森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

最善という言葉の持つ罠

2007年01月15日 20時44分45秒 | 過去ログ
結局、母親は再OPEになった。
ここでは病状が特定されるため、そのプロセスについてとやかくはいわない。
しかし、個人情報保護法というやつにはつくづく困る。
電話では言えません・・・と。
おまえは何回も俺の声を聞いてるではないか・・・認知できない植物なのか・・・
規則というものは原則。機械にわざわざなろうとする医療者に対して暴言をはいてしまった。ここまで日本の医療者(人間)はマニュアル(機械)にならないといけないのか。
例外にどう対応するかが人間の脳のもっとも優れたところ。
クリニカルパスしかり、病院の古いマニュアルしかり・・ほんとどうしようもない。

結局、大声で怒ってしまった。
今年の誓い、早くも崩れる。
小さいころから短気である。
けれども、これもいまや戦略。
他者が予測不可能になったとき、はじめて他者意識に遭遇し、本当の感情的な自己意識にも遭遇する。
教育でもそうだし、医療でもそう。

中途半端に怒らないということだ。
怒るときは百雷が落ちたように怒れ!(徳川家康だったと思う)
中途半端では、結局、その意識に出会わないから、マニュアルで済ます。
人間とはそういうおろかなものなのだ。

医療者は、一生懸命やらしてもらうとか、最善をつくすとか軽くいうが、そんなものは当たり前。

最善をつくしましたが、一生懸命やりましたが・・・母親のことを思っています・・・ そんなおまえの自己意識は聞いてない。

最善をつくそうがどうかは関係なく、元に戻してほしい。
それが患者の家族の願いである。
そのためには何も惜しまない。

一生懸命やろうが、患者(家族)はいつも裏切られた期待である。
医療者は期待を裏切りっぱなしである。

確率なんか知ったことじゃない。
おまえの人生なんて知らない。
元に戻してほしい。
それだけだ。

臨床PTしていた自分は簡単に家族にムンテラしていた。
住宅改修の話をしていた。
そのつど、家族の期待は裏切られていたのだろう。
今思うと本当に恥ずかしい。

祖母ももう7年ぐらい入院している。
脳梗塞で、今は認知症も進み、発語もない。
唯一、孫が行けばわらってくれる。

母も脳損傷。

無力すぎる。

15年間PTやってきて、これかという始末だ。
身内もよくできないなんて・・・

これも試練なのだろう。
もっともっと「脳(こころ)」について勉強しなさいという試練なのだろう。

未来の他者(患者)、家族のための。

まだ足りないのだろう。
もう1回、2回越境するぐらい、鞭を打ち、困難に立ち向かえと言われているのだろう。

安楽と困難、科学、医学に生きている以上、有無をゆわさず、困難をとる。
それを「神」あるいは「仏」が与えてくれているのだろう。


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