森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

天才と秀才は表裏一体

2010年02月23日 12時54分27秒 | 過去ログ
金曜日,今年度最後の授業のために岡山の朝日リハまで向かう.
学習のプロセスにおける強化学習と教師あり,なし学習の相互関係性について話をする.
そして,継続は力なりの意味を,発達の手順,そして創発現象から説明する.
インプットとかアウトプットとかそれらを意識するのではなく,
動くというふるまいから起こる神経現象について説明した.
具体例の富む授業にしないと,1年生の興味はそがれるが,
ある意味最先端なのである.
それを認識できるのは卒業後かもしれない.

私の授業はそんなものである.

土曜日,朝9時に岡山を発ち,
6時間かけて安房鴨川駅まで.
東京での京葉線のホームはいつも歩かされる.
途中,ディスニーランドの広告に,我が人生を考え,
この馬車馬感に少し切なさを感じる.
人間の幸福とは,ある時点での価値の基準によって大きく変わる.
しかし,心の持ちようによって,他人から見れば一見幸せなことも不幸に感じ,
一方,その逆もしかりである.
気持ちとはそういうものであり,幸福感を連れてくる.
困難,苦労であっても,前を向いていればそれは幸福につながる.

何か報われるとかの期待でなく,
それに向かっている自分を自分で評価し,価値を決める.
それが,ヒトが人間たらしめる高次脳機能である.

15時に鴨川につき,島袋先生に送迎してもらう.
鴨川シーワールドを抜け,巨大病院亀田総合病院へ.

村永部長に御挨拶し,そして病院のこと,教育のこと,脳科学のことを話する.

講演は2時間にわたり,脳科学と臨床の接点について話した.
病院のセラピスト70数名を今回は対象にしたものであり,
できるだけ,とっかかりの内容に留意した.
まずまずの出来であったと思う.

臨床も少し交えた.



講演終了後,病院の最上階のレストランでイタリアンをいただく.
優雅な席に,ホテルの感覚が漂う.
このような施設も,心を変える環境になりうる.
患者さんの心と体を考えれば,効を奏す場合もあるだろう.
心と体は知覚と行為で接点を持つ.

和やかなムードかつ,余計な私の履歴を話し,少し反省する.

懇親会は場所を変えて深夜2時頃まで続く.

前日の岡山での飲み,そして,今回.
そして毎週毎週.
ついに,胃腸の違和感があり,原因不明の高熱に翌日なり,
ようやっと奈良に帰り着き.さっきまで寝込んでいた.
無理せずにと思い,一日休むがまだ熱はおさまらず・・・

なんとか大学に来ることができたが,明日から実習地訪問のオンパレードかと思うと,大変だ.
迷惑をかけないためにも,熱だけは下げて,原因を突き止めたい.


録画した龍馬伝を見て,香川照之さんの土佐弁とその演技に土佐人として,誇りを思う.
彼は努力を惜しまないプロである.

プロとは,ある課題が発生すれば,求められれば,そのイメージをして,そして何回もシミュレーションし,そして実践し,結果を残す.

問題が発生しても何通りもの手順をイメージできる,それがプロであると思う.


しかし,東洋の「わしは天才じゃき,何をやってもえいがじゃ」には,
これからの展開を知っている歴史好きの私には,この岐路となる言葉に意味をもった.


時代が時代.


新しく変わろうとするとき,自分の思いとは別の方向に行く場合もある.

そして対立をつくる.


対立は進歩である.

それが共同注意できるのであれば,友好にもなる.

表面だけの仲良しクラブ,情動が働き蓋をするこの腐った世の中に,
龍馬伝は,一石を投げることができるか・・・・


龍馬と弥太郎が東洋に向けて発した言葉,
「どこどこのだれそれの息子」という表現.
それが「脳を学ぶ(2)」では意味を持つ.

ルーツを大事にする.そんな世の中はつながっている世界である.



最新の画像もっと見る