sptakaのブツブツDiary

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東京2020の大失敗は、口先だけの「おもてなし」を言い出しただけ

2021-06-14 21:07:17 | ブツブツ日記

「おもてなし」とはよく言われるが、それは京都人が「お時間ありましたら、ぜひお越しを」というのを真に受けると「ホンマにきはった」とやな顔するか、途中でお茶出して「ごゆっくり」と、従っていると「いつまでおるのかなあ」というのと、同義語かと思っている。もしくは黒船が来て以来、敵の顔色見ながらうろうろするのが、そうなのだ。
 たまたまこの数年、日本の円安に従って、化け物中国人の買いあさりに出合って、「おもてなしが功を奏した」と思ったことが間違いで、男にとっては女は全員ナイーブな娼婦であり、金持ちにとっては、下足番のように素直で未熟な、アホな国が珍しかっただけであって、それはコロナによって、一気に吹っ飛んだと、それだけのことだった。
 30年前まで夏冬の五輪は同じ年に開催されていて、76年の夏はコマネチと麻生のモントリオールで開催されたが、冬はデンバー(アメリカ)に決定していた。ところがデンバー住民は五輪ごときのために、街に負担金が生じることに反対して、さらには施設設立で壊される景観とか、開催することによる不満などで、住民運動がそれに反対して、返上した。ためにインスブルック(オーストリア)でまた急遽開催することになった。開催返上は歴代ここしかない。この辺りからすでに五輪は怪しく方向転換にもなってきた。身銭きってやるほどのものじゃない。
 4年後の80年夏は知られるようにモスクワだったが、日本も不参加。その4年後は、ロサンゼルス五輪で、これは五輪史上変革の商業五輪として大成功した。大会組織委員長のピーターユベロスは、メジャー野球などの仕掛人で、この五輪から女子マラソンが始まり、日本でも女子のブーム先駆けとなった。つまりこの頃から、五輪とは選手に「来ていただくもの」であり「参加していただくもの」であり、その成功によって、その都市、その国は恩恵を享受して、商業的に大成功して、五輪は「儲かる商売に」に転換したのである。いやユベロスが、大赤字の五輪から、もうかる商売として成功させたのだ。
 メジャーマラソンも同じようにこの頃から、「市民マラソン」に変更になっていた。それはわずか一部の選手のために、日曜日に都市封鎖するのはけしからんと、どこかの市民が不平を言い出して、メジャー大会が市民マラソンに変更しだして、その都市の観光収入は格段に増えてきた。ところが日本はこれに従わない。ようやく気付いたのが石原慎太郎で、世界に30年遅れて悪名高い女子マラソンを辞めて、東京マラソンが始まったというだけだ。いつもそうなのだ。
商業五輪は「おもてなし」五輪と言い換えてもいいくらいで、以降はこの歴史が続くわけで、選手は大いに現地でそれこそ、選手村ではコンドームが配布されて、世界の男女は盛りの付いた猫のように、村で恋愛した(日本人は、まったくそれに参加していないけれど)。
 ところが、東京2020主催者には、今でもこれに気付かない。予選に勝ち上がった選手に出場権利を与えて、それはJOCの家畜広告塔になるという意味で、肖像権はなく、ろくなカネさえもらえない。世界に対しても同じで、各国の予選を通過した者は出場の権利を与えられるから、言うこと聞けくらいにしか思っていない。口先だけのおもてなしは、京都人と全く同じだ。だから、子供の運動会のようであり、一生懸命コロナ対策で努力していますという、ナイーブなメッセージを吐くだけで、日本に来ることがどれだけ素晴らしいことなのかのアピールがゼロ。普通はテニスもゴルフもサッカーも野球もバスケもマラソンも、五輪ごときは環境と条件が悪いと参加しないが、それがより露骨になりだした。
円安と娼婦と下足番目当てに一昨年まで客が多かったことを、おもてなしと全く勘違いした。その程度で、五輪開催の経済効果を期待するわけで、期待するなら、その見返り用意しろと、せめて、ディズニーリゾートが今でも客呼べているその理由をしっかり学べとそれを思う。
 今の官僚と地方自治は、ワクチン程度の日本人全員にもれなく2度の注射をやるだけのことで、偉そうに「予約」だとか、「制限」しているのだが、ラーメン屋の行列のように並ばせて、端から打っていく程度のことに、どの有難みの押し付けしているだろうかと、顔も見たくない。その同じ連中が五輪開催しますと言い出したところで、まずいラーメン食わせる欠陥大会をやるだけのことで、これで「五輪か」と、アホらしくなることに、全世界が気付いている。ずさんなのだ、民力が低下した。
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