sptakaのブツブツDiary

sptakaさんは、毎日ブツブツ発言しています。

上原君に「顔が嫌いだ」というと、怒られるのか

2021-06-18 17:02:31 | ブツブツ日記

 ホームラン打たれても「まあ、しょうがない、切り替えて明日ですよ」と答える。抑えに成功して、セーブが一つ積み重なったと言われても「それは結果であって、また明日ですね」という。この人は普段何も考えていないのかと思う。出たとこ勝負で、「勝った」「負けた」があるが「それは結果ですからね」と。じゃ、結果をよくするためにはと聞いても「それは、誰も分からないよ、はは」と。
 平たく言えば記者泣かせといい、何にも書けないと嘆くが、実は、この人は才能だけで、他に何も考えてない人なんだと。
 どうしたらメジャーに行けるかな
「そんなの、自分で考えてよ」
 上原さんの場合は?
「自分で考えていた。松井秀喜がいったし、西武から松坂がいったから」
 つまりあまり参考にならないのだ。つまらない。解説しない。「自分のことじゃないと分からないよ」
 いや自分のことでも分からない。
 日米の違いは
「別物の野球だよ」
 何が別かと聞いても、
「すべてだよ」 
 そういう人なのだ。客観的に説明できない。説明はどこかにウソっぽいという思いが本人にある。だから経験したことしか分からないし、他人に経験は話せても、アドバイスはできないとそういう人だ 
 それを好きとか嫌いとかファンは思う。嫌いな人も多い。すでに「顔も嫌い」という。本人怒ったようだが、40歳過ぎたら、顔に責任持てもある。何も親にもらった顔は、ずっと前に捨てられている。顔に責任があるし、顔を他人が判断する。付き合いにくい人なのだ。年功序列、軍隊式。ため口を利ける人と、利けない人を、みいっちい線引きで区別するという、体育会系と言えば聞こえはいいが、ちょっとバカ。
 どうやら「雑草魂」というものに、とんでもないプライドを持っているわけだ。それを「すごい」「前代未聞」「世界一」とおだてれば「いやいや」と照れるが、それが自分の評価なのだ。だから、雑草魂のかけらも持ち合わせないお前ら、キミ、司会者に質問されても、真面目に答える気すらならない。だから、自分で考えろというし、どんな失敗してもその原因探しなどにくよくよすることなく、切り替えて明日だという。だからいつまでたっても失敗の改善はできないのだが、そもそも失敗などは、10回に1回しかなく、9回はうまくいくのだから、それを継続すればいいだけ。そのために必要なんのは「切り替え」といい、それ以上は何もない。という、才能に恵まれた、おしゃべりへたくそ男の、まあ下種野郎ともいえる。私だって、上原よりは由伸だ。

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大竹しのぶが、今でも離婚したさんまとイチャイチャできる理由と、さんまが再婚できない理由

2021-06-18 07:23:15 | ブツブツ日記

 最近妙な共演したとかで、さんまとしのぶが話題になっている。なるほど、毎度のように芸能界のゾンビのように、話題の尽きない大竹しのぶなのだ。そのあくなき生命力と、貪欲な生活欲とは。
 全く妙な縁なのだが、高校時代の同級生から、当時「中学の一個下に、大竹しのぶがいたんだよ」と、彼は言うのだった。埼玉の田舎の出来事だ。あの当時中三トリオはデビューしていたが、桜田淳子がいいとは思っていたが、NHKの朝のドラマのヒロインなどは、通常は知らない。後に知るが、映画で北公次の相手役でデビューとかで、何のことだ。
 10年以上が経過して、その子は青春の門で裸になって、しのぶーとか、しのブタと言われる太目で大して相手にされないし、同期といえば、俳優座の田中裕子こそが飛ぶ鳥落とす勢いで、たこに絡まれて裸になっているエロさは、大竹とは比較にならないといわれていた。演技力も。
 ところが田中は、こともあろうに沢田研二と結婚騒動で、堕落して、一方大竹はさんまとの結婚で大いに盛り上がっていた。子供時代に埼玉の鳩山村というど田舎で育った大竹しのぶとは、一体何者であったか。
 両親がキリスト教だったのは有名なことで、しかも彼女は5人姉妹の三女という子だくさんで育った。数学教師の父はインテリだったようだが、結核で病弱であり、東京を離れてその埼玉のど田舎で療養した。彼女は幼稚園から小中時代を過ごす。本人はあまり語らない。
 救世軍に世話になったようで、極貧時代と言われた。トレンドの風間トオルは、川崎育ちだったようだが、雑草食って生活したという貧乏生活を怪しく告白するが、多分しのぶも同じようで、衣服すら姉のお下がりでは足りずに、救世軍からのもらい物で済ませていた。食事にも困る。貧乏のどん底とは経験したものでなければ分からない。
 近くに新しき村という集落があって、これは武者小路実篤の原始共産主義の団体なのだが、そこに遊びに行くと、3歳当時の彼女はとてもかわいくて、ロリな写真趣味のおじさんが、当時の写真を何枚も激写して未だに持っているのが不思議なのだ。
 ここで中学卒業して、ようやく親も回復したのか、小岩に出て高校に通いながらデビューした。運よく芸能界に出られたなら、このあぶく銭の恩恵は絶対に捨てたくないという、彼女の信念は強い。
 23歳くらいと女優の結婚にしては相当若いときに、それは先週もここに書いたが、中村晃子と最初のダンナの服部清治の婚前交渉のNY旅行なんていうのが、大きな芸能話題になっていた時に、その服部を横取りしたということになっている。東大卒のTBSディレクターだが、ちんけなプレイボーイ。そういえば北公次にも見かけ似ている。それでもいいのだ。浮ついた女優業の支えに、こういう男は必要だし、それは三田佳子が売れないNHKサラマンと結婚したのも同じ。
 大竹のどういう演技が服部を落としたかはある程度想像は付くが、彼にすれば、同年代のヤンキーの中村晃子よりも、10歳も若い大竹しのぶの方が、結果的には魅力的に見えて乗り換える。「服部さんの赤いフェアレディーで誘われたときに~~」と今でもワイドショーに語る彼女のカマトトなセリフを覚えているが、まあ素直に経験したことをしゃべったように見えるが、これは計算された中村への追い落としなのだ。服部はこちらに乗り換えるしかなくなった。
 そこで男児を一人出産した間もなく、服部はガンで亡くなる。計画は半ばで終わってしまった。
 間もなく男女七人~~という30%ドラマが大ヒットし、それはさんまとの共演だった。30歳のお笑い芸人としては、結婚するなら、「二十歳の処女くらいはいくらでも紹介しまっせ」というタニマチの助言を振り切って、死別子持ちの大竹にはめられる。「今日はいいのよ」といったかどうか。婚前交渉で「妊娠した」というのだ。「私生むから」と言われて、これも逃げられなくなった。電撃再婚である。但しこの妊娠は流産になった。その後まもなく、いまるを出産した。
 今でもさんまのいう離婚理由は「大竹の女優カムバック」なのである。どこぞの陳腐な爺のセリフかと思うが、妊娠出産は休業していた彼女だったが、いまるが2歳になる頃に女優に戻る。これが嫌だった。家庭にいて欲しい。この程度のつまらん男がさんまの正体なのである。大竹はそのずっと上を行く。
 もういいのだ。長女という人質が生まれたなら、離婚しても、自分が路頭に迷うことはない。さんまが彼女の父親である限り見捨てられることはないという計算だ。当時新居は世田谷深沢に8億円豪邸をさんまは建てたものだ。
 離婚後は、野田秀樹と数年の同棲状態が今は告白されているが、それは子供の一時期の父親代わりであって、もう入籍の必要もないし、劇団監督のギャラも知れているし、また東大卒の男というブランドが少々あるだけで、数年で破局。
 以降は、勘九郎が死んだといえば「私も縁があった」。たけしが賞に輝いたといえば「私も一緒にお仕事した」。「ジャニーズの〇〇くんは、大好き」。今は朝日新聞とかNHKラジオで連載持っている。
 離婚して30年にもなれば、もうさんまと共演したところで、話題性があれば、それは大歓迎という割り切り。逆にさんまは「女房は家庭に入って欲しい」という昭和の愚かなことを言い出した自分が今さらのように恥ずかしくて、いや大竹しのぶ程度の嫁を放し飼いする器量も、甲斐性のない男だとバレて、もう再婚の勇気さえない、ましてやカトパンなどを本気で口説ける才能もないとうわけだ。薄い女子大生をからかうだけ。
なんだ大竹の生命力とは。女優というインチキ商売の原点をしっかり見据えているという意味で、彼女のしたたかさに勝る女はそうそういない。
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