Native of Ehime

最近、自然も人間も少し変。自分のできることからやってみようか。

博多2

2019-07-06 14:29:21 | お酒
2日目は、午後から大学のクラブの70周年記念式典があったが、午前中も他の行事があったので、それにも参加した。

40年ぶりに会う大先輩も多かった。

誰かわからなくて、よく指導に来ている同級生に訊いても知らないと言われるくらいだった。


現役選手の動きを見ていると身体が反応し、芯から熱くなってきた。

身体に染みついていた野生の魂が蘇ってきたようだ。

大先輩が自然に身体が動くだろうと声をかけてくれた。

みんな同じらしく嬉しかった。


大学に入学してすぐクラブのガイダンスに出た。

練習を見学した後、パンと牛乳が配られた。

苦学生だったので、豪華だと思っていたら、「端の人から順番に入部した理由を言ってください。」と言われたので、みんな目玉が飛び出しそうになった。

だまされたかと思いながらも、多くの新入生が入ることになった。

我々の学年は、37人が入部した。


練習時間は勧誘時の説明と違い、月曜から金曜日までは午後4時半から8時半。

土曜日は、2時半から8時半。

厳しい練習で、同級生は次々とやめていく。

人数が10人を切ってからは誰かは残らなくてはいけないという思いがあるので、誰かがやめたと知ると次は誰かとみんなで顔を見合わせた。

やめるなら今だと思ったりしたが、何の因果か残ってしまった。

1年後、同級生は3人になっていた。

上級生になっても練習は厳しく、休みの日曜日はヘトヘトで、午前中は横になり、午後から下宿に同級生が来るので、「天神でも行くか。」と言ってバイクの後ろに乗せ、街を当てもなくぶらぶらして、疲れるといけないので下宿に帰った。

練習後は酒屋で角打ちが多かった。

大瓶3本分のサッポロジャイアントをみんなで飲む。

下戸の同級生は「牛乳が飲みたかー。」と言っていた。

4年間馬鹿になることができた者が残った。

そして仲間との楽しい思い出が多い。

同級生や学年の近い先輩後輩は同じ地獄の釜の飯を食べたので、共通の被害者意識があり今でも仲がいい。

東京に行った時は連絡するとすぐに集まってくれる。


今回わかったことがある。

私の年代頃の指導はひどかったと知られていたのだ。

同じ過ちは繰り返さないシステムが働いているようで嬉しかった。

これからも、時々顔を出したいと思った。


式典は筥崎宮近くのホテルであったので、賑やかにお酒を飲んだ後は屋台花山に行き、同級生と二人で30年ぶりの懐かしい話しと近況報告でいい時間を過ごすことができた。




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