隅の老人のミステリー読書雑感

ミステリーの読後感や、関連のドラマ・映画など。

1021.ゼロの焦点

2009年09月02日 | 本格
ゼロの焦点
読 了 日 2009/9/2
著    者 松本清張
出 版 社 新潮社
形    態 文庫
ページ数 409
発 行 日 1971/2/10
ISBN 4-10-110916-8

 

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しぶりに読んだ著者の作品(7月21日の「眼の気流」)で、著者の作品に傾倒していた頃を思い出し、また、少しずつ読み返してみようという気になった。
本書を選んだのは、多分高校卒業時くらいの時期に、おそらく最初の1冊ではなかったかと思ったからだ。
この作品は、昭和36年に松竹で映画化もされて、余りにも原作の雰囲気をよく伝えていることに驚いたものだった。だから、映画を見た後再読、再々読と、2回くらいは読み返している。(ということは今回で4回目?)
テレビでの映像化も数回に及んでおり、一番新しいところでは、1994年にNHK BSで放送された斉藤由貴氏の主演によるものがある。このドラマは翌年再編集されたものが総合テレビでも放映された。

それらのテレビドラマも良くできていたことは間違いないが、僕にとっての映像は、やはり名匠野村芳太郎監督によって制作された松竹映画に勝るものはないと思っているので、今でも映画で見た映像と、小説から受ける印象とが渾然一体となって僕の胸に迫ってくる。(ただし、映画では終盤の部分で大分脚色されており、文字通り劇的なクライマックスを迎えるが、原作となる本書では・・・・?!)
そうした名作があるにもかかわらず、その上、この作品には戦後間もない日本という動かしがたい背景があるにもかかわらず、清張氏の生誕100年を記念する企画とは言いながら、今また映画化がされるというのはどういう意味があるのだろうと、不思議な感じを抱くのだが・・・。
映画やドラマの話になると長くなってしまうので、この辺で。

 

本の話に戻そう。
最初にこの本を読んだ時、それまでに読んできた探偵小説とは全く違った印象を持った。とにかく現実的で、文章も平易で読みやすかったから、かなりの期間僕は清張氏の作品一辺倒になった。清張氏の作品は、社会派推理小説として、多くの読者に受け入れられて、ミステリーはマニアの手から一般の読者の手に移ったという印象だった。
しかしそれでも、従来の探偵小説を忘れたわけではなく、飽きることなく読み続けたが。

 

さて、本書は主人公・板根禎子が見合いをした相手・鵜原憲一と結婚をしたところから始まる。東京の広告代理店の営業マンである鵜原は、金沢出張所の主任である。それまで月に20日程度は任地の金沢暮らしだったが、結婚後は本社へ異動となるということだった。
新婚旅行から帰ると、鵜原は業務の引継ぎで金沢へ1週間ほど出張することになった。後任の本多と鵜原の二人を上野駅から見送った禎子が、鵜原の姿を見たのはそれが最後だった。

何度読んでもこうした序章とも言うべきストーリーの始まりに、切ないような寂しさを感じてしまう。
多分それは、今と違って当時の夜行列車での時間をかけた北陸方面への旅が、駅ホームでの別れの場面ということからだろう。今は新幹線もあり、どこへ行くにも夜を徹して行くということは少なくなっているから、プラットホームでの別れの寂しさといったことはそれほど感じられなくなっているが。

この上野からの夜行列車による金沢行きは、その後行方不明となった鵜原の消息を尋ねて禎子自身も体験することになる。

 

回、本書を読み返して僕は、この小説の主人公は板根禎子の他に、列車もその一役を担っていると感じた。
上野・金沢間の列車のみならず、特に金沢についてから禎子がたずね行く先々へと乗る列車にそうした感じを強く抱く。寂しい田舎の駅の描写が、北陸の冬空や日本海と共に印象深く表される。
さらに、本書の発表された昭和30年代半ばは、まだまだ敗戦の傷跡も癒えずに残っていたという印象がぬぐえない。そうした時期にリアルタイムでこうした名作に出会って読んだということが、50年近くも経った今でも、全く違和感が無く読めるということなのだろう。
結末が判っていながら、終盤に近づくに連れて増す緊迫感は胸を騒がせる。

 

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