Native of Ehime

最近、自然も人間も少し変。自分のできることからやってみようか。

今年を振り返って 2014

2014-12-31 23:44:49 | 特に心と体にいいこと
昨年の10月から始めた分子標的薬のお陰で、次々と身体が変化していく。

1月に入ってしばらくして、身体が柔らかくなっていることに気付いた。

がんが再発する前くらいから太股の内側の筋がすごく張って、ストレッチをしようと思っても、開脚ができないようになっていた。

それがだんだんひどくなり、90度くらいしか脚が開かなくなり、身体を曲げることも難しくなっていた。

お灸を筋にしようかと考えたが、箇所数が増えすぎるのでできなかった。

それが、いつのまにかかなり開脚できるようになっていた。

筋が柔らかくなってきたので、風呂の後などに少しずつ伸ばしていると、180度近くまで開くようになった。


そして、呼吸が深くなっていることに気付いた。

これまでは、整体などをした後だけ深く息を吸うことができていたが、何もしないのにいつも深呼吸ができるようになっていた。

横隔膜が緩んだような感じだ。

楽に呼吸ができることができ始めた。


また、夜中に痛みで起きたり、朝目覚めた時、いろいろ痛みを感じて起きるのが辛かった。

ところが、痛みを感じることなく普通に目が覚めることがあり、何でこんなに身体が楽なのかと驚いた。

当たり前のことなのに、こんなことがあるのかと幸せを感じた。


また、散歩をするとすぐに疲労感を感じていたが、長い距離を歩くことができ始めた。

少し負荷も掛けて散歩を楽しむ。





2月の検査で、腫瘍マーカーが基準値未満になった。

マーカーは治療開始以来、少しずつ下がっていたが、5年ぶりにとうとう正常値になった。

ただ、がんは、リンパ節や骨等にまだたくさんあるので、治癒したわけではない。がんの増殖が抑えられ勢いが無くなり、だんだん縮小しているということだ。

また、この頃から仕事を含め、いろいろにものに対する執着が薄れてきた。

いつも病気のことが頭から離れなかったが、それもあまり考えないようになり、心と身体がリラックスし、病気は治ると心から思い始めた。

ある時、嫁さんが言った、最近やることなすこと上手くいくと。

実は、私も同じように思っていて、嫁さんに話そうと思っていたところだった。

やはり、流れが変わってきたようだ。


3月に初孫が生まれた。女の子だ。

後で嫁さんから聞いたが、私が危なかったため、息子夫婦が少し配慮してくれたようで、思ったより少し早かったが次の代に命を繋ぐところを見させてくれた。





ただ、薬の副作用かどうかわからないが、この1年間時々、ひどい倦怠感というか身体が重くなって1歩も動くこともできないことが何度かあったが、一過性のもので、他にはほとんど副作用はない。


いつも、季節の変化を追って、花や景色を見に行っていたが、行く回数が減ってきた。

体調が安定しているため、来年見れないかもしれないという刹那的な気持ちが少し無くなっているようだ。

死に対する恐怖心が弱まっているため、ストレスが消えつつあるということなので、身体にはいい方向に向かっているようだ。

それと、長い闘いに疲れて、変化のあまりない普通の生活をしたいという気持ちがあるようにも思う。

回数は減ったものの、桜の季節からは、いつも行くところを廻った。























5月に一緒に闘ってきた方が亡くなられた。

1年くらい前に、御縁のある方から弟さんの病気の相談に乗って欲しいと依頼を受け、一緒に闘ってきた。

今考えても、知り合ったのが1年前と思えず、ずっと昔からの友人と感じるほど行き来をした。

がんには、いろいろな治療方法や代替療法があるが、本人が自分の身体で感じて、どうするか自分が決めることが本当に大事だと教えてくれた気がする。


5月中旬仕事に復帰した。

闘病にはやはりお金がかかる。

蓄えが尽きかけて、家のローンもあるのでどうしようかと思っていたが、よく考えてみれば仕事が可能なくらいまで体調は良くなっている。

そこで、復帰を決めた。


不思議なことがあった。

復帰の1週間前から、病気の相談の電話がぱたりと来なくなった。

その頃、何人かいつも連絡をしてくる方がいたが、突然電話が来なくなり、新しい方の依頼もなくなった。

1ヶ月経っても何もないので思った。

仕事に復帰したので、神様か仏様か御先祖様が負荷を減らしてくれたのだろう。

それから4ヶ月、病気の相談は、まったくなかった。

9月になって大学のクラブの同級生から、身内の病気ついて相談があり、久しぶりなので、とうとう来たかと思った。

仕事にも慣れてきて、余裕ができてきたと感じていた頃だった。

その電話から10日間で、新たな6人ほどの方から相談が来た。

そろそろお役を務めなさいと言われたような氣がした。

またそれは、身体が順調に回復していると教えてくれたということかもしれない。


7月から仕事の疲れもあるのか、ブログを書く回数が激減した。

いま、確認して驚いた。8月はゼロだった。

9月には大学の同級生からイエローカードが来た。

このブログは、私の安否確認も兼ねており、いつも友人がお祈りを送ってくれているのだ。

申し訳ないけど、まだ書けない状態が続いています。

写真は撮るものの、手が動かない。


7月29日付で、2013年7月29日に書いた手紙が届いた。

1年前の手紙だ。

私が5年前初めて秋田県の玉川温泉に行った時知り合い、松山にもお灸に来られ、ずっとお付き合いさせていただいた佐々木理臣氏からみんなに当てた手紙を親族の方が送ってくれたものだ。

昨年、ホスピスに入られたことはわかっていたが、ずっとその後を聞けてなかった。

親族の方も実感が湧かず挨拶が遅れたと書かれていた。

佐々木氏らしい言葉が書いてあった。

「あの世というのはどういう所なのか、皆が困らない様に良く調べておきますから、あとからゆっくりお出で下さい。」

天国からの手紙だった。



今年の後半は、仕事には慣れたものの、不整脈がひどくなり、最近はほぼ毎日起き、結構きつい時もある。

カテーテルを使った治療方法があるので、来年受ける予定だ。


今年は、何をしたのかとブログや撮った写真を再度確認したが、やはり孫の存在が大きかったようだ。

親バカでなく、爺バカになって、楽しませてもらった。 そして、氣をもらった。






報告します。

先週15ヶ月ぶりにPET-CTを受けました。

報告書には、前回と比べると多発リンパ節転移も多発骨転移も、いずれも縮小し、FDG集積は減弱という、いい結果でした。

2月から腫瘍マーカーの正常値は続いています。

担当医に、がんはまだ残っていると言われたので、少しがっかりしたけど、その後、主治医に全体像と輪切りの断面を詳細に見せてもらったところ、ほとんどの転移箇所が見えないくらいになっていました。

画像上見えなくてもがんがないとは言えないということと、分子標的薬をやめたり、耐性ができたりすれば、またがんが現れることが多いということから、がんは残っていると言われたようだ。

しかし、全体像では、黒く散らばっていた患部は、見えなくなっている。

大きく光っていた転移部はいずれも光が無くなり、がんは縮小している。

主治医は驚くべき結果ですねと言ってくれた。


御礼申し上げます。

いつも、お祈りをありがとうございます。

成果は出続けています。

家族と皆様のお陰だと、いつも感謝しております。

あともう少しなので、完治を目指します。


先日、ある先輩に「なぜ、君は治療が上手くいっているのか」と尋ねられたが、当たり前のことを答えてしまった。

その後、「インビクタス/負けざる者たち」という映画を見た時、ある詩が心に響き、その答えだと思った。

紹介します。


反アパルトヘイト運動に尽力し、南アフリカ共和国大統領となったネルソン・マンデラと、同国のラグビー代表チームとの人種を越えた友情を描いた映画だ。


ワールドカップの前、ネルソン・マンデラが、ラグビー南アフリカ代表のキャプテンに「私はこれに助けられてきた。」と言って紙を渡した。

英国の詩人ウィリアム・アーネスト・ヘンリーの詩「インビクタス」の一節だが、映画の日本語訳では少し変えているようだ。



「夜より出でて私を覆う奈落のごとき漆黒の闇。
どんな神であれ感謝する。
征服されざる我が魂、過酷の魔の手に落ちてなお、私は怯みも叫びもしなかった。
運命に打ちのめされ、こうべが血にまみれようと、決して屈しまい。
怒りと涙尽きぬこの地の彼方、死の影が恐怖をほのめかす。
だが幾年月脅威に晒されようとも、私は何一つとして恐れはしない。
その門がいかに狭くとも、如何なる苦しみを負うことになろうとも、私が我が運命の支配者。
我が魂の指揮官なのだ。

どんな神であれ感謝する。
征服されざる我が魂に私が我が運命の支配者。
我が魂の指揮官なのだ。」



いつもありがとうございます。

今年も、いつもと同じ言葉を言うことができる幸せを味わっております。


来年も皆様方にとって、よりよい年でありますよう、心からお祈り申し上げます。

よい年をお迎えください。



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上部消化管内視鏡検査と大腸内視鏡検査

2014-12-23 21:56:46 | 特に心と体にいいこと
胸焼けがして、胃に違和感があるので、胃内視鏡検査をしたいと病院で言うと、予約を入れてくれた。

大腸内視鏡検査もしますかと言われたので、お願いした。

分子標的薬を朝晩飲んでいるが、たまに喉に引っかかるのか飲み込めない時があって、急に咳き込むことがあり、その時、カプセルから出た微細な粉末が煙のように噴き出すことがある。

ゴジラが噴き出すような感じて最初は驚いたが、噴き出した後は、薬がやはりきついのか鼻の奥や喉の奥が焼けたように痛む。

それを防ぐため、薬を飲んだ後は、果物とか固形の物を食べて、薬が胃に落ちるようにフォローしている。

ただ、口角がよく割れるし、消化器系が荒れているのではないかと心配していたので、検査を受けることにした。

予約した後、検査をする所で説明を受けたが、大腸内視鏡検査の話だけだった。

病院によって違いがあるようだが、話を聞いて、結構大変だと思った。

検査日の3日前から食事制限がかかる。

消化の良いものをとるということで、当然玄米でなく白米になり、食べる物の種類が少なくなった。

繊維が多いものはだめなので、かけうどんのネギもやめた。

七味はゴマが入っているものもあるのでダメ。

食べることが好きなので、1日目にして、気が滅入ってくる。

検査前日の21時大腸の蠕動運動を促進する薬を2種類飲んでから絶食して、当日9時から病院で、腸の運動を促進する薬と胃腸管内のガス(泡)を取り除く薬を飲み、その後、大量の下剤(経口腸洗浄液)2リットルを2時間かけて飲む。

大部分を飲んでからやっと兆候が出た。

なかなか出ないので、病院を歩きまわった。

便が透明になると検査ができる。

何回か行くうちに透明になったが、少しおりが残る。

判定は、看護師さんがしてくれる。

同じ境遇の人が6人ほどいたが、12時を過ぎても誰も合格とならず、みんな疲れてきていた。

結局、1時20分にオッケーが出た。

少し前に、薄い皮のような断片が出た。

よく、宿便が出たということを聞くが、今回全て出ているはずなので、いつ宿便が出たのかわからず、宿便という概念は理解できなかった。

4時間強もかかったので、検査前に体力と気力が失われた。

胃の検査のついでに大腸をと思っていたが、こちらが完全にメインだった。

大腸検査では鎮静剤(眠り薬)を使用するかどうか選択できる。

必要性を医師にきいてみると、カメラが上行結腸まで入るため痛みを感じることがあるので、したらどうですかといわれていたので、鎮静剤をお願いした。

ところが、いつの間にか、いきなり寝てしまい目覚めたら検査は終わっていた。

5時前に目が覚め、それから検査結果を教えてくれた。

胃は大丈夫だったが、食道にごつごつしている部分があり、引きつったようになっている。

その周辺に放射線治療をしているので、その副作用かもしれないとのことだったが、念のため、3ヶ月後に再検査をすることになった。

胃カメラでピロリ菌に感染しているかどうかわかるらしく、感染はないようだと言われた。

大腸は、ポリープが2ヶ所あった。

1センチほどだけど、悪くないようなので、1年後に大腸検査をすると言われ、ガックリ。

本当は切除すればいいのだが、血液をサラサラにする薬を飲んでいるのでできなかった。

検査結果は聞いたものの、鎮静剤で頭がぼーっとして聞こうと思っていたことも聞けなかった。

結果を夢うつつで聞いていた。

自分で車を運転して病院にこないように言われた理由がわかった。

予想以上に大変な検査だったが、確実に消化器の状況がわかるので、受けておけば安心できる必要な検査だ。

あまりきれいな話ではなかったので、クリスマス用に買ったポインセチアです。







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枇杷の葉温灸

2014-12-03 23:17:26 | 特に心と体にいいこと
5年前に枇杷の葉温灸を始めた。

ネットで棒灸の入ったお灸セットを買ったが、1万円程度で、今考えるとかなり割高だったと思う。

枇杷の葉を身体に当て、何枚か重ねた紙で棒灸を包み、枇杷の葉の上から押さえる。

すると、遠赤外線の熱でつぼを刺激し、身体も温まり、そして枇杷葉の成分が身体の中に入る。

初めてなので、いろいろ調べて嫁さんにやってもらったが、火のついた燃えカスがぼろぼろ落ちて身体に当たり、悲鳴を上げる。

絨毯が焦げるどころか、フローリングまで焦げてしまった。

2年くらいたって東京の病院で食事療法を学んだ時、枇杷の葉温灸の実践があった。

いろいろコツがあって、それを守ればうまくできることがわかった。

・紙ではなく、もぐさの部分に火をつける。

・棒灸の燃えている面を斜めにせず、圧縮したりして直角にする。

・次にする時、火を付ける前に面を直角に切る。

・棒灸に穴があいているのが見えたら、火が付いていても圧縮する。

等だ。


被害がひどいので枇杷灸をやめたが、その後すぐ、嫁さんが車を運転している時、枇杷の葉温灸の看板を見つけたと言うので、早速行ってみた。

本職の枇杷灸は、やはりすごい。

身体中真っ赤になり、暖まる。

でも、当てるだけで悲鳴を上げてしまう。

理不尽な痛さだ。

お灸と同じで、悪い所が痛く感じるようだ。

文句を言いたくなるほどだったが、1年ほどでいつの間にか我慢できる痛みに変わっていた。

身体も、良くなってきた頃だった。

鍼灸院で枇杷の葉温灸を始めてすぐ、家でもできるように電気の枇杷の葉温灸器を買った。







このカット綿に枇杷の抽出液を含ませる。




古くなったら、カット綿を交換する。

本当は、これ専用の綿があるが、カット綿が安価だ。




ハサミで切るとオッケー。




5年以上使ったので、さすがにコーティングがはげてきたけど、支障無し。





この面の下にセラミック板があり、暖かくなる。

1分もかからないくらいで使用可能になるので、骨の転移の痛みがひどかった頃、朝起きるとすぐに首に当てていた。

夜中に痛みで目が覚めた時もお世話になった。

暖まると、痛みが和らぐ。

1時間ほどで自動的に電源が切れるようになっているが、2つがほぼ同時に切れる精巧なものだ。

コードも太くて丈夫だ。

枇杷の抽出液は、専用のものを売っている。

私は、枇杷の種や葉からアルコールで抽出した液を水で希釈して使っている。

これは、効能に関わるものなので、お勧めしない。

自己責任だ。

前に枇杷葉を取ってきた時、水分を飛ばそうと干していたら葉が乾いてしまったので、逆に乾燥させてしまってミルで粉砕したものにアルコールを入れたら、結構いい色がついた。




鍼灸院では電磁波が出ないと言っていたが、あまり信じていなかったし、やってみると出るのが確認できた。

でも、今日ブログに書くので、改めて測定器で測ってみるとやはり出ていたが長く測定してみた。

すると、スイッチを入れて暖まり始めると電磁波が減ってきて、余熱が完了する頃、電磁波は出なくなっていたので驚いた。

本当だった。


15万ほどする高価なものだったので、買う時は思い切って買ったが、5年使った今、これが一番元を取った安い買い物だと思っている。



コメント (8)
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