森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

考える人

2009年09月01日 12時40分30秒 | 過去ログ


日曜日は盛況に「やまとフォーラム」が開催された。
大学は「研究」「教育」のみならず、「社会貢献」することが責務であるが、
私学の在り方からいうと、この社会貢献のウエイトが大きい。
「研究力」から考えると国立大学ということになるが、
フレキシブルさが私学にはかなわない。
私学といっても中程度の大きさの大学である。
小さすぎても人手不足だし、大きすぎても小回りがきかず、コントロール不能になる。
ここにも近接領域があると思う。

うちの大学は概して教員と職員の垣根がない。
国立大学大学院出身の私にとっては、この垣根のなさが心地よい。

今回は、その垣根をさらに学園全体としてとっぱらうという試みであり、
この貢献事業の位置づけは「冬木学園」の事業となる。
大学での公開講座などは大学の社会貢献事業であるが、
これは学園全体の事業となる。
関西中央高校の山田副校長の案でもある。
私は彼の攻撃性と柔軟性が好きだ。
民間人の公立高校校長の草分け的存在でもある。
造形芸術にも詳しい。
関西中央高校に身体表現コースが開設されたのもその一つである。


土曜日より、写真家の古谷さん、出版社の中村さんを迎え、
打合せ、そして対談のジャブ的雑談を行った。
日曜日、400名ほどやまとフォーラムにきていただいた。

衆議院選挙とのブッキング、夏休み最後の日曜日、
そして、「24時間テレビ」と、開催において集客に一抹の不安があったが、、
近隣の50歳~70歳の方々が多く見られた。







「育む」というテーマで始まった対談は、
やんわりとした光のなか、
「沖縄の暮らし」「海人の生活」「男女の役割」「オジイ・オバアの役割」「人生」「ルーツ」など話が多岐にわたった。
現代人が失ったものは大きい。
ただ、それはそれで受け入れなければならない。
昔を振り返ることは大事だが、
未来への懸け橋をつくることが現代を生きている人間の役割でもある。
「種の保存」が当たり前のように思っている人間。
「種の保存」こそが、私たちが生まれた意味でもあり、
「遺伝子」に組み込まれた生命体の役割でもある。







そんなことを、古谷さんとの対談で感じた。
彼女の生き方こそが、人間らしさを想起させる教科書でもある。

このような対談というものは、
「考える人」として重要な意味をもつ。
概して、何の目的があるのか?何の意味があるのか?リハビリテーションに何の関係があるのか?理学療法のことを話すのか?と自らが自らの視点で枠をつくり盲目になっていく。
これはデジタル脳の極みである。
自分の必要な情報をあらかた決めつけてシミュレーションするといった機械脳である。

自分の体で感じるというのは、そういうことではない。
もっとアナログなものであり、意味を決めつけて臨むものではない。

考える人とはそういう人である。

このような科学文学的人生こそが、
私の生きる道でもあるように感じる。
郷土出身で高校の先輩である寺田寅彦牧野富太郎の人生に知らぬ間に影響を受けているのかもしれない。
彼らこそ、私は科学者であると思う。


古谷さんとの対談は、「脳を学ぶ(2)」で表現することができると思います。
こうご期待!
筋肉だけでも駄目だ、神経だけでも駄目だ、関節だけでも駄目だ、脳だけでも駄目だ。
人間、そして人生を科学する経験。
それが私たちの歩むべきセラピスト人生である。


自然、人間、芸術、文化、人生などへの絶え間なき興味。
それを持ち続けることこそ、人生を「育む」秘訣ではないだろうか。




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