福家警部補の報告 | ||
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読 了 日 | 2016/06/18 |
著 者 | 大倉崇裕 | |
出 版 社 | 東京創元社 | |
形 態 | 単行本 | |
ページ数 | 295 | |
発 行 日 | 2013/02/25 | |
ISBN | 978-4-488-02541-0 |
家警部補シリーズは、東京創元社のキャッチコピー「刑事コロンボ、古畑任三郎の系譜」に誘われて、初めて読んだのが2006年8月で、第2作はそれからおよそ3年後の2009年6月に読んだ。
第3作目の本書が木更津市立図書館にあって、何時でも借りられる状態にあったことから、安心して今頃になって読むことになった。なかなか借りる順番が回ってこない時はすぐにでも読みたいと思うのに、いつでもどうぞという時にはなかなか手が出ないという、へそ曲がりな性格は今更治らない。
僕は特別に倒叙推理が好きなわけではないのだが、初めは馬鹿にしていた「刑事コロンボ」を、カミさんに「面白いよ」と言われてから、見るようになって―と言っても、もうその頃は放送終了間際だった―その面白さに嵌ってから、後には同様のドラマ古畑任三郎にもはまって、本シリーズも全部読みたいと思ってきた。
それにしては間が空きすぎているが、それは本書に限らず例によって、いろいろと読みたい本は山の如しというわけだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/b8/b4ec98792d6e79306238ce5aa9fb40bc.jpg)
このシリーズももっとドラマになってもいいと思っていたが、案に相違して2009年にNHKで単発ドラマとして、放送されただけだったが、ようやく2014年になってフジテレビ系列で、全11回の連続ドラマになった。
しかし僕はフジテレビで放送された連続ドラマには、いささかがっかりした、というほかはない。好きな女優さん(檀れい氏)が主演したにもかかわらず、彼女の利点が活かされなかった(と思う)演出に、腹立たしいような思いを抱いたほどだった。
まあ演出家には演出家として、また脚本家には脚本家としての思いも主張もあるだろうから、頭ごなしにけなすことはできないが、NHKでドラマ化された永作博美氏の主演によるドラマは、キャラクターも原作に込められた味が良く出ており、及第点を付けたのだが・・・。
後者の方は共演に稲垣吾郎氏を据えたことで、どちらかと言えば彼を主役にしたかったのだろう、僕はどこかで同じことを書いたかもしれないが、檀れい氏の某社のビールのCFが好きで(いくつかCFだけを録画したこともあったくらいだ)。
だから、福家警部補を彼女が演じると聞いた時、あのコミカルな演技がみられるものとばかり思って、楽しみにしていたら、コスチュームばかりコミカルで、原作にあるユーモアはどこかに消し飛んでいたから、大いに落胆したのだ。これはキャスティングのミスか、否、もしかしたらこれは稲垣吾郎氏のためのドラマ化だったのか? ああ、そうだとしたら、もう何をか況やだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/b8/b4ec98792d6e79306238ce5aa9fb40bc.jpg)
はドラマと原作は違うものだという認識でいる。だから原作とドラマの両方で楽しめばいいのだと思っているが、それにしても全くの別物にしてしまうのはどうかと思うが、ドラマ化の意図が別のところにあったのでは致し方がない。
やれやれ、ドラマの話になったら、切りも際限もなくなってしまった。
本書はそのフジテレビ系のドラマでも演じられた、三つのエピソードから構成された連作短編集だ。
ファンなら誰しも承知のように、これは世界中で人気を博したアメリカのテレビドラマの、主人公を女性に置き換えたパスティーシュだ。前作からかなり間をおいて読んだせいか、今更ながら福家警部補のその誇張された、オッチョコチョイ振りや、その反面に人を驚かせる特技などなど、改めてよくできたキャラクターに驚かされる。
相棒とも言うべき鑑識の二岡刑事の振り回され方も、各エピソードでこれでもかという具合に繰り返されて、少し気の毒になるくらいだが、彼らのコンビ振りがこれから先も、事件解決に発揮されることを願ってやまない。
# | タイトル | 号 | 発行年月 |
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1 | 禁断の筋書(プロット) | Vol.44~45 | 2010年12月-11年2月 |
2 | 少女の沈黙 | Vol.47~48 | 2011年6月-8月 |
3 | 女神の微笑 | Vol.51 | 2012年2月 |
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