河野 啓一/花冠同人

河野啓一の俳句ブログ

12.08.16終戦忌

2012-08-16 21:47:03 | Weblog
★終戦忌人の愚かさ噛みしめる
★甲子園熱戦果てて鱗雲
★新涼の山肌青く近き色

好きな句★孫が来て「はだしのゲン」読む終戦忌/敬二 今日は終戦記念日。子々孫々にあの過酷な、愚かしい戦争のことを語り伝えて行くのは我々の責務かと思いますが、せっかくやってきた孫がマンガなどを読んでいて一向に話に乗って来ないもどかしさ。大いに共感します。
夜nhkすペシャル、戦争終結がなぜ遅れたのかという命題について耳学問。最近色いろ資料がみつかってきたそうだが、最高指導者6人が宮中で何度か秘密裏に会議を持ったが、方針、具体策が決まらぬままずるずると延びているうちに原爆やソ連の参戦となってしまい100万人近い犠牲を出すことになったという。

昭和時期の最高指導者たちの無為無策。現実を直視する勇気のなさ。さらに言えば情報の軽視、縦割り組織。等のため次々に終戦のチャンスを失っていった由。
高木怱吉海軍少将、東郷和彦氏らの資料から推してそう結論付けていた一昨日に見た特攻の話もそうだが、何おかいわんやだ!!
米内光正もさほどすぐれた人物ではなかったようだ。司馬遼太郎が生きていたら何といって嘆くだろう?
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敗戦から67年を迎える太平洋戦争。その犠牲者が急激に増加したのは、戦争末期だった。勝敗はとっくに決していたにもかかわらず、なぜもっと早く戦争を終えることができなかったのか。当時の日本の国家指導者の行動や判断には、多くの謎や不可解な点が残されている。今回NHKは研究者の共同調査で、戦争末期の日本の終戦工作を伝える大量の未公開資料を、英国の公文書館などから発見した。それらによると、日本はソ連の対日参戦を早い時期から察知しながらソ連に接近していたこと。また、強硬に戦争継続を訴えていた軍が、内心では米軍との本土決戦能力を不十分と認識し、戦争の早期終結の道を探ろうとしていたことがわかってきた。1日でも早く戦いを終える素地は充分に出そろっていながら、そのチャンスは活かされていなかったのである。番組では、戦後に収録されながら内容が公開されてこなかった当事者らの肉声証言なども検証し、重要な情報が誰から誰に伝えられ、誰には伝えられなかったのかを徹底分析。国家存亡の危機を前にしながらも、自己の権限の中に逃避し、決定責任を回避しあっていた指導者の実態を浮かび上がらせる。国家的な岐路における重要な決定をめぐる課題について、識者討論なども交えて考えいく。

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