金曜日,今年度最後の授業のために岡山の朝日リハまで向かう.
学習のプロセスにおける強化学習と教師あり,なし学習の相互関係性について話をする.
そして,継続は力なりの意味を,発達の手順,そして創発現象から説明する.
インプットとかアウトプットとかそれらを意識するのではなく,
動くというふるまいから起こる神経現象について説明した.
具体例の富む授業にしないと,1年生の興味はそがれるが,
ある意味最先端なのである.
それを認識できるのは卒業後かもしれない.
私の授業はそんなものである.
土曜日,朝9時に岡山を発ち,
6時間かけて安房鴨川駅まで.
東京での京葉線のホームはいつも歩かされる.
途中,ディスニーランドの広告に,我が人生を考え,
この馬車馬感に少し切なさを感じる.
人間の幸福とは,ある時点での価値の基準によって大きく変わる.
しかし,心の持ちようによって,他人から見れば一見幸せなことも不幸に感じ,
一方,その逆もしかりである.
気持ちとはそういうものであり,幸福感を連れてくる.
困難,苦労であっても,前を向いていればそれは幸福につながる.
何か報われるとかの期待でなく,
それに向かっている自分を自分で評価し,価値を決める.
それが,ヒトが人間たらしめる高次脳機能である.
15時に鴨川につき,島袋先生に送迎してもらう.
鴨川シーワールドを抜け,巨大病院亀田総合病院へ.
村永部長に御挨拶し,そして病院のこと,教育のこと,脳科学のことを話する.
講演は2時間にわたり,脳科学と臨床の接点について話した.
病院のセラピスト70数名を今回は対象にしたものであり,
できるだけ,とっかかりの内容に留意した.
まずまずの出来であったと思う.
臨床も少し交えた.
講演終了後,病院の最上階のレストランでイタリアンをいただく.
優雅な席に,ホテルの感覚が漂う.
このような施設も,心を変える環境になりうる.
患者さんの心と体を考えれば,効を奏す場合もあるだろう.
心と体は知覚と行為で接点を持つ.
和やかなムードかつ,余計な私の履歴を話し,少し反省する.
懇親会は場所を変えて深夜2時頃まで続く.
前日の岡山での飲み,そして,今回.
そして毎週毎週.
ついに,胃腸の違和感があり,原因不明の高熱に翌日なり,
ようやっと奈良に帰り着き.さっきまで寝込んでいた.
無理せずにと思い,一日休むがまだ熱はおさまらず・・・
なんとか大学に来ることができたが,明日から実習地訪問のオンパレードかと思うと,大変だ.
迷惑をかけないためにも,熱だけは下げて,原因を突き止めたい.
録画した龍馬伝を見て,香川照之さんの土佐弁とその演技に土佐人として,誇りを思う.
彼は努力を惜しまないプロである.
プロとは,ある課題が発生すれば,求められれば,そのイメージをして,そして何回もシミュレーションし,そして実践し,結果を残す.
問題が発生しても何通りもの手順をイメージできる,それがプロであると思う.
しかし,東洋の「わしは天才じゃき,何をやってもえいがじゃ」には,
これからの展開を知っている歴史好きの私には,この岐路となる言葉に意味をもった.
時代が時代.
新しく変わろうとするとき,自分の思いとは別の方向に行く場合もある.
そして対立をつくる.
対立は進歩である.
それが共同注意できるのであれば,友好にもなる.
表面だけの仲良しクラブ,情動が働き蓋をするこの腐った世の中に,
龍馬伝は,一石を投げることができるか・・・・
龍馬と弥太郎が東洋に向けて発した言葉,
「どこどこのだれそれの息子」という表現.
それが「脳を学ぶ(2)」では意味を持つ.
ルーツを大事にする.そんな世の中はつながっている世界である.
学習のプロセスにおける強化学習と教師あり,なし学習の相互関係性について話をする.
そして,継続は力なりの意味を,発達の手順,そして創発現象から説明する.
インプットとかアウトプットとかそれらを意識するのではなく,
動くというふるまいから起こる神経現象について説明した.
具体例の富む授業にしないと,1年生の興味はそがれるが,
ある意味最先端なのである.
それを認識できるのは卒業後かもしれない.
私の授業はそんなものである.
土曜日,朝9時に岡山を発ち,
6時間かけて安房鴨川駅まで.
東京での京葉線のホームはいつも歩かされる.
途中,ディスニーランドの広告に,我が人生を考え,
この馬車馬感に少し切なさを感じる.
人間の幸福とは,ある時点での価値の基準によって大きく変わる.
しかし,心の持ちようによって,他人から見れば一見幸せなことも不幸に感じ,
一方,その逆もしかりである.
気持ちとはそういうものであり,幸福感を連れてくる.
困難,苦労であっても,前を向いていればそれは幸福につながる.
何か報われるとかの期待でなく,
それに向かっている自分を自分で評価し,価値を決める.
それが,ヒトが人間たらしめる高次脳機能である.
15時に鴨川につき,島袋先生に送迎してもらう.
鴨川シーワールドを抜け,巨大病院亀田総合病院へ.
村永部長に御挨拶し,そして病院のこと,教育のこと,脳科学のことを話する.
講演は2時間にわたり,脳科学と臨床の接点について話した.
病院のセラピスト70数名を今回は対象にしたものであり,
できるだけ,とっかかりの内容に留意した.
まずまずの出来であったと思う.
臨床も少し交えた.
講演終了後,病院の最上階のレストランでイタリアンをいただく.
優雅な席に,ホテルの感覚が漂う.
このような施設も,心を変える環境になりうる.
患者さんの心と体を考えれば,効を奏す場合もあるだろう.
心と体は知覚と行為で接点を持つ.
和やかなムードかつ,余計な私の履歴を話し,少し反省する.
懇親会は場所を変えて深夜2時頃まで続く.
前日の岡山での飲み,そして,今回.
そして毎週毎週.
ついに,胃腸の違和感があり,原因不明の高熱に翌日なり,
ようやっと奈良に帰り着き.さっきまで寝込んでいた.
無理せずにと思い,一日休むがまだ熱はおさまらず・・・
なんとか大学に来ることができたが,明日から実習地訪問のオンパレードかと思うと,大変だ.
迷惑をかけないためにも,熱だけは下げて,原因を突き止めたい.
録画した龍馬伝を見て,香川照之さんの土佐弁とその演技に土佐人として,誇りを思う.
彼は努力を惜しまないプロである.
プロとは,ある課題が発生すれば,求められれば,そのイメージをして,そして何回もシミュレーションし,そして実践し,結果を残す.
問題が発生しても何通りもの手順をイメージできる,それがプロであると思う.
しかし,東洋の「わしは天才じゃき,何をやってもえいがじゃ」には,
これからの展開を知っている歴史好きの私には,この岐路となる言葉に意味をもった.
時代が時代.
新しく変わろうとするとき,自分の思いとは別の方向に行く場合もある.
そして対立をつくる.
対立は進歩である.
それが共同注意できるのであれば,友好にもなる.
表面だけの仲良しクラブ,情動が働き蓋をするこの腐った世の中に,
龍馬伝は,一石を投げることができるか・・・・
龍馬と弥太郎が東洋に向けて発した言葉,
「どこどこのだれそれの息子」という表現.
それが「脳を学ぶ(2)」では意味を持つ.
ルーツを大事にする.そんな世の中はつながっている世界である.