一日、大した事をしている訳でもないのに、書く事はしっかりとある。
どうしたものか。
さて、「廃止約二週間前の岐阜市内を行く。」の続き。
午前中は美濃町線と岐阜市内線をウロウロと彷徨した。
特に予定は決めていなかったが、実に楽しかった。
さて、徹明町で電車を降りて駅近くの古本屋に寄り、古本を2冊買った。
いかにも古本屋、という感じの店だが、路面電車が消えた後はなかなか来れそうにないのが残念だ。
徹明町12:49発の電車に乗る。昼下がりにも関わらず、車内は超満員。身動きがとれない。
ここから発着する電車でここまで混むというのは初めてだ。
どうもお名残乗車の人が多いようにも見えた。
満員電車に揺られて競輪場前に12:56着。ここから徒歩で「ひっぱれ路面電車ファイナルinぎふ」の会場である市ノ坪まで行くことにする。既に「ワンデーフリーぎふ」の代金分はモトが取れているし、一駅間だけ電車に乗るのも面倒だ。
市ノ坪までの道中、歩道に三脚を立てている人がやたら多く目につく。元々撮影する人が多い場所ではあるが、今日はいつもに増して多い。606でも走っているのかなぁとも思う。
留置されている電車を市ノ坪のホームから見る。
すると、クリーム色と緑色の旧塗装になっている593が見えた。ひょっとしたら徹明町からの区間運転に入るのだろうか。
「ひっぱれ路面電車ファイナルinぎふ」の会場に入る。
見物客は思ったより多かった。物販も行われており、様々なグッズ類が売られている。
その中に600V区間の行先板がひっそりと売られているのを見つけた。
一枚一万円からと値は張るが、ここで買い逃がすと次はいつになるか、いや買えるかどうかもわからない。
財布の中身を見て手持ち不如意なことに気づき、近くのATMまで行って軍資金を調達して購入する。購入したのは「岐阜駅・忠節」の行先板。他に方向幕等を購入する。
いやー、行先板キーホルダーに手を出さなくて本当に良かった・・・。
肝心の電車との綱引きを見ている内に、606が名鉄岐阜へ走り去っていった。そして、593が競輪場前へ出庫していった。593が動くのを見るのは、これで2回目だ。いつも留置線の端で眠りについている所しか見ていないので、それだけで新鮮だ。
こうなるとイベントでまったり、という訳には行かなくなる。
早速、会場を後にして競輪場前まで戻る。
競輪場前に着くと、593は徹明町方面へ走り去っていった直後だった。
606は関方面へ行ってしまったため、この2両を撮って、この日の予定は終わりにしようと決めた。
593が出庫したためか、ここで電車を撮る人の数が次第に多くなる。
途切れ途切れに会話が聞こえてくる。曰く、大阪からやってきた、東京から・・・と全国から来ているようだ。
しばらく待つと593が徹明町からやってきた。停車中の所と、交差点を横断する所を撮影する。
よく見ていると、右折しようとする車が軌道をふさぐ形で停まっている。電車はどうするかというと、汽笛を鳴らして威嚇(?)して車に右折ないし右折を諦めるように促している。
交通量が元々多い所に持ってきて、軌道敷には車は進入可能。電車が消える4月以降、通行量が元々多い道路の通行状況が劇的に改善されるとは思えない。
それでも車の数が多いため何回も信号待ちをしてしまい、列車に遅れが出始めた。
交差点を行き交う電車を撮って時間を潰す。15:30過ぎに606がようやくやってきたので、これを撮影して終了。
撮影後、市ノ坪まで歩く。
イベントは既に終了し、後かたづけが始まっていた。
ホームから留置されている510形を撮って名鉄岐阜行に乗り、田神で下車。
この時点で5分程度の遅れが出ていた。
田神線を行く美濃町線の電車を撮影して今日の予定を終了する。
三脚を持っていれば徹明町で夜景を・・・と思うのだが、生憎今日は持参してきていない。
しかも593が稼働するとは予想もしなかった。
巡り合わせがやや悪いが、走っている所が撮れただけでも良しとしよう。
ところで、19日一日あれこれ歩いてみたが、岐阜市内線は570形が走る朝はともかく、日中はさほど鉄道ファンの数が多いとは思わなかった。逆に美濃町線は午後の競輪場前を筆頭に、至る所にカメラを構えた人が多かった。
510形が走らなかったから、この程度という見方もできるが、果たして最後の510形団体臨時列車が走った20日はどうだったのだろうか。
恐らく、大混雑だったのではないだろうか。
家に帰ると、日焼けで真っ赤になっていた。顔がヒリヒリする。
思えば、岐阜を訪れることが出来るのはあと一回。
一日で「お別れ」ステッカーを貼った電車は撮影できたので、最後の岐阜行きはどう行動するか考えている。
どうしたものか。
さて、「廃止約二週間前の岐阜市内を行く。」の続き。
午前中は美濃町線と岐阜市内線をウロウロと彷徨した。
特に予定は決めていなかったが、実に楽しかった。
さて、徹明町で電車を降りて駅近くの古本屋に寄り、古本を2冊買った。
いかにも古本屋、という感じの店だが、路面電車が消えた後はなかなか来れそうにないのが残念だ。
徹明町12:49発の電車に乗る。昼下がりにも関わらず、車内は超満員。身動きがとれない。
ここから発着する電車でここまで混むというのは初めてだ。
どうもお名残乗車の人が多いようにも見えた。
満員電車に揺られて競輪場前に12:56着。ここから徒歩で「ひっぱれ路面電車ファイナルinぎふ」の会場である市ノ坪まで行くことにする。既に「ワンデーフリーぎふ」の代金分はモトが取れているし、一駅間だけ電車に乗るのも面倒だ。
市ノ坪までの道中、歩道に三脚を立てている人がやたら多く目につく。元々撮影する人が多い場所ではあるが、今日はいつもに増して多い。606でも走っているのかなぁとも思う。
留置されている電車を市ノ坪のホームから見る。
すると、クリーム色と緑色の旧塗装になっている593が見えた。ひょっとしたら徹明町からの区間運転に入るのだろうか。
「ひっぱれ路面電車ファイナルinぎふ」の会場に入る。
見物客は思ったより多かった。物販も行われており、様々なグッズ類が売られている。
その中に600V区間の行先板がひっそりと売られているのを見つけた。
一枚一万円からと値は張るが、ここで買い逃がすと次はいつになるか、いや買えるかどうかもわからない。
財布の中身を見て手持ち不如意なことに気づき、近くのATMまで行って軍資金を調達して購入する。購入したのは「岐阜駅・忠節」の行先板。他に方向幕等を購入する。
いやー、行先板キーホルダーに手を出さなくて本当に良かった・・・。
肝心の電車との綱引きを見ている内に、606が名鉄岐阜へ走り去っていった。そして、593が競輪場前へ出庫していった。593が動くのを見るのは、これで2回目だ。いつも留置線の端で眠りについている所しか見ていないので、それだけで新鮮だ。
こうなるとイベントでまったり、という訳には行かなくなる。
早速、会場を後にして競輪場前まで戻る。
競輪場前に着くと、593は徹明町方面へ走り去っていった直後だった。
606は関方面へ行ってしまったため、この2両を撮って、この日の予定は終わりにしようと決めた。
593が出庫したためか、ここで電車を撮る人の数が次第に多くなる。
途切れ途切れに会話が聞こえてくる。曰く、大阪からやってきた、東京から・・・と全国から来ているようだ。
しばらく待つと593が徹明町からやってきた。停車中の所と、交差点を横断する所を撮影する。
よく見ていると、右折しようとする車が軌道をふさぐ形で停まっている。電車はどうするかというと、汽笛を鳴らして威嚇(?)して車に右折ないし右折を諦めるように促している。
交通量が元々多い所に持ってきて、軌道敷には車は進入可能。電車が消える4月以降、通行量が元々多い道路の通行状況が劇的に改善されるとは思えない。
それでも車の数が多いため何回も信号待ちをしてしまい、列車に遅れが出始めた。
交差点を行き交う電車を撮って時間を潰す。15:30過ぎに606がようやくやってきたので、これを撮影して終了。
撮影後、市ノ坪まで歩く。
イベントは既に終了し、後かたづけが始まっていた。
ホームから留置されている510形を撮って名鉄岐阜行に乗り、田神で下車。
この時点で5分程度の遅れが出ていた。
田神線を行く美濃町線の電車を撮影して今日の予定を終了する。
三脚を持っていれば徹明町で夜景を・・・と思うのだが、生憎今日は持参してきていない。
しかも593が稼働するとは予想もしなかった。
巡り合わせがやや悪いが、走っている所が撮れただけでも良しとしよう。
ところで、19日一日あれこれ歩いてみたが、岐阜市内線は570形が走る朝はともかく、日中はさほど鉄道ファンの数が多いとは思わなかった。逆に美濃町線は午後の競輪場前を筆頭に、至る所にカメラを構えた人が多かった。
510形が走らなかったから、この程度という見方もできるが、果たして最後の510形団体臨時列車が走った20日はどうだったのだろうか。
恐らく、大混雑だったのではないだろうか。
家に帰ると、日焼けで真っ赤になっていた。顔がヒリヒリする。
思えば、岐阜を訪れることが出来るのはあと一回。
一日で「お別れ」ステッカーを貼った電車は撮影できたので、最後の岐阜行きはどう行動するか考えている。