お久しぶりです。
また、間隔が開いてしまいました。
いろいろなことがあった。
ちょうど1年ほど前、知り合いから「弟が、がんだと診断されたので相談に乗ってほしい」と言われた。
弟さんは私よりだいぶ年輩の方だった。
がんと知らされて、少し気落ちした感じはしていたが、頑張りたいと言ってくれた。
咳が結構出ていた。
その後の詳細な検査で、小細胞がんだとわかった。
知り合いはお灸もしていて、その効果も十分わかっているので、抗がん剤をやらないで弟さんの治療をしたいようだった。
もう一人のお兄さんもそうだった。
私も、抗がん剤治療を途中で拒否した人間だが、今回は、小細胞がんなので抗がん剤も選択肢の一つですと、勧めた。
本人も病院の治療をしたいと思っていたようで、しばらくして抗がん剤治療を開始したが、私が行っている治療も、お会いしてすぐに開始した。
いろいろな治療があることをお話しすると、ファイティングスピリッツが湧いてきたようで、目に力が出てきた。
どう治療するかの最終判断は自分で決めてもらった。
血液検査や画像検査でもある程度のことはわかるが、本当に効いているかどうかは、本人が身体で感じるしかない。
抗がん剤が効いてくれて、食事療法やお灸などの代替療法を行うことができる時間を作ることができたが、2番手の抗がん剤は奏効率が低かった。
やりたいと言われたので、武器ではなく自分の身体を傷つける可能性が高いので、身体で感じて、やめ時を考えて下さいと伝えた。
2週間に1度は、お会いして、仲のいいお兄さん2人も一緒になって、4人で作戦を練った。
私が秋田県の玉川温泉に行った時、お兄さんも付いてきたいと言った。
自分のことで手一杯なので、お世話はしませんと伝えたが、弟さんのために事前に行きたいと言われて、私に同行した。
行く途中で、いろいろ話すと、以前から知っているその方は、私の父と旧制中学の同級生だった。
やはりご縁があったのだ。
弟さんは、お灸や食事療法も続けた。
咳も止まり、体調もだいぶん良くなったので、秋田県の玉川温泉にも兄弟3人で行かれた。
マーカーも下がり、順調に治療は進んだ。
数カ月前、マーカーが急に上昇を始めた。
でも、いろいろな治療を続けられた。
1ヶ月ほど前、救急車で運ばれた。
脳に転移していたが、放射線治療をして退院することができた。
退院してすぐ電話をくれた。
いろいろアドバイスしていたので、「平蔵さんは、本当にいろいろなことを知っているな」と、元気で明るい声が響いてきた。
その10日後、亡くなられたと連絡が入った。
痛みもほとんどなかったそうだ。
暖かく明るい光の中に帰られた。
私は、その時愛媛にいなかったので、葬儀には出ることができなかった。
帰ってすぐ、ご自宅にお伺いして、線香をあげさせてもらった。
写真の中の優しい顔が笑っていて、やっと実感が湧いてきた。
あなたは言いました。
「平蔵さんが元気で生きているのが私の励みになります。」
私は、これからも、もっと長く生き続けます。
このブログを見て、私が苦戦していた時、お祈りを送ってくださった方にご報告いたします。
先週の血液検査でも腫瘍マーカーは、正常値でした。
4ヶ月連続で正常値に収まっています。
これも、皆様のお陰だと、大変感謝しております。
お陰さまで、先週、1年半ぶりに仕事に復帰しました。
長い闘病で蓄えも使い尽くしましたが、何とか仕事ができる身体になりました。
今後も治療を継続しなくてはなりませんが、働きながら、がんを制圧するつもりです。
これからも、よろしくお願いいたします。
>
また、間隔が開いてしまいました。
いろいろなことがあった。
ちょうど1年ほど前、知り合いから「弟が、がんだと診断されたので相談に乗ってほしい」と言われた。
弟さんは私よりだいぶ年輩の方だった。
がんと知らされて、少し気落ちした感じはしていたが、頑張りたいと言ってくれた。
咳が結構出ていた。
その後の詳細な検査で、小細胞がんだとわかった。
知り合いはお灸もしていて、その効果も十分わかっているので、抗がん剤をやらないで弟さんの治療をしたいようだった。
もう一人のお兄さんもそうだった。
私も、抗がん剤治療を途中で拒否した人間だが、今回は、小細胞がんなので抗がん剤も選択肢の一つですと、勧めた。
本人も病院の治療をしたいと思っていたようで、しばらくして抗がん剤治療を開始したが、私が行っている治療も、お会いしてすぐに開始した。
いろいろな治療があることをお話しすると、ファイティングスピリッツが湧いてきたようで、目に力が出てきた。
どう治療するかの最終判断は自分で決めてもらった。
血液検査や画像検査でもある程度のことはわかるが、本当に効いているかどうかは、本人が身体で感じるしかない。
抗がん剤が効いてくれて、食事療法やお灸などの代替療法を行うことができる時間を作ることができたが、2番手の抗がん剤は奏効率が低かった。
やりたいと言われたので、武器ではなく自分の身体を傷つける可能性が高いので、身体で感じて、やめ時を考えて下さいと伝えた。
2週間に1度は、お会いして、仲のいいお兄さん2人も一緒になって、4人で作戦を練った。
私が秋田県の玉川温泉に行った時、お兄さんも付いてきたいと言った。
自分のことで手一杯なので、お世話はしませんと伝えたが、弟さんのために事前に行きたいと言われて、私に同行した。
行く途中で、いろいろ話すと、以前から知っているその方は、私の父と旧制中学の同級生だった。
やはりご縁があったのだ。
弟さんは、お灸や食事療法も続けた。
咳も止まり、体調もだいぶん良くなったので、秋田県の玉川温泉にも兄弟3人で行かれた。
マーカーも下がり、順調に治療は進んだ。
数カ月前、マーカーが急に上昇を始めた。
でも、いろいろな治療を続けられた。
1ヶ月ほど前、救急車で運ばれた。
脳に転移していたが、放射線治療をして退院することができた。
退院してすぐ電話をくれた。
いろいろアドバイスしていたので、「平蔵さんは、本当にいろいろなことを知っているな」と、元気で明るい声が響いてきた。
その10日後、亡くなられたと連絡が入った。
痛みもほとんどなかったそうだ。
暖かく明るい光の中に帰られた。
私は、その時愛媛にいなかったので、葬儀には出ることができなかった。
帰ってすぐ、ご自宅にお伺いして、線香をあげさせてもらった。
写真の中の優しい顔が笑っていて、やっと実感が湧いてきた。
あなたは言いました。
「平蔵さんが元気で生きているのが私の励みになります。」
私は、これからも、もっと長く生き続けます。
このブログを見て、私が苦戦していた時、お祈りを送ってくださった方にご報告いたします。
先週の血液検査でも腫瘍マーカーは、正常値でした。
4ヶ月連続で正常値に収まっています。
これも、皆様のお陰だと、大変感謝しております。
お陰さまで、先週、1年半ぶりに仕事に復帰しました。
長い闘病で蓄えも使い尽くしましたが、何とか仕事ができる身体になりました。
今後も治療を継続しなくてはなりませんが、働きながら、がんを制圧するつもりです。
これからも、よろしくお願いいたします。
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お仕事への復帰、おめでとうございます
数値も安定されているようで本当によかったです
これからもずっと応援しています。
こちらこそ、ご無沙汰しています。
奇跡的に逆転ホームランが出ました。
後は、氣を緩めず、裏の守りをしっかりとやるつもりです。
今後とも、よろしくお願いいたします。