山城新伍みたいのが死ぬと
残念な訃報ではあるけれど、自分の女好き三昧で離婚されたのに、妻が恋しい、娘が恋しいという話を聞くと、こういう男の頭の中の仕組みはどうなっているのかといつも不思議になる。
山城は女好きだから何度も浮気をした。妻に離婚されて、娘にも愛想を尽かされた。でも70歳でぼけて老人ホームに入ると、妻が恋しい、娘が恋しいとは何かなあ。好き放題しても女は俺に従えというなら軍国主義過ぎる。娘に嫌われたくないなら、分からないように上手に浮気してくれよ。でもばれて離婚されたら、他の嫁見つけろよ。いやそこまでの甲斐性はない。ならばさっさと諦めろと思うのに、いつまでもめそめそしている。この年代の俳優は阿呆なのか。
山城の友人に梅宮辰夫がいるけど、これだって、バカ娘を勘当できなくて、けっきょく娘は子持ち独身になって、親に居候している。いいのかね、アンナがこんなんで。
梅宮は山城の老人ホームに見舞いに行っていないということになっているから、葬式の日にはどこにいましたか?と聞くと、海釣りに出かけていましたよという。こういうウソを真に受けて、おまえは友達の死に目に会わずに裏切ったと叫ぶと「海にいったというのは、ウソも方便だよ」と騒ぎだす。この年代の嫌いなことは、方便でウソをつくことが正当化されることだ。戦争の反動なんだろうか、私はこういう人種は嫌いです。
里見浩太郎という役者は東映で山城の先輩になるそうだけど、やはりこの年代の役者というのは、写真を撮りますよというと、女みたいに斜め70度の角度に体を傾ける。その方が痩せて見られるというわけだ。往年の映画俳優の習性だというのだが、いまどきは撮影に真正面からどアップで撮るのが普通になっているのに、何だかやっぱり終戦後見たいで悲しい。
山城の代表作はやくざ映画だといい、70年代には高倉健も菅原文太もヤクザ映画の俳優で「なんだてめ~ら偉そうに」とかいって、ナイフで人を刺すのだが、山城も34歳のころに、チンピラ役でこういう映画にたくさん出ていた。あたしは知りませんよ、その時代には子供だったから。でもねえ、やくざ映画なんてどうしてはやったのか不思議です。庶民にとっては、やくざの組織が町中にあることが日常だったんでしょう。水戸黄門がはやるのも、悪代官がいっぱいいて、だから黄門様に世直しして欲しい。70年代もそれ以前も、自民党もいたし、日本は自由主義で警察もいたんだけど、実は盛り場で仕切っていたのはやくざ暴力団で、それは警察よりも偉かったんだね、ある時期には。ヤクザがナイフもって偉そうに啖呵切るのなんて、まともな社会じゃありませんよ。でも東映のやくざ映画は、そのまともじゃない70年代60年代に、まともじゃない客を相手に、まともじゃない映画を作ってそれが大人気だったというのは、庶民にその要求があったということだね。
山城新伍なんて、90年代になってから暴力団の娘の結婚式に出て、それはダメだと糾弾されたときに「暴力団だって、立派な日本人だ、応援して何が悪い」と啖呵を切ったが、阿呆、連中は非合法で生きていてまともじゃないと、誰も言わなかった。いまも言えないのが多いから連中が作った大麻覚せい剤をのりぴーが吸っている。まあ公取辺りが真面目に仕事やれば、連中は全部排除命令に該当するようなインチキ商売である。
やっぱり山城なんて、そういう馬鹿な時代にばか面して俳優やっていただけで、注意する人がいないから知らぬが仏で生きてきて、最後は娘にも愛想尽かされて、それで泣いていたという、やっぱり弁護の余地はどこにもないような、お粗末な人です。つまりその友人の梅宮辰夫も、松方弘樹も同類だということですね。
残念な訃報ではあるけれど、自分の女好き三昧で離婚されたのに、妻が恋しい、娘が恋しいという話を聞くと、こういう男の頭の中の仕組みはどうなっているのかといつも不思議になる。
山城は女好きだから何度も浮気をした。妻に離婚されて、娘にも愛想を尽かされた。でも70歳でぼけて老人ホームに入ると、妻が恋しい、娘が恋しいとは何かなあ。好き放題しても女は俺に従えというなら軍国主義過ぎる。娘に嫌われたくないなら、分からないように上手に浮気してくれよ。でもばれて離婚されたら、他の嫁見つけろよ。いやそこまでの甲斐性はない。ならばさっさと諦めろと思うのに、いつまでもめそめそしている。この年代の俳優は阿呆なのか。
山城の友人に梅宮辰夫がいるけど、これだって、バカ娘を勘当できなくて、けっきょく娘は子持ち独身になって、親に居候している。いいのかね、アンナがこんなんで。
梅宮は山城の老人ホームに見舞いに行っていないということになっているから、葬式の日にはどこにいましたか?と聞くと、海釣りに出かけていましたよという。こういうウソを真に受けて、おまえは友達の死に目に会わずに裏切ったと叫ぶと「海にいったというのは、ウソも方便だよ」と騒ぎだす。この年代の嫌いなことは、方便でウソをつくことが正当化されることだ。戦争の反動なんだろうか、私はこういう人種は嫌いです。
里見浩太郎という役者は東映で山城の先輩になるそうだけど、やはりこの年代の役者というのは、写真を撮りますよというと、女みたいに斜め70度の角度に体を傾ける。その方が痩せて見られるというわけだ。往年の映画俳優の習性だというのだが、いまどきは撮影に真正面からどアップで撮るのが普通になっているのに、何だかやっぱり終戦後見たいで悲しい。
山城の代表作はやくざ映画だといい、70年代には高倉健も菅原文太もヤクザ映画の俳優で「なんだてめ~ら偉そうに」とかいって、ナイフで人を刺すのだが、山城も34歳のころに、チンピラ役でこういう映画にたくさん出ていた。あたしは知りませんよ、その時代には子供だったから。でもねえ、やくざ映画なんてどうしてはやったのか不思議です。庶民にとっては、やくざの組織が町中にあることが日常だったんでしょう。水戸黄門がはやるのも、悪代官がいっぱいいて、だから黄門様に世直しして欲しい。70年代もそれ以前も、自民党もいたし、日本は自由主義で警察もいたんだけど、実は盛り場で仕切っていたのはやくざ暴力団で、それは警察よりも偉かったんだね、ある時期には。ヤクザがナイフもって偉そうに啖呵切るのなんて、まともな社会じゃありませんよ。でも東映のやくざ映画は、そのまともじゃない70年代60年代に、まともじゃない客を相手に、まともじゃない映画を作ってそれが大人気だったというのは、庶民にその要求があったということだね。
山城新伍なんて、90年代になってから暴力団の娘の結婚式に出て、それはダメだと糾弾されたときに「暴力団だって、立派な日本人だ、応援して何が悪い」と啖呵を切ったが、阿呆、連中は非合法で生きていてまともじゃないと、誰も言わなかった。いまも言えないのが多いから連中が作った大麻覚せい剤をのりぴーが吸っている。まあ公取辺りが真面目に仕事やれば、連中は全部排除命令に該当するようなインチキ商売である。
やっぱり山城なんて、そういう馬鹿な時代にばか面して俳優やっていただけで、注意する人がいないから知らぬが仏で生きてきて、最後は娘にも愛想尽かされて、それで泣いていたという、やっぱり弁護の余地はどこにもないような、お粗末な人です。つまりその友人の梅宮辰夫も、松方弘樹も同類だということですね。
山城新伍さんは歯に衣着せぬ発言で有名だったとか
女性関係も派手で昔ながらの映画スターだったようで
今の芸能界では居場所がなかったのかもしれませんね
ご冥福をお祈り致します
死んだらご冥福とは日本人の習性ですけど、こんなものはどこにも見習う要素はありません。反面教師として、こんなものにならないようにしましょう。
おしい人をなくしました。
どんべえのCMで一世風靡したのに
ご冥福をお祈り致します