森岡 周のブログ

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幸福感の惹起とは?

2016年03月31日 22時14分21秒 | 脳講座
福岡で5時間講演(今日は何度かトークしている最中に意識が飛び、主体感を喪失する瞬間に遭遇しました、それを操作しようという自己意識がさらに講演中に生まれ、今は相当の疲労です)を終え、新幹線に乗り自宅に向けて帰っています。博多駅は年度末の観光客でごった返し、ただいま広島を過ぎたところですが、ベイスターズファンと鉢合わせ、「日本はいいね、幸せだね、こういう空間と時間の共有が明日も明後日も起こるよね?!と」と思っている時間です。

今日は上肢運動制御の知見を述べたのち、一部、機能回復は運動学習で説明できるが、説明できない(どっちやねん)という視点を皆さんに提供しました。
時に狭義の回復という視点は前の状態に戻るという後ろ向きの視点になってしまいます。脳は時制を獲得し、それに基づき発達していきます。紛れもなく脳は記憶装置でありますが、その記憶は将来の予測のために蓄えるわけです。

私たちにしばしばおこる幸福感の惹起は、今現在から未来へのベクトル(前向きモデル)に現れ、そのベクトルに向い、不確実、不安定性の中でも、自らに(行為)主体感を持てるといった認知的志向(差分、誤差)と、それと同時に生まれる情動惹起に伴う希望(今でなく将来に対する報酬価値)といった感情を持てるかに由来しています。
だから、元に戻りたいという後ろ向きのベクトルでは、幸福感の惹起は極めて難しいわけです(ノスタルジー感情はまた別です)。発達途上の幼児が「乳児の時が幸せだった」なんて言わないですよね(そんな子供がいたら子供らしくないと思います)。もしその程度の生物だとすれば、私たち人間はここまで発達してこなかったでしょう。
だから、骨の折れる作業ですが、脳損傷が起こった場合、過去の自分(病気前)を一度リセットする作業工程が必要になってきます。学習とは未来に向かうもの、これに対して、回復とは過去に向かう意識が強い。機能回復と運動学習は類似し、神経基盤も共通したりしますが、心理社会的には異なり、報酬感覚としては大きく変わってくるわけです。

そして、脳は差分しか情報化(認知)できない特徴を持っています。普段の定常化した行為はなんら認知されないし、報酬価値としてもなくなる。しかし、私たちの機能・能力にはある程度の限界があり、永続的に発達し続けるわけでもありません。脳は筋肉のように巨大化させることはできませんから。

だから、絶え間ない増加方向のベクトルによって差分を作り出し続ければ、いつか失速し破綻してしまいます。組織・会社が破綻するシステムと脳のシステム破綻は似ています。だから、患者さん自身でなく、私たちもささやかながらリセットする必要があります。去年の自分をリセットする、今日の自分をリセットし、ささやかな差分(増加分)を感じる余裕をつくる、そういうちょっとした切り替えが幸福感をつくったりするわけです。そして、ささやかな差分が「できたという結果のみ」であったり、「儲けたっていう結果のみ」という外の意識へと放出したりすると、そうならなくなった場合、いわゆる「不幸」の意識が生まれます。

報酬学習を字義的に理解するだけでなく、このような人間らしさ(人間とはなにか)を考えることはとても大事ですよね?という類のことを最後は話したつもりです。
この図のcomparator modelの理解がセラピスト教育の根幹になるように、ちょっと頑張らないといけないな、と思った私の休日(講演・仕事)でした。しかし、5時間講演はいつまでたっても適応できない、、疲労感満載、寿命が縮む感覚が生まれます、、涙、笑。それでも、家に帰れることを報酬に変え、リセットします!