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隅の老人のミステリー読書雑感

ミステリーの読後感や、関連のドラマ・映画など。

1508.アポロンの嘲笑

2014年11月17日 | サスペンス
アポロンの嘲笑
読了日 2014/11/15
著 者 中山七里
出版社 集英社
形 態 単行本
ページ数 3341
発行日 2014/09/10
ISBN 978-4-08-771575-0

 

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昨日11月15日に僕が監事を務める社会福祉法人・薄光会の理事会が招集された。議題 の中に2年に1回行われる役員改選があり、僕の監事としての務めが終わった。
他にも副理事長のK氏や、理事のO氏も同様に退任され、新たに2名の施設長が理事に就任した。今期は期首4月を前に2名の施設長がその職から離れて、新たに3名の施設長が任命されるなど、組織の構成が刷新されたこともあり、いよいよ法人としての改革の年だという思いを起こさせる。
平成16年から10年以上にわたって務めた監事職ではあるが、何年か前から僕は自分の職務の中で、思いがなかなか届かないということを感じており、職を辞したいと思っていた。そんなことから今回その職を離れることに関しては、何の感慨もわいてこなかった。

7名の理事の中で紅一点の金箱さん(この方は他にも保護者会の役員や、NPOの理事を務めるなど、八面六臂の活躍をしている才媛である)からは、僕の引退を惜しむ言葉をいただいたが、これはあくまで社交辞令として受け取っておいた方がいいだろう。
僕だって惜しまれるほどのことをしていたと、自惚れるほどのことはないのだから。しかし、いつも思うのだが彼女のような人がいる限り、法人が変な方向へと向かうことはないだろうと。貴重な人材だ。

 

 

中山七里氏の旺盛な執筆ぶりには驚くばかりだ。僕は何度かテレビ番組に出演した際の氏の話から、彼のことを良い意味で職人作家、あるいは匠だという認識を持っている。
オファーのある出版社の編集者からの注文に応えて、作品を提供するところに物作りの職人、またはレストランのシェフを思い起こさせる。この作家の作品は全作読んでみよう、と思わせるゆえんだ。
この本は昨年9月の発行だから、僕にすればまだ新刊と言っていいが、つい先ごろヤフオクに出品されていたのを見て、手ごろな価格だったので同じ出品者のもう1冊「テミスの剣」と一緒に落札した。
実はこの本の前に10冊ほど読み終わっている本があるのだが、急遽読み終わったばかりの本書の方について書くことにしたのは、読み終わった本がたまると、前の方の本のことを忘れてしまうから、なかな か記事をアップできないのだ

いつもお茶を濁すようなことばかり書いていると、何のための読書記録かわからなくなる。しかし、元来ブログなんて個人の日記だから、何を書こうとかまわないようなものだと、自分に言い訳をしたりして。
長く続けることが何か力になることを期待しているわけでもない。唯々言ってしまえば自己満足に過ぎないのかもしれない。それでも、もう少し先になって、過去ログを見ながら、「馬鹿なことを書いてい るな、アハハ」ということでもいいじゃないか。
そんなことを思いながら書いている。

 

 

書の内容は過去の多くの作品にみられる、終盤の二転三転するどんでん返しではなく、切ない結末になっている。題材は多くの犠牲を伴った東日本大震災にとっている。阪神淡路大震災に直面 して、福島に転居してきた家族のもとに、またもや襲い掛かった原発事故の恐怖と匹敵するような事故が襲い掛かる。
一家の長男・純一は、妹のかつての恋人だった男を、殺害して収監されていたが、仮釈放で戻ってきた 。原発関連の会社に勤める父親のコネで、どうにか孫請けのそのまた下の作業員になった。仕事の上で親しい間柄になった加瀬邦彦は、奇しくも阪神淡路大震災で奇跡的に助かった少年だった。純一の誘いに乗って彼の家庭を訪れるようになったある時、邦彦が純一を口論の末に殺害するという事件が起こった。
パトカーに乗せられ警察に連行される途中で、辛くも脱出した邦彦が向かった先は厳しく立ち入りが制限された福島第一原発だった。何のために危険な個所に向かうのか?
厳寒の中怪我をおしてまで進む邦彦の命がけの道中と、彼を追う一人の刑事。大昔の米テレビドラマ「逃亡者」を思い起こす。

 

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1507.誘拐犯はそこにいる

2014年11月10日 | サスペンス
誘拐犯はそこにいる
Deck the Halls
読了日 2014/09/21
著 者 メアリ・H・クラーク/キャロル・H・クラーク
Mary Higgins Clark/Carol Higgins Clark
訳 者 宇佐川晶子
出版社 新潮社
形 態 文庫
ページ数 279
発行日 2003/12/01
ISBN 4-10-211620-6

 

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ランスの作家・ピエール・ルメートルの「その女アレックス」を紹介した、東京新聞のコラムでは、他に米国のサスペンス作家のメアリ・H・クラーク氏の「誰かが見ている」と言う彼女の処女作を引き合いに出していた。もちろん僕はまだ彼女の作品は「子供たちはどこにいる」(新潮文庫)しか読んでないので、紹介されていた誘拐事件を描かれる処女作「誰かが見ている」は未読だ。
だが、彼女の作品を土台にしたアメリカのテレビドラマは数本見ており、彼女がサスペンスの女王と言わていれることを納得させられたこともあったから、なんとしてもその処女作を近いうちに読みたいと思っている。
昨日(本書を読み終えた日の前日、9月20日のこと)市内のBOOKOFFの文庫棚を見ていたら、本書のタイトルが目に入り誘拐事件ということと、娘さん(キャロル)とのコラボ作だということにも興味があったので買ってきた。
全く僕の読書ときたら自分でも呆れるほどで、傾向も節操もないからあちこち手当たり次第だ。

 

 

そもそも、目標を決めて読書をするなど、心ある人が聴いたら眉をひそめるかもしれない。しかし僕にしてみれば、ただ単に面白い本をたくさん読みたいというだけのことで、別に目標を定めたからといって、それが達成できなくても、あるいはできたとしても、どうということはなくあくまで目指す指標に過ぎない。
なあーんて、自分に言い訳をしても仕様がないが。
前に読んだ「子供たちはどこにいる」の内容はほとんど忘れたが、いかにもアメリカという風土が生んだストーリーという感覚だけはあって、本国で絶大な人気を保っていることがわかる。ドラマでもそうであったように、不条理とも思われる悪意が善良な人々を恐怖に陥れる展開は、この作品でもサスペンスに満ちた展開を見せる。

 

 

が、彼女の作品は終焉を迎えるに当たっては、またいつも通りの平和な状態が戻って、いわゆるハッピーエンドが多い。そんなことから、大きな不安を抱かせるプロセスを楽しんだ(あるいは怖い思い)のあと、穏やかな日常を取り戻せる、ということで読者は安心して彼女の小説を楽しむのだろう。
それでも次々と読みたくなるのは、ある意味で恐怖小説ともいえる彼女の作品が描く、大団円を迎えるまでのさまざまなプロセスが、登場人物たちと同様に不安や恐怖を味わえることに、怖いもの見たさといった感じだろうか?

 

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1500.その女アレックス

2014年10月17日 | サスペンス
その女アレックス
ALLEX
読了日 2014/09/12
著 者 ピエール・ルメートル
Pierre Lemaitre
訳 者 橘明美
出版社 文藝春秋
形 態 文庫
ページ数 457
発行日 2014/09/10
ISBN 978-4-16-790196-7

 

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月2日、75歳の誕生日で僕の読書記録も満15年を迎える。
それを前にどうやら目標の年100冊を読み終えることができて、1500冊目を読んだ。1999年の60歳還暦を機に若いころから好きだったミステリーを、70歳までの10年で500冊読もうというのが、当初の計画だった。
初めは読んだ日や本のタイトルなど、簡単なメモ程度の記録を大学ノートに記していたが、本格的に記録を残そうと思ったのは、8年も過ぎたころだった。2007年4月に契約していたプロバイダー・NTTぷららのブログサービスを利用して、それまでの記録をブログで公開しようと思ったのだ。 だが、いざ始めてみると、すでに700数十冊を読んでいたから、いくら簡単なメモとはいえ、それをブログに移すのは半端な作業ではない。それにパソコン歴が長いとは言いながら、HTMLについての知識は全くなかったから、文章だけ纏めて入力(ワードの文章をそのままいったんメモ帳にペーストしたのち)した。
画像やイラストの移動や日付の設定などは後から、HTMLやCSSを必要に応じて学習しながら少しずつ体裁を整えた。
もうその頃の苦労は忘れたが、新しい記事をリアルタイムでアップするまでには、多分半年くらいの時間がかかったのではないか。

 

そして、今また同様の苦労をしているところだ。それと言うのもNTTぷららからgooブログへの移動が、データ数が多すぎるせいで、うまくいかなかったのだ。“二度あることは三度ある”と言われるように、ことによったら、もう一度くらいブログの引っ越しがあるような気がしているが、その時はもう少し少ない手間で済むよう願っている。

 

訳小説を読むのは随分しばらくぶりだろう。しかも本書は読み終わった日の2日前が発行日となっている新刊だ。それというのも、つい先日(9月12日現在の話だ)東京新聞の文化欄にある「大波小波」と言うコラムで紹介されていたのが本書で、従来の誘拐事件を扱ったものとは趣の異なるミステリーと言ううたい文句に惹かれて、読んでみる気になったのだ。
その昔海外のミステリーになじみが無く、読んでいて名前が分からなくなるから翻訳物は苦手だという人が、僕の周りには結構いた。たくさんの海外ミステリーを読んでおり、若かった僕はそういう人たちを不思議な感じで見ていた。
だが、歳をとった今記憶力が鈍くなり、翻訳小説を読んでいる途中で、何度か初めのほうにある登場人物の紹介を見返すたびに、そんな昔のことを思い返すことが多くなった。
だが、記憶力と加齢はあまり関係がないということも聞く。要するに記憶ばかりでなく何事も努力により、加齢による衰えをカバーできるということなのだろう。
とはいうもののそれが簡単にできれば苦労はしない。6月に起こった転落による骨折などの後遺症か?今頃になって、背中の痛みや左手のむくみ、加えて前屈みになった時に走る両手首から下半身に至るまでの、電気の様なしびれなど、そうした症状から物事が億劫になることが多いこの頃である。
また以前のようにストレッチ体操を復活させようと思いながらも、なかなか思うに任せないのが現状だ。

しかし、そんな僕の状況にもかかわらず、本書は最初からぐいぐいと物語に引き込む力があった。 メアリ・ヒギンズ・クラーク氏の処女作「誰かが見ている」(僕の蔵書にもあるが未読)を始めとして、誘拐事件を扱ったミステリーは多いが、先述のように本書は従来の誘拐事件を扱ったミステリーとは趣の異なった事件だという、紹介分の通りアレックスと言う女性を誘拐した男の、容赦のないバイオレンスの描写、手足の自由を奪われ、木の檻に入れられつりさげられたロープを伝って、襲い掛かろうとする牙をむいたネズミの集団等々、ただの誘拐とは違い、その目的は何かと言う疑問を抱かせる。
タイトルの「その女・・・」という表現が、なるほどと思わせる場面は彼女がそうした状況を克服しようとするところだ。

一体アレックスとは何者なのか?そうした疑問は終盤で明らかになるのだが、思わぬ結末に・・・・。

 

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1497.砂の女

2014年10月10日 | サスペンス
砂の女
読了日 2014/08/19
著 者 安部公房
出版社 新潮社
形 態 文庫
ページ数 276
発行日 1981/02/25
ISBN 978-4-10-112115-4

 

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をとると昔のことを懐かしく思い起こすことが多いといわれる。どうやら僕もその口で、唐突に脈略のないことが頭をよぎる。本書のことも、はるか昔岡田英治、岸田今日子両氏の主演で映画化されたことが頭に浮かんで、当時はそれほど興味があったわけではなかったが、なんとなく頭に残っていたのだろう。 大まかな筋立てとまではいかないが、映画雑誌かなんかで読んだか見たか、アリジゴクの様な砂の中の女につかまって、逃げられなくなった男の物語だ、というくらいの認識はあった。 にもかかわらず僕の気まぐれは、一度読んでおく価値はあるのではないか?などと言う思いを湧きあがらせる。 主演のお二方ともにもうこの世の人ではなくなっているはるか昔の映画のことが気になって、レンタルビデオ店でDVDでもなっていないか探そうと思ったが、その前に原作を読んでおこうと思った。

 

 

読む前から偏見めいたことは考えないようにしているのだが、作者の安部公房氏については何も知らないにもかかわらず、何か難しい哲学ののような思想が、文学作品を形作っている、といった考えが僕の中にあって、もしかしたらそうしたものが昔映画を見なかった理由か?さらには原作にも興味を示さなかったことかもしれない。 それは来月75歳を迎えようとしている今でも全く変わってはいない。つまり、僕の理解力の貧しさは、少し でも難しいと思うことに関しては、頭がついていけないのだ。そんな風なのになぜか気になって、ちょっと意味合いが違うが、怖いもの見たさと言うのか、読んでみようという気になったのである。

 

 

み終わって、内容は漠然と覚えていたものと、大筋では変わらず不思議な感覚をもたらす、不条理とも言える内容だ。変な言い方だが、読み始めて僕がなぜこの本を今頃になって読もうと思ったのか?が少しずつ分かってきた。 どうということはない、砂の穴にある女の家に泊まったために、抜け出せなくなった男が、その後どうなったのだろうか?ということが心のどこかにずっと残っていたのだということが分かっただけのことだ。 そこに僕はミステリアスな感じを持ったから、一度は読んでおこうと思ったに過ぎない。前述のごとく僕の頭は難しいことは分からないが、それで読後何かを考えさせるこの作品の価値が、今もなお読者を誘うのではないかとちょっぴり感じた。

 

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1496.春から夏、やがて冬

2014年10月08日 | サスペンス
春から夏、やがて冬
読了日 2014/08/15
著 者 歌野晶午
出版社 文藝春秋
形 態 文庫
ページ数 295
発行日 2014/06/10
ISBN 978-4-16-790113-4

 

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はあまりテレビを見ないので、(好きなミステリードラマなどは予約録画して、あとで纏めて見ることが多い)たまたま昨夜テレビつけたら、NHKの報道番組「ニュースウォッチ9」をやっていて、今年のノーベル物理学賞に3人の日本の物理学者が選ばれたというニュースが流れていて驚いた。
受賞の元となった研究は悠か20年も前からのもので、当時話題となった青色LEDだと聞いてなおさら驚いた。
この青色LEDについて僕の記憶はまばらなものだが、確か企業の開発研究者の発見が、企業のものか個人のものかという議論を投げかけていたのではなかったか?と、記憶していたがその後のことは覚えていなかった。
日本の科学技術や研究が世界に誇れるものだということの証明だが、その割には研究者たちの待遇については、欧米諸国に比べて決して誇れるものではないようだ。個人のたゆまぬ努力が名誉を勝ち取ることは生易しいものではないだろうと思うと、なおさら彼らの研究に拍手を送りたい。

東日本大震災以降電力の省力化ということにも貢献しているLEDで、割と身近に感じられている科学技術の一つだ。最近は家庭の電灯もLED証明がだいぶ普及しているようで、電球も出始めたころから比べるとだいぶ価格も安くなっている。
そんな身近な話題も今回のノーベル物理学賞の受賞は、僕を含めた多くの人に実感として迎え入れられることだろう。

 

 

歌野晶午氏については2002年の「長い家の殺人」と、2006年の「葉桜の季節に君を想うということ」の2冊しか読んでなくて、詳しくはないのだが、「葉桜の季節に・・・・」の結末に驚きを感じたことが心に残っており、同じ文藝春秋から刊行された本書についても、似たようなタイトルに心を惹かれて、読んでみたいと思っていた。
今回の物語は、スーパーの保安係をしている平田をメインキャラクターとしたストーリーだ。
彼はある日若い女性の万引き犯を捕捉した。万引き犯に対しては、いつも厳しく接しており、万引き犯はもちろん警察に引き渡すのが通例だった。だが、末永ますみというみすぼらしい姿の女の免許証の、生年月日を見た平田は、女を警察には引き渡さず、そのまま返した。

 

 

田は一人娘の春夏(はるか)を事故で亡くしていた。末永ますみはその娘と生年月日が同じだった。 だが、末永ますみを説諭だけで解放したことが、その後の平田の運命を大きく変えることになる。何かにつけて末永ますみは平田と会おうとするのだ。彼女に暴力をふるうろくでもない男と同棲している彼女を、見捨てておけない平田にやがて、親切が仇になるようなしっぺ返しとも言うような事態が・・・・。
不条理とも思える驚くべき終局は、切なくも重苦しさを感じさせる。

 

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1491.刑事さん、さようなら

2014年09月20日 | サスペンス
刑事さん、さようなら
読了日 2014/07/30
著 者 樋口有介
出版社 中央公論新社
形 態 文庫
ページ数 301
発行日 2013/12/20
ISBN 978-4-12-206885-9

 

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年暮れにしばらくぶりで著者の作品を読んで、もう未読の作品は少なくなってきた。それでも精力的に?新しい作品を発表しているから、楽しみだ。読書人であれば、誰でも覚えはあるだろうが、僕は時により一人の作家の作品を続けて読みたくなって、短い期間に読み続けることが過去に幾度かあった。
宮部みゆき氏をはじめとして、この樋口有介氏や、戸板康二氏の作品などだ。樋口氏の作品は本書で27冊目 となる。今までたくさんの作家の作品を読んできたが、20冊以上の作品を読んでいる作家は多くはない。
それは僕が好んで読む作家の中には不思議と、寡作の作家が多いような気がして、そんな作家の作品はかえってもっと読みたいという欲求がわいてくるが、これはないものねだりかも知れない。

 

 

この著者の作品には暑い夏の日を舞台にした青春ミステリーが多いような気がする。そんな中でうらやましいほどの魅力的なキャラクターたちが、動き回るストーリーを読んでいると、彼らとは全く相いれないような貧しい環境での僕の青春時代ではあったが、帰れるものなら貧しくともいいから、もう一度あの日の夏に返りたいと思いが募る。
だが、今回の作品はそうした青春ミステリーとは一味もふた味も違う内容だ。

埼玉県本庄市の住宅で、76歳の老女が死んでいるという通報が本条中央署にあり、容疑者の夫・都丸と言う老人はこたつでテレビを見ていた。捜査員たちの問いかけにも関わらず、彼は姓名の他は黙して語らずの姿勢を保っていた。
警察に通報したのは中年と思われる女だったが、名前も名乗らなかったし現場からも消え去っていた。本庁捜査一課から出張ってきていた管理官は、事故にできなかったものかと言うが、通報してきた女が事故処理で済ませた後で、出てきて犯行現場を見ました、というようなことになったら、警察の威信は吹っ飛んでしまう。 そんなストーリーのスタートである。所轄の須貝刑事の独特の捜査が始まり、前半は警察の捜査状況が主流となって物語は展開する。
だが、須貝刑事が主人公の警察小説の赴きは、後半も半ばを過ぎるころになってがらりと様子が変わる…。

 

 

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1490.要人警護

2014年09月18日 | サスペンス
要人警護
読了日 2014/07/28
著 者 渡辺容子
出版社 講談社
形 態 文庫
ページ数 477
発行日 2014/04/15
ISBN 978-4-06-277819-0

 

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手の掌や指先が軽い痺れを発して気になる。そんな症状はもう1週間以上続いたろうか?多分6月の階段転落の後遺症だと思うが、今頃になって左手を握ると内側に抵抗感があって、固く握れなくなっている。ドクターは気長に回復を待つように、と言うがいろいろと不都合が出てくると、少しばかり憂鬱になる。
まあ、怪我のせいばかりではなく、今まで気にすることもなかった加齢による身体の不調も加わっているのだろう。いつまで続けられるかわからないこのブログの、過去の記事の修復と整理も毎日少しずつやっているが、言いにつけ悪いにつけ何事も受け入れてやっていくしかないのか。

というようなことで、前作の「ターニング・ポイント」に続く、八木薔子シリーズの長編だ。前作の途中から警護員(ボディガード)となった八木薔子が、今回警護するのはマラソンのスター選手・日比野真姫(まき)である。
ボディガードといえば、ケビン・コスナー氏と惜しくも若くして亡くなったホイットニー・ヒューストン氏が共演したアメリカ映画が思い浮かぶ。男女の違いはあるが、対象者を事故やテロから護るという点は同じで、その言動や佇まいにクールな雰囲気を漂わせる八木薔子の魅力が、本作でも十分に発揮される。
女性版ハードボイルドとしては、よりリアリティを感じさせるストーリーだ。

 

 

先日(詳しい日時は忘れた)Axnミステリー(スカパーのチャンネル)の「講談社リブラリアンの書架」に著者の渡辺容子氏が出演して、本書について松井茜嬢のインタビューを受けていた。
主人公の八木薔子は江戸川乱歩賞を受賞した「左手に告げるなかれ」で、主にデパートなど店舗の万引きなどを捕捉することを業務とする保安士として登場した。そのあと著者は次第にこの八木薔子に愛着を感じてきたようだ。僕はそのいくつかの作品を読んできたから、著者の思いに大いに納得しながら話を聞いた。

僕はすでにシリーズ最新刊の「罪なき者よ、我を撃て」を単行本で買ってあるから、近いうちにまたほれ込んだ主人公・八木薔子に会えることを楽しみにしている。

 

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1488.完全なる首長竜の日

2014年09月11日 | サスペンス
完全なる首長竜の日
読了日 2014/07/20
著 者 乾緑郎
出版社 宝島社
形 態 文庫
ページ数 313
発行日 2012/01/27
ISBN 978-4-7966-8787-4

 

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月13日に2階からの階段を転げ落ちて、左腕手首を骨折した後の、経過措置のため今日2度目の通院をした。僕の通う君津中央病院は、国保の直営病院で、近隣の地域では最大の総合病院である。そのためいつも広い駐車場が満杯になるほどの盛況?を見せている。だから、できるだけ近くの駐車場を確保するため早めに出る必要があり、病院へは車で5分ほどだが、今日の予約は10時となっているので、9時過ぎに家を出た。
案の定駐車場はほぼいっぱいの状態だったが、運よく警備員の誘導で近くに止めることができた。まあ、遠くと言ったって歩いてもたかが5分やそこいら、本当は歩いたほうが身体のためにはいいのだが・・・。

整形外科の診察の前にX線の撮影を済ませ、外来の待合室で待っていたら、今日は割合早く診察室に呼ばれた。三浦医師から取ったばかりのX線写真が表示されたモニターで、順調な回復をしている骨の接合状態の説明を受ける。今回は薬の処方もなく、次回の診察は3か月後の12月11日(木)と言われる。
遅い時は1時間くらい待たされることはざらで、そのため僕はいつも文庫本を持っていき、待ち時間に読むのだが、今日は珍しく早かったので、10時には会計を済ますことができた。幸い出がけに降っていた雨も上がって、駐車場まで傘もささずに行けてよかった。
順調な回復とはいえ、左手はまだ手首を内側、外側に曲げると痛く、通常の状態になるのはまだ1―2か月かかるのではないかと思われる。
行為所かどうかはっきりしないが最近、寝るときに布団に横になると、身体が沈み込むような感覚を覚え、反対に体を起こした時には、眩暈がして時には転倒しそうになることもある。一度耳鼻科で診察を受けた方がいいのかもしれない。

 

 

さて、先日の「利休にたずねよ」がタイトルに惹かれて読んだ作品の典型だとすれば、本書はそちこちの新刊書店や古書店でも見かける中、多分こんなタイトルの本は読まないだろうと思う部類の典型といえる。
そういうところが僕の欠点で、今までにずいぶん面白い本を見逃しているのではないかとも感じている。が、見逃した本は何冊あろうと、僕は知らないのだから知らぬが仏なのだ。それでも将来にわたって読むことがないだろうと思いながら、何かがきっかけで読んだら面白かったということは、結構あるものだ。
まして本書は名高い「このミス大賞」の第9回で大賞を満場一致で獲得した作品だ。面白くないわけはないのだが、前述のようにマイケル・クライトン氏の「ジュラシック・パーク」を連想させるようなタイトルが、僕の興味を損なわせていたのだ。

 

 

れでも本は読んでみて、初めてその価値がわかるということを、今回も改めて実感した。
還暦後もうじき(11月2日)15年を迎え、その間読んだ本もミステリーを中心に1500冊になろうとしている。にもかかわらず、タイトルだけで取捨選択をする癖を直そうとはしないのだから、困ったものだ。
この作品は映画化されるみたいだ。(もうすでにされたのか?)
植物状態となった患者と意思の疎通が可能となる医療器具「SCインターフェース」が開発される。
少女漫画家の和敦美はその機械を使って、自殺未遂で意識不明の昏睡状態となった弟・浩一と対話を続ける。この昏睡状態の弟とのコミュニケーションは、まるで夢の中にいるような感じで、夢と現実が交錯するような描写が何度もある。

 

 

僕は途中でアメリカ映画「エンゼル・ハート」を連想して、もしかしたら同様のシチュエーションではないかと、思いながら読み進めると、想像していたことが半分くらいは当たっていた。 こういうことはあまり当たってほしくないのだが、しかし、物語は部分的にSFではあるが、人間の心理状態の奥底を見せられるような、優れた描写を見せる作品だ。タイトルから僕が想像していたようなストーリーとは違って、読んでよかったと313思わせる作品だった。

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1483.白ゆき姫殺人事件

2014年08月08日 | サスペンス
白ゆき姫殺人事件
読 了 日 2014/06/29
著  者 湊かなえ
出 版 社 出版社名
形  態 単行本・新書・文庫
ページ数 ページ数
発 行 日 yyyy/mm/dd
I S B N 978-4-

 

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は時々同じ過ちというか、失敗を繰り返す。5年ほど前に読んだ著者の「告白」で、巷の評判とは異なる印象を持ったのに、というのはつまり僕の好みではなかったという意味なのだが。僕はそれほど頭が悪いとは思わないが、こういう本を読んでいると、「俺は頭が悪いのか?理解できない。」と思うことが次々と出てくるのだ。そうすると読むのがつらくなってきて、途中で投げ出したくなるので、本当は、僕は頭が悪いのではないか?なんていう疑問がわいてくる始末だ。
要するに半ば拒否反応を示してしまうのだ。多分今度こそ本当に著者の本を手にすることはないだろう。

 

 

連日の猛暑と、一方では台風や低気圧の影響で、豪雨に見舞われるところもあって、異常気象という言葉がまさに当てはまる近頃だ。
僕の部屋にはエアコンはないが、それでも少しでも風があれば、それほど苦痛を感じるほどの暑さではない。
また、少しずつ新しい本の記事を書いているが、それより毎日の作業はplalaで書いていた過去の記事の移行と修復である。
データの数を考えると、気の遠くなる作業だが、他にすることもないから休み休みやっている。移行作業を優先的にやっているつもりだが、古い記事のHTMLの書き方を見ていると、表示には問題ないのだが、余分なタグが数多くあり、時々それらを消去していると、面倒になってこれでは初めから全部書き直したほうが早い、なんていう場面にも出くわすことになって・・・・。

 

 

じ修復でも、たまに絵画の修復作業などをテレビでやっているのを見るが、それこそ僕のやっている作業などまったく比較にならないほどの根気のいることだと、修復師に尊敬の念を抱く。
カンバスの破れなどがあるときは。その時代のカンバスを探すことから、また使われている絵具にしても同時代のものを使う必要があるわけだ。惜しくも亡くなった作家・北森鴻氏の作品にもいくつか修復師の話がある。
凡人には及びもつかないストーリーの流れの中に、優秀な修復師の作業でよみがえる名画に、ただ驚きを覚える以外にない。

そんな思いがわくが僕の作業は比べれば単純と言っていいかもしれない。しかし、根気がいることに変わりはないから、せいぜい飽きずに続けるしかない。話がとんでもないほうに飛んだ。

 

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1472.ターニング・ポイント

2014年07月08日 | サスペンス
ターニング・ポイント
読 了 日 2014/05/25
著  者 渡辺容子
出 版 社 講談社
形  態 文庫
ページ数 466
発 行 日 2012/05/15
ISBN 978-4-06-277258-7

 

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回も同じ事を書いたが、身体の中の暦が当てにならなくなった。まあ、今に始まったことでもないか。著者の「イン・パラダイス」を読んだのがついこの間という感覚だったが、記録をたどったら、もう2年以上前だった。別に驚くにはあたらない、いつものように「Time fly like an allow」を感じるだけだ。
僕は、以前この「光陰矢の如し」が中国の漢詩が出典だと思っていたら、英語にも同様の表現があることを知って、少し驚いた。似たようなものに「少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず」というのがあり、調べたらこちらは中国の漢詩だという。ところが長い間“朱熹”の作だと言われていたのが、のちの研究によりもっと前の文献にもその記述があり、違うことが分かったのだそうだ。
しかし、これもいくつかの候補があって、確たることはまだわかっていないということだ。出典が古くなると、まだまだ判明していないことも多数あるのだと知る。興味のある方はネットを検索してみることをお勧めする。

 

 

僕はこの作者の作品にも時々胸が痛くなるようなサスペンスを感じて、そうしたものを感じたくて思い出すと読みたくなる作家の一人だ。どうやら作者は乱歩賞を受賞した「左手に告げるなかれ」の主人公(保安士)がお気に入りのいるようだ。もちろん僕も好きなヒロインの一人で、この後にも最近のシリーズ作品「罪なき者よ我を撃て」を、あまり間をおかずに読みたいと思っている。
「左手…」の方は天海祐希氏の主演でドラマになっているから、シリーズとして又ドラマにならないかと期待しているが、多分無理だろうな。
それでも、最近いくつかの原作がドラマになって話題を呼んだ池井戸潤氏の作品など、乱歩賞受賞作の「果つる底なき」からその後の多くの銀行ミステリーに夢中になっていた僕からすれば、人気が出るのが遅すぎたという感じだ。しかし、何事にもタイミングがあるということなのだろう。
渡辺容子氏の作品も、「左手・・・」の前年に乱歩賞最終候補に残った「流さるる石のごとく」も、乱歩賞は逸したものの、集英社から単行本が出て、しかも池上季実子氏の主演でドラマ化もされたということを考えれば、やはり作品が世に出るタイミングはあるのだろうという気がするのだ。

 

 

舗における万引きなどを防止、あるいは実行犯を捕捉する保安士の八木薔子がこのシリーズのヒロインだ。
本書は連作短編集だが、シリーズ初期の作品で初めの3篇はスルガ警備会社の警備員だが、後の2編は同じ会社で警護の任務を担当するいわゆるボディガードとなって活躍する。この2編は少し長めのストーリーで、八木薔子の活躍が楽しめる。もちろんボディガードとはいえ、アメリカ映画のクリント・イーストウッドを思い浮かべては間違いだ。狙撃の盾になるなどということではないのだが、スリルとサスペンスは十分で、ヒロインの活躍はカタルシスを十分に味わえるのだ。

話は変わるが、先日しばらくぶりに「講談社リブラリアンの書架(6月号)」(Axnミステリーの番組の一つ)を見ていたら、珍しく著者・渡辺容子氏が出演していた。僕は写真の若い時しか知らなかったので、少しお年を召した著者の姿を見て、その歳なりの魅力を感じた。「エグゼクティブ・プロテクション」が文庫化に際し「要人警護」と改題されて出たことに対しての出演だった。
僕がもっともっと書いてほしいと願う作家のひとりで、元気な姿を見てひと安心。

 

収録作
# タイトル 紙誌名 発行月・号
1 右手に秋風 小説現代 1996年10月号
2 去年の福袋 小説現代 1997年1月号
3 サボテン 小説現代 2002年8月号
4 ターニング・ポイント 「乱歩賞作家 青の謎」 2004年8月刊
5 バックステージ 書下ろし  

 

 

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1470.Fの悲劇

2014年06月02日 | サスペンス
Fの悲劇
読 了 日 2014/05/04
著  者 岸田るり子
出 版 社 講談社
形  態 単行本
ページ数 600
発 行 日 2012/04/25
I S B N 978-4-06-217602-6

 

上の著者名をクリックすると、著者のページへ移動します。

紙の画像はイラストだとばかり思っていたら、写真だった。内容にピッタリな写真があるはずはないと思うから、特に「池の中での花を抱いた女性の死体」などというシチュエーション・ピクチャーが。
すると、表紙のためにカメラマンに依頼したのか?僕は表紙のデザインも読者に訴える重要な役目を担っていると思うから、実際僕は物語の一端を端的に表しているのではないか?もの悲しさ、あるいは謎の一部分か?そういういろいろと想像させるこの表紙が好きだ。
東京創元社が主宰する鮎川哲也賞の受賞作家である著者の作品を初めて読んだのは、受賞作ではなく受賞第1作となる「出口のない部屋」だった。もう何年も前の事だから内容はすっかり忘れたが、本格ミステリーの面白さを味わって、その後改めて受賞作を読んだという経緯がある。
そして、なんとなく気になる作家の一人となった。しかし、しばしば僕の好きなるのが寡作の作家が多いのはなぜだろう。僕はそれほどトリッキーな妙意を凝らした作品を望んでいるわけではないが、作者の方は読者を楽しませる、あるいは驚かせる作品に力を込めることから寡作となるのか?
作者の胸の内を僕が憶測することにあまり意味があるとも思えないが、考えてみれば一つの作品を創り上げるには、やはり相当のエネルギーを使うのだろうから、そうそう誰もが次々傑作ミステリーを生み出せるというわけではないだろう。その点著者はそれほど寡作でもないから、折に触れ作品を読み続けたい。

 

 

そうした反面驚くほどの作品を生み出す作家もいるから面白い。またまた勝手な想像をすれば、一つには読者を楽しませるということについて、80点くらいを目指して多くの作品を書き上げる、という考え方もあるだろう。いやいや誰がというわけではないが、たくさんの作品を世に出せば比例してたくさんの読者に迎えられるということにつながるという考え方もあるのかもしれない。(考え方の一例を挙げただけで現実にそうなっているかどうかは知らない)
少しの作品しか生み出さない作家諸氏は、それだけで暮らしてゆけるのだろうかと、全く余計な心配をしても仕方がないが、ここに若干一人の読者がそうした寡作の作家に次の作品を待ちかねていることをアピールしておきたい。
森博嗣氏のS&Mシリーズに出てくる、ヒロイン西之園萌絵でよく知られるようになった?見たものを映像として記憶できる人がいる、ということが後々いくつかの他の作家の作品でも見られるようになった。
実は本書に登場する女性もそうした能力を持つがゆえに、幼いころに記憶をもとに描いたクレヨン画が、殺人事件の様相をそっくり写し取っていた。それがストーリーの出発点となっている。だが少女の母親はそう事件のあった場所に少女を連れて行ったことはないというのだ。

 

 

はアガサ・クリスティ女史の「スリーピング・マーダー」という作品が好きで、ジョーン・ヒクソン女史がミスマープルに扮したドラマも、数回繰り返し見たほどの好きなシチュエーションである。
過去に有った眠れる殺人事件を掘り起こすというパターンが、後の作家によって形を変えていくつもの作品に現れて、そうしたストーリーを僕もいくつか読んでいるが、その都度ワクワクする気分を味わった。
ここでもスリーピングな事件とは言えないが、誰もが肝心の事を隠しているような事件が、主人公の真相解明への意欲を持たせるという設定で、これも一つの「スリーピング・マーダー」の変形と言えるのではないかと、楽しみながら読んだ。 惚れっぽいのが僕の短所であると同時に、良いところでもあると―これは自賛だ―思っている。というのも作品にほれ込むと同時に作家本人にもほれ込んでしまうところがあって、特に女性作家の場合は、時に恋人のような気になることもあり、それがおかしい。
いや、僕は行く先々の店や食堂、あるいは病院にまで恋人を作ってしまうのだ。もちろんそう思っているのは僕だけで、相手はそんな僕の思いは露ほども知らない。もっとも僕の方も心のうちにそう思っているだけで大部分の人にはそぶりさえも見せないでいるのだが。(人が心に思うことは、誰も止めることができない。僕が好きな歌の中のセリフだ。)
それでも、そう思うだけでもそこへ行くのが結構楽しくなるというものだから、できるだけそんな架空の恋人を作ることにしているのだ。話がとんだところに飛んでしまった。

この記事は「東京バンドワゴン」の次に(5月28日)アップする予定だったのだが、メモを読み違えて順序がくるってしまっていた。順序がくるっても一向に差し支えはないものの、たまに折角読んだ本を抜かしてしまうこともあるから、歳のせいにはしたくないが注意力が少し散漫になっているようだ。

 

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1468.ジャンプ

2014年05月28日 | サスペンス
ジャンプ
読 了 日 2014/05/17
著  者 佐藤正午
出 版 社 光文社
形  態 文庫
ページ数 360
発 行 日 2002/10/20
I S B N 4-334-73386-7

 

上の著者名をクリックすると、今まで読んだ著者の作品一覧へ移動します。

変わらず僕のものぐさは、どこかで紹介された本のタイトルだけしかメモしてないから、どこで誰がどんな風に紹介していたのか、いざこうしてその本を読んだときに、ここでその出典を紹介できないでいる。
その時になって次からはちゃんと書いておこう、などと思うのだがなぜそんな些細なことがいざとなると実行できないのだろう?まったく。
ただ、今度の場合は、本書が紹介されていたわけではなく、著者の「Y」という作品が紹介されていたことが頭にあって、たまたまBOOKOFFの108円の文庫棚で、同じ著者の本書を見てなんとなく読んでみたいと思ったのだ。
初めての作家の場合は、たとえ108円の本であっても、普通は結構買おうか買うまいかと迷うが、今回は誰かの紹介がおもしろそうだったのか、すんなりと読んでみようと思った。書いている内に少し思い出した。
このブログでたびたび登場する、おなじみBSイレブンは「宮崎美子のすずらん本屋堂」で、ゲストの作家(名前は思い出せない)がお薦めの本として佐藤正午著「Y」というタイトルを紹介していたのだった。佐藤正午氏についてはそこここで見て名前だけは知っていたが、どんな作品を書くのは知らなかった。
だが一文字のYというタイトルと佐藤正午氏に興味を持ち、いつか読んでみたいと思ったのだ。

 

 

僕はこのブログで時々ミステリーと銘打たれていない本を読んで、ここに書いている。それでも変なこじつけではなく、僕はすべてミステリーとして読んでいるつもりでいる。一つでも謎があれば、あるいは謎めいたエピソードがあればミステリーだと言ってもいいだろう、そう考えてはいるが中にはいくらそう思おうとしても、全くミステリーと言えない本もある。
そんなときは僕がミステリー以外の本を読むことに対する心のミステリーと言ったこじつけを考える。何もそんなことを考える必要はないのだが、これからもいろいろとたくさんの本を読んでいく中で、そうしたミステリーではない本もいくつか入ってくるだろうときの、ややこしい言い訳を先に書いた。
人によってはミステリーの原型はすでに出切っているという。現在世に出ているミステリーはすべてその変形だというのだが・・・・。
僕はそんなことから、本書も読み方によっては「幻の女」探しの変形パターンではないかという感じがしないでもないが、何より語りが素晴らしい。いやもちろんストーリーの展開も良い。

 

 

かな手がかりを追って、謎の解明に向かっていくと、行く先々で新たな謎が浮き上がってくる。そうしたストーリーは過去にも読んだような気もするが、先述のように語り口の上手さが、そうした展開を見せるたびワクワクさせるのだ。
だが、この物語のすごいところは、なんて書いてしまってはネタ晴らしになりかねない。僕は女性の強さというのか、ドライな考え方と言えばいいのか、とにかく予想外のその結末に首をひねった。
予定調和でないところにこのストーリーの神髄があるのか、そんな感じがしたのだ。作者は意識してそうした図式、例えば弱い男と強い女と言った具合だ、そういうものが狙いだったのか?そんな単純なことかどうかはわからない。しかし、伏線も見事に効いたミステリーだともいえる作品だ。
と言ったようなことで、僕はいつか「Y」という作品も読むことになるだろう、多分。

 

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1466.デビル・イン・ヘブン

2014年05月24日 | サスペンス
デビル・イン・ヘブン
読 了 日 2014/04/28
著  者 河合莞爾
出 版 社 祥伝社
形  態 単行本
ページ数 423
発 行 日 2013/12/20
I S B N 978-4-396-63430-8

 

上の著者名をクリックすると、今まで読んだ著者の作品一覧へ移動します。

日は朝10時から富津市湊にある、社会福祉法人薄光会の介護施設「太陽(“ひ”と読ませる)のしずく」(ここに一応本部事務所を置いている)で定例の評議員会、理事会が開催された。
午前中と言っても12時過ぎまで続いたが、評議員会が行われ、昼食をはさんで午後理事会となった。
この場で僕の担当する監事監査報告で配布・使用する監査報告書の作成にだいぶ苦労して、事務局あてに送っておいたのだが、残念ながら出席者に配るのが間に合わず、おまけに今年は僕のパワーポイント(Microsoftのプレゼン用ソフト)を使ったプレゼン用のデータも作らなかったので、自分用の報告書だけで説明するという、何ともしまらない報告となった。
それはともかくとして、薄光会には一応本部という名前はあるのだが、専任の部員がいるわけではないから、全体的な事務処理能力はないに等しい。そのために会議用の資料が当日配られることや、あらかじめ送付された資料の訂正資料が、これまた当日に配られるということが多く、何とかならないものかと思うが・・・。
そうしたことに厳しい会社で仕事をしていた僕にとっては、何とも言い難い不快な気分に陥る。

 

 

そういう場面にぶつかることが嫌で、というわけでは決してないが、会議の始まる前に僕は理事長に11月の任期いっぱいで、監事職を辞任したい旨の申し入れをした。その件に関してはもう何度かここにも書いてきたが、僕の役職に対する意欲の減退がその原因だ。
いやいや続けたのでは組織にとっても、自分自身にも悪い影響を与えかねないから、辞めることが一番の解決策だという結論に至ったのだ。理事長からは後任の人選を依頼されたが、近頃は―ここ数年の事だが―保護者の動向にとんと無頓着になっていたし、新しい人はほとんど知らないといった状況なので、事務局のK氏にお願いしようかと考えている。
今考えられる監事職に適任と言えば、理事のMKさんくらいだ。その件に関しては帰宅後、理事長宛てに監査報告書の冊子を送るついでに、手紙を添えておいたのだが、理事長の理解を得たいものだ。

 

 

国の悪魔なんていうわけのわからないタイトルと、壮大な物語を思わせる表紙のデザインが、僕の興味をひいて読んでみたいという気にさせた。著者の河合莞爾氏は、2012年、「デッドマン」という作品で第32回横溝正史ミステリ大賞を受賞してデビューした作家だそうで、初めての出会いである。
前にもどこかで書いたと思うが、僕は一時期「横溝正史ミステリ大賞」なる文学賞に疑問を抱いたことがあり、敬遠していたことがあった。芥川賞や直木賞と言った伝統ある文学賞でも、当然のことながら選考委員は変わるから、その時々によって受賞作品の傾向が変わることはどうしても避けられない現象だろう。
しかしだからと言って、選者の好みがあからさまに影響を与えるようでは、読者としては戸惑ってしまうのではないか。そんなことを僕は同賞に感じたことがあったのだが、今では歳をとったせいもあるだろうが、割合そうしたことにも寛大になったらしい。別に僕は歳とともに丸くなりたいとも思わないが、自然とそうなることは仕方がない。
それでも近頃はミステリーに限らず、出版業界が不況と言われることが影響しているのか、文学賞なるものが増えた。そうした文学賞を一つの読書の指針としている平々凡々たる僕などは、どれを参考にしていいのかわからなくなるほどだ。

 

 

それは置いて、最近横溝正史ミステリ大賞の受賞作品を何冊か読んで、どうやら僕の偏見?も解消されたようで、またこの過去の受賞作も探してみようかと思っていた矢先だったから、この本に出会ったのは渡りに船?のような感じだった。ほんの少しばかり諺の趣意とちがうみたいだが、まあ固いこと言わずに。
それと、過ぎたゴールデンウィークに最中にBOOKOFFで20%引きのバーゲンセールが開催されていて、そんなことはめったにないことだからとばかりに、本書を含め3冊ほど買い入れたのだ。
またまた悪い癖が出て、読むのも追いつかないのに新たに買い入れるのは愚の骨頂と、思いながらの事だった。安い食材を求めてスーパーのバーゲンセールに殺到する主婦を笑えない。
喉につかえた魚の小骨のごとく、気になっていた監事監査報告書が一段落したためか、ようやく平常心が戻ってきたみたいだ。と言ってもまだ積極的に横溝正史ミステリ大賞を追いかけてみようという気にはならない。賞が多くて追いかけ切れないということもあるが、専門家の意見などももう少し見てみたい。

本書も最近読んだものと同様、近未来の世界を舞台とするストーリーだ。
ギャンブル好きの読者には興味深い話が盛りだくさんだ。東京はお台場の先に埋め立てた島をカジノ特区とするという話で、一大歓楽街が誕生するのだ。オリンピックの開催とカジノができて、多くの外国人観光客を呼び寄せようというのだが。
ギャンブルに身を持ち崩した老人が次々といなくなるという不思議な事件が続発することを誰も気づかない。
その裏に隠された壮大な陰謀が・・・・。

 

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1465.コスモスの影にはいつも誰かが隠れている

2014年05月22日 | サスペンス
コスモスの影にはいつも誰かが隠れている
読 了 日 2014/05/22
著  者 藤原新也
出 版 社 河出書房新社
形  態 文庫
ページ数 243
発 行 日 2012/6/20
ISBN 978-4-309-41153-8

 

上の著者名をクリックすると、今まで読んだ著者の作品一覧へ移動します。

 

しい本を見つけるのは、時々ここに書いているように、テレビの書評番組が多いのだが、たまに読んだ本の後ろにその出版社の簡単な目録が掲載されていることがある。
そうした中から気になるタイトルがあると、タイトルを書き留めておくなり、あるいはAmazonで探したりする。
このタイトルをそうした河出書房新社の目録で見て、何かミステリアスなタイトルにぜひ読んでみたいという感じを抱いた。そして手にした文庫は僕の予想をはるかに超える感動を僕にもたらした。
文庫のカバー折り返しにある紹介によれば、著者は写真家であり作家だという。
表紙のコスモスが咲く草原の写真は、タイトルにふさわしくその陰に誰かが隠れているような雰囲気を漂わすが、作者の作品だ。
上の本のデータにあるように、この本は今(5月22日)読み終わったばかりだ。僕がそうして読み終わった本をリアルタイムでここに書くことはめったにないことなのだが、実は今読み終わったといっても、この本は下記のように短い短編(変な言い方だが、243ページの中に14篇も収められていることを見ればその短さがわかるだろう)で構成されたものなので、他の本を読みながら合間に少しずつ読んでいたのだ。

 

 

最近はあまりそういうことはなかったのだが、僕の読書は昼夜通して読み進むということはなく、時々休んでは他の事をやるといった読み方で、時にはこのような短編を一つ読むといったこともよくやった。
以前は木更津市の図書館に立ち寄った時など、気になった短編集を1篇だけ読んで、何日かしてまた行ったときにまた1篇というように、何日もかけて1冊を読むということも、何度となくやったことがある。
本書のように短いストーリーは短い時間で読めるから、そうした読み方に適しているのだ。
ところがその短い1篇のストーリーたちは、短い時間に読み終わった時に、思わずため息が出るほどの感動を覚えるものばかりで、中には声を出して泣きたくなるようなものさえあった。すべてのストーリーは一人称で書かれているため、もしかしたら著者の体験したノンフィクションなのかと思えるが、ノンフィクションとはどこにも書いてないから、やはりフィクションなんだろうが、内容と言いその語り口と言いは真実の出来事と言っても信じられるほどの、まるで人生の一こまを切り取ったようなストーリーが胸を打つのだ。
巻末の著者のあとがきを見たら、著者のところにも、このストーリーはフィクションか、ノンフィクションかという問い合わせがあるそうだ。

 

 

れっぽい僕は2-3日たてば内容も感動も忘れかねないから、その余韻の残っている内にと思い、珍しく読み終わって直ぐにここに書いているというわけだ。下表のそれぞれのタイトルだけを見ても、その内容が分かるようなものもあるが、そう、全く想像するような内容そのものなのだ。
人生とは全く思いもよらぬ展開を示すこともあって、大概の人にとってはままならぬものだが、出会いがわずかな幸せを感じさせた後に、予想もしなかった不幸をもたらすなど、胸を打つ物語はまるで宝石のような感覚を持たせて、いつまでも胸に抱いていたいと思わせる。
暗いニュースの多い今の世の中だが、決して幸せなストーリーが詰まっているというわけではないこの短編集は、それでも心を洗ってくれるような読後感をもたらして愛おしい。

 

収録作
# タイトル
1 尾瀬に死す
2 コスモスの影にはいつも誰かが隠れている
3 海辺のトメさんとクビワノゼロ
4 ツインカップ
5 車窓の向こうの人生
6 あじさいのころ
7 カハタレバナ
8 さすらいのオルゴール
9 街の喧騒に埋もれて消えるくらい小さくてかけがえのないもの
10 トウキョウアリガト
11 世界でたったひとつの手帳に書かれていること
12 六十二本と二十一本のバラ
13 運命は風に吹かれる花びらのよう
14 夏のかたみ

 

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1463.一千兆円の身代金

2014年05月18日 | サスペンス
一千兆円の身代金
読 了 日 2014/04/22
著  者 八木圭一
出 版 社 宝島社
形  態 単行本
ページ数 349
発 行 日 2014/01/24
I S B N 978-4-8002-2050-9

 

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近に迫った社会福祉法人薄光会の評議員会、理事会に必要な監事監査報告書をよそに、本を読んだり、ブログの記事を書いたりしてていいのか、と頭の中でもう一人の僕は言うが、そんなことは聞こえないふりをしながらどうでもいいことを優先する。いや、このブログがどうでもいいというわけではないのだが、優先すべきは他にあるということだ。
若いころからの悪い癖で、切羽詰まるまでやるべきことを放っておくということを、時々僕はやるのだ。もう限られた時刻が迫るというときに、パソコンのソリティアを繰り返しやったり、数独パズルに夢中になったり、と、どういう神経なのだろうと、後になれば思うのだがこうしたことは理屈では割り切れないもののようだ。
特に今年の監事監査報告には全く気乗りがせず、毎日ワードを立ち上げて少し書いては休み、少し書いてまた休み、を繰り返して一向にらちがあかない。、残すところあと5日という時になっても、まだぐずぐずしていて、どうなるのだろう。

 

 

「俺はいったい何をやっているんだろう」
そうした思いがいつの頃からか僕の中に生まれて、時々頭をもたげるのだが、バカボンのパパじゃないが、 「これでいいのだ」となってしまって、相変わらずのバカを繰り返すこととなる。

そんなことにお構いなく、僕は今本当に面白い本を読んでいる。そんなことも仕事が進まない一つの要因である。呑気にこんなことを書いているが、本当は本を読んでいるときは監査報告書が気になり、監査報告書に向かっているときは本が気になる、ということでどちらも楽しんだり集中したりすることができないから、どちらか一方にすべきなのだ。
組織論では役職の兼任をすべきでないと説いているが、どちらも中途半端になるからだ。聖徳太子でもない限り、あっちもこっちも満足にはできないということだが、僕ら凡人はできる限り一点集中主義で行くのがまあ無難なところだろう。
と言ったところで、この記事をアップしたらすぐに監査報告書を仕上げてしまおう。そうでないと、折角の面白い本も落ち着いても楽しめない。

 

 

xnミステリーの「BOOK倶楽部」で「このミステリーがすごい!」大賞受賞作として本書が紹介されていた。大森望氏だったか?杉江松恋氏だったか?忘れたが、簡単な説明があったが、その時はあまりにも突飛なタイトルにさして興味を惹かれることもなかったが、他のところでもいくつかの紹介記事が出ているのを見て、衝撃的なタイトルの中身が誘拐劇を描いたものということで、それではとようやく読む気になった。

毎年暮れが間近になるとテレビ・新聞の報道が、翌年度の予算組の話題でにぎわってくる。残念ながらもう何年も続く財政赤字は膨らむばかりで、国債の発行額が天文学的な数字になっても、僕ら庶民はあまり驚かなくなった。
国民一人当たりの借金が何百万円などという話にも、実感がわかないというのが本音だろう。
だが、そんな状況を憂う人物がいた。彼は、引退したにもかかわらず、依然として政界に大きな影響力を示す元大物政治家の孫を誘拐するのだ。そして彼が要求するのがタイトルなのだが・・・・。
新聞各社、テレビ局に誘拐の事実を知らせるという、劇場型誘拐劇はどういう展開を示すのか。しかし彼の本当の目的は???

 

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