Simplex's Memo

鉄道と本の話題を中心に、気の向くまま綴ります。

国鉄時代の残滓がまた一つ・・・。

2005-07-13 06:11:05 | 鉄道(JR)
昔、「大船工場」と呼ばれていた車両工場があった。
横須賀線の電車をはじめとする車両の整備を中心に活動してきた。
JRになってお隣の大船電車区と統合されて「鎌倉総合車両センター」になったのは2000年。
しかし、「大船工場」という歴史ある名前が脳裏にこびりついて、結局新しい名前には馴染めなかった。

名前が変更された事で残るのかなぁと漠然と思っていたが、止まる所を知らない電車の進歩が国鉄時代から続く車両工場の歴史に幕を下ろすことになった。

「鎌倉の車両整備工場を廃止へ/JR東日本」(神奈川新聞ローカルニュース、7/10)

記事によると、鎌倉総合車両センターの車両整備部門(旧大船工場)を2006年3月末を目処に廃止するという。敷地面積は約14.3ha。
跡地の利用は未定という。
なお、車両基地部分(旧大船電車区)は存続する。

鎌倉総合車両センターの車両整備部門が閉鎖されることで、首都圏の車両工場は大宮総合車両センターと東京総合車両センターの二カ所に集約されることになる。

鎌倉総合車両センターの車両整備部門(どうもこの呼び方には慣れない)の跡地利用は未定というが、もう一つ面開発が出来そうな土地が品川にある。

それは現在のブルートレインの整備線付近一帯。
東海道新幹線品川駅が開業して、注目が集まっている場所である。
超一等地に車両を留置しておくという用途は確かに利益をもたらさない。
ブルートレイン削減の遠因として、この土地を再開発用地として活用したいというJR側の思惑があるという話を聞いたことがある。
実際、東京発の夜行列車は最盛期に較べると格段に少なくなり、余命僅かと思えるフシもある。
そうなると、この話も段々真実味が増してくる。

そんな思惑の下で、我々が慣れ親しんできた施設が消えていく。
そういえば、一度鎌倉総合車両センターになった頃に見学する機会があった。
工場の中では、廃車になった103系の解体が行われていた。
地面には解体された車両の屋根が無造作に放り出されていた。
その解体待ちの車両の間にひっそりとナハネフ22や、スカ色のサロ110が佇んでいた。
どちらも大船工場に縁のある車両だった。
それ故に解体されずに留置されていたのだと思う。
その姿を忘れることはないだろう。



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2 コメント

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大船工場廃止に寄せて (C51225)
2005-07-13 18:05:27
主台枠主義でコメントしたC51225生です。さて大船工場が廃止になるのですか。極私的な思い出になるのですが、昔沿線に住んでいたので懐かしい工場です。30年ちかく前になりますが157系や153系が解体のため自力で回送していったのが昨日のことのように思い出されます。特に153系はヘッドサインに「準急」を表示して往時と変わらない姿で去っていきました。その他にも、全検を受けるため身延線の旧型国電なんかが東海道線を走ったのを見て喜んだりしたものですが、なくなるとそういった珍しい姿も見られなくなりますね。事業効率を追求するのは当節、やむを得ませんが、無常にして無情なる感があります。
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あえて「鎌倉総合車両センター」と書かなかった理由。 (Simplex)
2005-07-13 21:29:07
C51225さん



こんばんわ。

個人的には「大船工場」という名前に長年慣れ親しんできたので、現在の名前に馴染めなかったというのが正直な所です(「鎌倉総合車両センターの車両整備部門」と書くのが長い上に、わかりにくいというのも理由ですが)。



鉄道雑誌等で国鉄時代から馴染んできた施設が合理化のためとはいえ、消えていくのは仰るとおり無常感漂うものがあります。



段々国鉄時代の車両や施設が消えていきます。

そんな姿を余裕がある時に記録しておいた方がいいなと、この記事を書いていて思いました。



いつもC51225さんのコメントを楽しみにしています。

またよろしくお願いします。
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