに道化師の如く過ごすことだって出来た。
プライドも何も捨てちゃう。
千尋にはあの世界でのことが必要だった。それと同じに私にとってもあのような場所でヘルパーとして仕事することは必要だったのだろう。そして今もそうだ。
何も好き好んで今更苦労することもないのに、でも必要なこと。
目的があるのだったらなおのことだ。
上の人は平気でパワハラだってする。やってるつもりはないが、やっている。
とても不思議だ。
本当なら通り過ぎてるはずの場所に、縁あって関わって同僚となる。
知らなかった世界に飛び込むってことは大変なことだが、自分で探した道でもある。
その環境にあった人たちが自然と集まっている。信用ならない人、信じてもいい人、うわべだけで付き合えばいい人、危険さえ感じる人、さまざまだ。
普通の常識のある人でさえも、いろいろなレベルの人がいる。
私は目標を達成したら、離れようと思う。
そして終末は、自分らしく生きて人生を終えたいからな。
今は悩める迷える仔羊なの。
今日も娘と話して笑ったが、さんざん贅沢な生活を送ってきた私だったが、今になって下流老人になった。
若い頃から節約しながらトボトボと生きてきたなら、もっとましな老後だったと思うけどな。
華麗なるまではいかなくても、結構派手に暮らして来たツケが今、回って来たのだと思う。
こんな時に夫は怪我をして、入院や手術をしている。
そしてかかって来た電話に乗って、今までの業者から別の業者に電話の回線を乗り換えた夫。
その工事が今日だった。
下流老人の私は、工事しに来た人たちにニコリともしないで対応した。夫に向けたい顔を他人の工事の人に八つ当たりした。
嫌なおばさんに思われた事でしょう。
性格まで悪くなるね。
それでね、すごく反省したの。
明日からは気をつけますからね。
ニコニコ顔でやり直そうっと。
そして、今も私は修行中。