森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

そろそろあなたに奈良がしみる

2008年11月13日 20時07分29秒 | 過去ログ


JR東海の そうだ京都に行こう!という関係で,
このシーズンは京都駅が週末はごったがえす.
その学習あってか,講演帰りには京都駅を利用せずに
奈良まで帰るようにしている.

大学前の高塚地区公園は,彩が心にしみる.

このように自然を感じる心は年々増す.
それは,人間関係に対する円熟とも思える.

つまり,人間関係にそれほど前頭皮質や感覚領域がとられないからであると思う.
脳は相対的なバランスの器官であり,

その人間関係に脳の活動をとられてしまえば,
このような自然に対して気づかなかったり,
喜びを感じなかったりする.

日本人の心というやつに.

近鉄の奈良のキャッチフレーズは,

「そろそろ、あなたに奈良がしみる」

秋の談山神社はすさまじいですよ。




田舎のよさを感じる年になってきた.


万国共通!

2008年11月13日 18時09分07秒 | 過去ログ
すっかり回想録になってしまった.
年に何回か,このようになってしまう.
土曜日に山口・下関に入り,
道祖先生,川端先生にお迎えいただき,
とりあえず,講演前の下関を堪能する意味で,
フグのから揚げをいただいた.

講演会場は下関リハビリテーション学院であり,
昨年度まで非常勤で行っていた小倉リハビリテーション学院の姉妹校らしい.
昨年までは浅海先生がいたが,会えなくて残念.
同じく姉妹校の和白リハビリテーション学院のように,
廊下にはマチスの絵が飾ってあった.
統一された趣味であろうか.

マチスは色彩の魔術師だけでなく,
身体を意図した切り絵が多い.

講演前に久しぶりに山口大の泉先生にお会いし,
かつて実習地訪問にいっていた自分が懐かしく感じた.
宇部新川までのローカル線(ワンマン)が映像として浮かぶ.

講演は少々くどい感じで一日が終了し,
脳の可塑的変化機構だけでなく,
中枢神経障害まで今回は踏み込んではいったせいか,
運動学習の神経機構まで話すことができずに終わった.
3時間あって,そこまでいかず,
結構,脳の情報処理に費やしてしまった.
年を重ねるごとに知恵が増すせいか,
スライドにはないことをつらつら述べてしまい,
科学者的解説でなく,文化人的解説になってしまい,
そこには本質がないかもしれない.
しかし,仮説を述べることは実に面白い.
その仮説をどう実証するかが正念場だ.

しかし,仮説は「教師あり学習」ににていて,
実際には,その仮説がなくとも,実験・臨床を進めて,
「教師なし学習」,つまり問題が発生してから考えればよい場合も多々である.
とにかく,山に入って,自分で経験したものを,
自分の脳で考え,分類していく.
これも一つの手法である.

東大の池谷先生がそのような本を出していたと思う.

講演が終わり,学術部の方々と懇親会.
焼肉という意表をつかれたが,
それはそれで新鮮であり,
いつもの懇親とは違ってよかった.

自分より年上かと思う先生が,
下ばかりであり,年をとったものだと感じる.
自分の顔のイメージは,
実際の鏡に映る顔とは違う.

そうすると,情動(不快)がわく.
それはそれで心が痛む.

イメージと実際の食い違いは,
体性感覚で痛みを生じさせるというが,
視覚はそれで心が痛む.

私は27歳ぐらいでとまっているのだろうか.
新しい顔を毎日朝見るが,それは更新されていないように思える.
どこかで自分がネグレクトしているのかもしれない.
それも生きていくための自己組織化なのか・・・・
知らなくていいことは,知らない.
「知覚の欠損よりも,欠損した知覚を信じる」
脳の自己組織化とはそのようなものであり,
片麻痺の「学習された不使用」の理論もよくわかる.

いったい,何が幸福なのかがわからないときがある.
「自覚」とは何か?

そんなことは懇親会中には考えておらず,
自分の顔は自分自身の想像とは違った知覚を他者に与えているのかもしれない.

しかし,情動知覚に関しては共感(共有)できると思う.
それは万国共通だから(by Paul Ekman).

恐怖
嫌悪
怒り
驚き
悲しみ
幸福

これらは文化が違えども,言葉が違えども,言葉を話さなくとも,
共有できる生物的に埋め込まれたはずの情動である.

しかし,それが働かない事実もある.
この現象もまた解明が難しい.
どこどこがその情動の責任領域であるとはわかりはじめたが,
そのものが,その現象を作り出している普遍的なものなのか,
適応性のあるものなのかは,闇のなかである.
脳は難しい.


翌日は,運動学習の脳内機構から,
イメージ,ミラーニューロンを話して,
どのようなリハ介入が考えられるのかを
少し具体的に話したつもりである.

7時間という講演時間であったが,足りなく感じた.
こんなのは久しぶりである.

帰りは,フグのひれ酒をいただき(UPできずにごめんなさい),
腰が限界をむかえていたので,
グリーン車(心の疲れ,からだの疲れと相関している)に手が伸びた.

N700系のグリーンであったが,
グリーンに関しては500系がいい.
頭部のクッションが違うのである.

そんなことを体性感覚で感じながら帰路についた.

そして,先日のブログにも書いたように,
PT学会の抄録直しと,
腰に「キキ~~」と音が聞こえた.
ブーバ,キキではないが,そのような音が聞こえ,
そのあと,「ずっしり」と鉛を感じ
途端,骨盤の動きが悪くなった.

身体とは実に繊細で面白いものである.