杉の子のひとりごと

私の交友録などを中心に,思いを綴っていきます。

影を慕いて 兄よ

2011年10月06日 | 日記
「どうも様子がおかしいので行って見て欲しい ?」
田舎の姉より電話が掛かって来た !

松山市の、とある大きな有名A病院へ入院している
次兄の事で、そんな頼みごとが飛び込んで来た。
早速、病院へ出向くことにした。

身内が、余りに癌系統の病気で命を落としている
私の家系である、
次兄は、そんな先入観が有って若い頃より病院嫌い
で通っていた。

胃の調子がすぐれなくて、しばらく田舎の診療所に
かかっていたが、思わしくないためほうほうの態で
松山のA病院へ検査入院したのである。

ところが、検査の結果が思わしくなかった、
年配の担当女医は、検査の結果に怯える患者の胸の
内を推し量る惻隠の情もなく、

罵声(詰問)と共に、本当の病名をずばり言って
しまったのである。

突然の予期せぬ宣告と心労わる気配りのない無神経に、
本人は、パニックになってしまった。

私が病室を訪ねた時は、一種の放心状態で、何事も
上の空であった。
差しさわりのない話をして、兄嫁に、後を頼みますと
伝えて病室を後にした。

癌の宣告 ! 告知が一般的になった現在であれば、
本人の心構えが出来たと思うが ?
その当時は、いかに本人に病名を隠して病気治療に
専念させるかが最重点の時代だったのである。

医師の無神経、無配慮が如何に患者を傷つけることに
なるか、本人の動転と納得いく心の平穏を迎えるには
今しばらくの時間が必要とされた。

突然の宣告に伴う、行き場のない悲しみ、落胆、恐怖!
我々家族は、余分な心痛を余儀なくされた。

私は自分の肉親のことで、褒めると言う事は好まないが、
それでも以後の私の癌宣告に際して、非常に支えになった
兄の功績は忘れてはならないし、感謝したいと思っている。

彼は、最後の時間を過ごすために故郷へ帰って来た。
これからが、誰にもまねの出来ない兄貴の生き様である。

我が家に帰った兄は、覚悟の中で、死後に備えて家屋敷の
手入れに精を出した、ただ、もくもくと無心にそれを
やりとげたのである。

今、振り返っても、その時の兄貴の胸の内はどんな思いが
去来したで有ろうか ?
後に残して行かざるを得ない、妻と子と孫のことだったのか、

若くして、ひとり娘(孫)を残して亡くなった長女への想い
だったので有ろうか ?
今となっては、心の中を推し量る術はない !

私は、身体が弱った兄を見舞うため帰郷した。
和室、畳の間で私を迎える兄は、顔も身体もひとまわりも
ふたまわりも、小さくなって横たわっていた。

私を見る兄は、顔中涙で濡れていた・・・!
母の実家へ養子に入って気難しい養父に仕えた人生だった。
何を楽しみに生きて来た人生だったか ?

その不憫な孤独を思いやると、私の胸は締め付けられる。

私が中学、高校時代を過ごした四畳半の部屋は・・・
若き日、養子に行く前の兄の部屋だった。

兄の男友達が遊びに来て、ギタ-を聴かせてもらったのも、
演歌を聴いたのも、この部屋だった !

兄貴は、黄泉の国へ旅立つ前に全てをやり遂げた。
家族に憂いなきを残して逝ったのである。

私には、(ことに臨んで慌てない、男は覚悟、平常心。)
その教えを、己の身をもって示してくれた。

私が、癌の宣告を受けて、手術に臨み生還して帰れたのも、
兄の生き様の御陰である。

男の覚悟は、どう有るべきか ! 私は忘れない。 ・・・。。。

                                 合掌

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